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20110815 たね蒔きジャーナル 京都大学原子炉実験所助教 小出裕章
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20110815 たね蒔き 「終戦の日に"原子力の平和利用"を考える」
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http://list.jca.apc.org/public/cml/2011-August/011193.html
[CML 011327] 小出先生、「ほんとうのやさしさとは、弱い人に目を向けること」
Yasuaki Matsumoto y_matsu29 at ybb.ne.jp
2011年 8月 15日 (月) 23:31:54 JST
みなさまへ (BCCにて)松元
小出先生の「たね蒔きジャーナル」8月15日分の転送です。今回も、引き続き話された元広島市長の平岡敬さんの話も転載させていただきます。
沖縄で講演された小出先生、「ほんとうのやさしさとは、強いものに従うのでなく、苦しんでいる弱い人に目を向けること」と語っています。
若い頃の小出先生と同様に、「原子力の平和利用」と「核兵器」は別ものと考えていた平岡さんも、「福島もセミパラチンスクも同じ運命にあり、核兵器も原発もどちらも非人道的」と反省されています。
●「小出裕章非公式まとめ」に生の声がアップされています。
http://hiroakikoide.wordpress.com/
=====小出先生のお話=====
永岡です、毎日放送ラジオ「たね蒔きジャーナル」、今日も水野晶子さんの司会、毎日新聞ほっと兵庫編集長の平野幸夫さんの案内で放送されました。
原発関係のニュース、半径20km圏内の3km圏内の一時帰宅が行われます。二葉町、大熊町です。
原子力安全庁を環境省に作ることになりました。業務一元化が目的です。安全庁ではなく、規制庁という案も出ています(安全庁も仮称)。今の政権は規制という名前を出したくない(アメリカですら規制が入っている)との平野さんのコメントがありました。また、環境庁はCO2削減と言っていた、また環境庁に原子力の専門家がなく、経産相から来てもらうしかないのです。平野さんは、更迭された経産省の幹部に退職金上積みであり、この政権の、官僚に対する姿勢を見せていると言われました。形だけの原子力行政の方向転換と言うことでした。
そして、小出先生のお話、週末に沖縄へ行かれて、放射能と子供について語られ、米軍を抱える沖縄と、原発の話を関連させて、「弱い人に犠牲をしわ寄せした」ことを語ったのです。弱いところに基地、原発が押し付けられるのです。沖縄は日本の面積の0.6%に日本の75%の基地があり、鳩山氏も最低でも県外と言い、しかし戻されたのです。原子力で、小出先生が抵抗してきたのと同じで、困っている人に金をちらつかせてやってきたのです。
そして、2004年に沖縄国際大学に米軍のヘリが墜落し、放射性物質が関連しており、ヘリの翼に欠陥があるか調べつつやっており、そこにストロンチウム90を積んでいたのです。傷を調べるのに便利なストロンチウムなのですが、事故後行方不明になり、ばらまかれた模様なのです。この事故、沖縄県警が入れなかったのです。これ、かなりの量と思われて、年間規制値の550倍ものストロンチウムがなくなっているのです。大変なことであり、しかし、今の福島事故だと、1兆人分×何万倍!ものストロンチウムがばら撒かれているのです。沖縄のヘリのストロンチウムは大変なのですが、福島の量はそれすらかすむほどの膨大な量なのです。
沖縄に、放射能を持ったヘリが今も飛んでいるのです。日本が調べられなかったのは、放射性物質のためであり、放射線検知器を持ち米軍が調査し、土も掘り起こし、米軍は証拠を全て消したのです。もちろん、被曝した人がいる(可能性の高いのは米兵、ついで沖縄の警察)のです。水野さん、現地を取材しても、ストロンチウムのことは語られなかったのです。ストロンチウムの意味が当時、分からなかったこともあるのです。
