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(回答先: (続)原発の源流と日米関係/4〜6(しんぶん赤旗) 投稿者 gataro 日時 2011 年 8 月 10 日 11:25:17)
(続)原発の源流と日米関係/7/核燃料サイクル/上/「核のゴミ捨て場」化
「しんぶん赤旗」 2011.08.01 日刊紙 1面
太平洋側に細長く延びる青森県下北半島。その付け根に位置する六ケ所村の名は、「六ケ所原子燃料サイクル施設」とともに知られています。東京ドーム160個分の広大な敷地。木々の合間に、無機質な建物や煙突が見え隠れします。
サイクル構想
「あの茂みのあたりに、低レベル放射性廃棄物が入った黄色いドラム缶が23万本埋まっています。埋め立て期間は300年。300万本まで受け入れられます」「(核廃棄物を固めた)ガラス固化体は50年後まで保管します。今は1338体。2880体まで貯蔵が可能です」 同施設を運営する日本原燃の職員は、淡々と説明します。
六ケ所村には、日本中の原子力発電所から出される使用済み核燃料年間約800dが運ばれます。政府・電力業界はこれを六ケ所村で再処理して、再び核燃料にする計画です。
再処理では使用済み核燃料を@ウランAプルトニウムB廃棄物−に分離します。その上でウランとプルトニウムの混合酸化物(MOX)にして、高速増殖炉で燃やす−という「核燃料サイクル」をつくる構想です。
1988年の現行日米原子力協定で、米側は「日米安保条約の維持」を条件に「再処理」を容認。同協定に基づいて建設・推進されたのが、高速増殖炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)と、六ケ所村の施設です。批准の翌年、六ケ所村核燃施設の事業申請が出され、91年には「もんじゅ」の試運転が始まりました。
たまる廃棄物
しかし、「もんじゅ」は事故を繰り返して稼働停止に。再稼働の目標は2050年です。六ケ所村でも、廃棄物をガラス固化体にする試験で失敗が続いています。次回の試験は2012年10月の予定でしたが、「東日本大震災を受けての安全審査などもあり、現時点で再開は未定」(日本原燃広報部)。関係者は「13年以降になる」と言います。
その結果、六ケ所村核燃施設は、「核燃料サイクル」ではなく、「核のゴミ捨て場」としての性格を強めています。70年代から英国とフランスに処理を委託していた放射性廃棄物(ガラス固化体)の返還が95年から始まりましたが、たまる一方です。ガラス固化体の表面放射線量はきわめて高く、近づけば20秒で致死量に達する危険なものです。
作業員が使用した防護服などの低レベル廃棄物は六ケ所村が最終処分場になり、これも年々増えています。
六ケ所村で再処理ができなければ、各原発敷地内にある使用済み燃料プールが満杯になり、稼働停止になります。東海村(茨城県)にも再処理工場がありますが、その処理能力は微々たるものです。
そのため、再処理するまでの「とりあえず」の保管場所=「中間貯蔵施設」が、青森県むつ市を皮切りに、全国に建設されようとしています。その現場に向かいました。
(つづく)
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(続)原発の源流と日米関係/8/核燃料サイクル/下/対処行き詰まる両
「しんぶん赤旗} 2011.08.03 日刊紙 1面
かつては牛の放牧場だった台地が削り取られ、茶色い土がむき出しになっていました。下北半島の北岸、青森県むつ市関根浜。「リサイクル燃料備蓄センター」と書かれたゲートにはトラックが頻繁に出入りしています。
「永久」の危険
「リサイクル燃料」とは、全国の原子力発電所から出された使用済み核燃料のことです。同センターは、使用済み燃料を再処理するまでの「中間貯蔵施設」です。昨年9月、貯蔵建屋1号棟の工事が着工しました。
