http://www.asyura2.com/11/genpatu15/msg/555.html
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在日朝鮮人作家徐京植氏が福島を巡る。
南相馬市在住のスペイン思想研究者佐々木孝氏との対談。
福島の朝鮮学校の現状
生命そのものの基盤を破壊する“根こぎ”というキーワード
ディアスポラ
「破局という現実が非現実的なものに思える
同心円的に遠ざかっていく想像力
離れると見えないけど離れないと見えない同心円のパラドックス
避難を拒否した老婆 国家に対してたった一人で対峙している
一人一人に国家とは何かを突きつけられた
日本社会は非常時になれば非人間的になる
法律というものは末端にくると非情なものになる
国民を守るものが一瞬で管理するものに変わる」
フクシマを歩いて 徐京植:私にとっての「3・11」こころの時代
http://www.youtube.com/watch?v=lq4xuXFKlDk
フクシマを歩いて 徐京植:私にとっての「3・11」こころの時代
http://www.nhk.or.jp/program/kokoro/
在日朝鮮人の作家・徐京植(ソキョンシク)さんは、
原発事故以降、韓国の知人に避難して来るよう言われたが、動かなかった。
なぜ、日本にとどまったのか? 徐さんは、その理由を探して福島を訪ねた。
耕作禁止の田で働く人、周囲が自主避難するなかで動こうとしなかった人、
朝鮮学校の子どもとの出会いから、アウシュビッツや広島の破局を見た人の警句
を想起し、原発事故が社会の何をさらけ出し人間の何が問われているか考える。
南相馬市在住のスペイン思想研究者佐々木孝氏
モノディアロゴス
http://monodialogos.fuji-teivo.com/
私はこの町に残る
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/tohokujisin/list/CK2011032202100025.html
私は福島第一原発事故以降、数値データや
放射線とDNAという科学的知識とかばかりに目を向けていた。
もちろんそれも大切なのだが、
そもそも人生の基盤そのものを奪われるとはどういうことなのか
という観点から考えたことはなかった。
そういう意味では色々なことを考えさせられる番組だった。
避難を拒否した老婆は、
国家に対してたった一人で対峙しているという解釈、
法律というものは末端にくると非情なものになる
国民を守るものが一瞬で管理するものに変わるという意見には、
考えさせられた。
「現実と超現実とが転倒した世界」
確かに原発周辺の現実はそのように眼前に実在する
原発事故は天災ではなく、人災なのであり、
原発事故で人生を“根こぎ”にされ
ディアスポラとされたことへの
怒り、悲しみ、絶望にどのくらい想いを馳せているか
どのくらい自分のものとして受け止めているか
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