強い、やさしいと比較してお話されて、アメリカの作家モーリス・チャンドラーのプレイバック、強くなければ生きていけない、やさしくなければ生きている価値はないと書いており、「強くても生きている価値のない人がいる」、やさしいとは何か、強いものに従うことではなく、日本の政府は米国に従うのが国益といい、やさしくない政府であり、生きる価値がないのです。何に、生きる価値があるのか、小出先生も自問されているのです。
放射能が各地に飛び散って、リスクの中で生きることであり、京都の送り火のこと、重苦しい気持ちであり、こんな瑣末なことで、苦しんでいる人に苦しみを味合わせるのか、放射能を含む松を燃やすと危険であり、しかし、京都にも福島の放射能が飛んできている、それに京都の人は怒って欲しい、陸前高田の人に罪はない、悲しいことである、というコメントがありました。
沖縄に今もストロンチウム入りのヘリが飛んでいるのです、これを、お知らせいたしました。
=====平岡敬さんのお話======
永岡です、たね蒔きジャーナル、続いて、元広島市長の平岡さんのお話がありました。
平岡さん、広島市長を2期、その前に中国新聞の記者、社長を務められた方です。今はNGOの代表で、現在83歳、終戦時は学生で、帝国大学、今の北朝鮮におられて、ソ連が攻めてきて今のソウルへ逃げられたのです。終戦記念日、原爆の日、死者のことを生き残ったものが勝手なことを言っては仕方ない(戦争、原発)、生き残ったもののエゴで語ってはいけないと思われていたのです。
人間は欲望の塊であり、自己弁護を繰り返し、生きてきたのです、それを死者に申し訳ないと思ってきたのです。
そして核の問題、核兵器の威力に意識が向き、原発に思いが至らなかったことを反省しています。原子力の平和利用について思い至らなかった、核兵器と原発は別のものと思っていたが、原理は同じであり、理屈としては知っていたが、福島事故でこのことを実感したのです。
平岡さん、原発事故による核の被害者には言及していたものの、原発には言及していなかった、科学技術の最先端である原子力に日本の復興を期待していたのです。水野さんは広島に何回か行ったものの、広島の人は原子力の恐ろしさを知っているのに、原子力の平和利用に積極的な世論が戦後あったのを不思議に思っていたのです。
これは、原爆の被害を回復するのに、代償行為として平和利用をする権利があると広島は思っていた、また、アメリカが平和利用(広島の被爆が憎しみを生み出すことを抑制するため)のため、「平和利用博覧会」を1956年に広島でやって、原子力は素晴らしい、人類の夢だと宣伝したのです。平岡さんも感激し、戦争中精神主義で負けて、それは科学の力で日本が劣っていたためであり、その反動で、平岡さんの世代に科学への希望があったのです。この時は放射能の怖さはなく、マジックハンドをすばらしいと思っていたのです(本当は放射能のためマジックハンドを使わないといけない)。
広島に原発を作ろうと、アメリカが考えていたのです。核拡散防止条約の運動で、核保有国に核抑制を求め、原子力の平和利用を奪えない権利と言っていたのですが、平和利用は、放射能の脅威もあり、核兵器増強にもなり、NPT(核不拡散条約)はご都合主義ということなのです。NPTに入っていない国も多く(インドなど)、ところがアメリカはインドに原発を輸出しているのです。
核兵器禁止条約が必要であり、対人地雷禁止条約も威力を発揮した、NPTより、どの国の核兵器もダメという方向にしないとためなのです。
平岡さんは、原発も非人道的な産業であり、ウランの採掘から、核廃棄物の処理まで被曝を余儀なくされるので、非人道的なものなのです。この尺度で見たら、X線は認めているものの、非人道的な核はダメと言う尺度で見ているのです、これで見ると、原子力が分かってくるのです。
平和利用という言い方、軍事でないといいわけではない、福島は核戦争と同じ状況であり、平岡さん、セミパラチンスク(核実験で死の灰がたまっている)を何度も見て、福島で、セミパラチンスクと同じ運命にあると(放射能、内部被曝では同じ)思うのです。マスコミは、政府、東電の言いなり、戦時中の大本営発表と同じ、政府は過小評価をしている(広島も占領下であり、知らせられなかった、その間にも多くの被爆者が死んでいった)、健康管理+生活再建を政治の責任としてやるべきと言うのです。
真実を知るのはつらい、しかし、過剰反応の方が、被害者の立場からしたらいいというのが平岡さんの考えでした。
敗戦66年、元広島市長の言葉をお伝えいたしました。
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