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疎開という言葉は、敵の襲撃に備えて部隊や兵を散開させる軍事的な意味を持つ。太平洋戦争末期、空襲を避けて、都市の児童を地方に避難させた学童疎開にも、将来の兵力確保という目的があった。もっとも避難を疎開と言い換えたところで、児童が直面した過酷な現実は変わらない▼いまだに疎開が残した心の傷がいえない人も多いだろう。梯久美子さんの「昭和二十年夏、子供たちが見た日本」(角川書店)で、体験を語る著名人の多くは終戦の日を疎開先で迎えた▼その一人で俳優の児玉清さんは、飢えもいじめも経験した。親から送られた食料をくすねる教師に閉口する一方、「日本は負ける」と予言した恩師を懐かしんでもいる。多様な証言に共通するのは、周囲の大人に注ぐ繊細で鋭い視線だ。無責任な言動も、さりげないやさしさも決して見逃さない▼東日本大震災と原発事故の後、東北からの避難者は道内だけでも2千人を超えた。福島県では小学生の1割近くが転校したか転校を希望しているという▼故郷や友達との別れ、わが子を放射能から守ろうと懸命に避難先を探す親の苦労。理不尽にも、こうした悲しみを知ってしまった子供は、もはや以前の子供のままではいられないのではないか▼小さな大人とでも呼ぶべき子供たちの目が、大人たちが何を反省し、どう変わっていくのかをじっと見つめている。2011・8・18
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/fourseasons/312505.html
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