「中間貯蔵というが、実際は『永久貯蔵』の可能性が高い」。同施設の立地に反対する「下北の原発・核燃を考える会」の櫛部孝行代表は指摘します。
同施設を運営する「リサイクル燃料貯蔵」社の説明によれば、貯蔵期間は50年。住民説明会では「永久貯蔵にはならない」と繰り返しますが、「50年後、どこへ持っていくのか」との質問に、同社は「移動する」としか答えません。
そもそも、六ケ所再処理工場(青森県六ケ所村)はトラブル続きで試運転すらできていません。仮に稼働しても、年間で発生する使用済み核燃料の8割しか処理しきれません。
このため、早くも「第2再処理工場」の建設が浮上。2018年に期限切れを迎える日米原子力協定の改定交渉で焦点になるとも言われています。しかし、仮に「第2」を造っても正常に稼働する保証は全くありません。
「結局、敷地内で貯蔵建屋2号棟に移動するだけじゃねえの、という声も出ている」と櫛部さんは言います。
米国でも頓挫
使用済み核燃料の扱いに苦しむのは、日本だけではありません。米国の商業用原子炉の使用済み燃料を保管する原発内のプールは15年までに満杯になります。
オバマ米大統領は、ネバダ州のユッカマウンテンに高レベル核廃棄物処分場を建設する計画を事実上、撤回しました。日本と同じように「中間貯蔵施設」を建設する計画も出ています。
米国は1970年代に「核燃料サイクル」構想を中止しましたが、ブッシュ政権は「核燃料サイクル」推進に転換。オバマ政権もこれを継承しましたが、実用化にはいたっていません。
日本と違って広大な国土を持つ米国ですら、たまり続ける「核のゴミ」の問題で答えを見いだせず、日本で行き詰まった対処方法まで手を出さざるをえなくなっているのです。
「中間貯蔵施設」受け入れに対する青森県内の自治体への交付金は「使用済み核燃料を入れた金属キャスクの個数×貯蔵期間」で算出されます。より多く、より長期間抱えるほど、金額が多くなる仕組みです。
交付金という「アメ」により、反対運動は困難に直面しました。しかし、青森県農政連が6月27日、原発・核燃サイクルの「稼働停止を求めていく」と明記した活動計画を決定。「福島原発事故で『安全神話』が崩壊した」(事務局)ことを踏まえたもの。変化の兆しが見えつつあります。
(つづく)
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(続)原発の源流と日米関係/9/米国の「核の支配」/いまこそ脱却のとき
「しんぶん赤旗」 2011.08.04 日刊紙 1面
この連載で検証してきたように、日本の原子力政策は一貫して米国の支配下に置かれてきました。この問題は、日本のエネルギー自給率の極度な低下と密接に関連しています。
自給率は4%
経済産業省によれば、国民生活や経済活動に必要な1次エネルギー(石油、石炭など)のうち、自国内で確保できる比率を示すエネルギー自給率はわずか4%です。
1960年には、主に石炭や水力といった国内天然資源によって58%あったエネルギー自給率はそれ以降大幅に低下。80年には約10分の1の6%にまで落ち込みました。
その要因は、米国への経済的な従属を盛り込んだ日米安保条約の下で、石炭から石油への転換を強行するとともに、原発導入にまい進したからです。
戦後復興期に「傾斜生産方式」によって増産が図られた石炭は、50年代後半から60年代に相次いで炭鉱が閉山され、米石油メジャーが支配する石油にエネルギー源を転換。70年代は、原発の新規立地を住民運動が許さなかったものの、2度の石油ショックを口実に「石油依存度を低下させる」として、既存発電所での原子炉増設が加速しました。
現在、石炭や石油だけでなく、液化天然ガス(LNG)や原子力の燃料となるウランもほぼ全量が輸入です。
一方、日本のエネルギー自給率4%の内容は、水力、地熱、太陽光、バイオマスなどです。化石燃料や原子力依存から脱却し、再生可能エネルギーへの転換を図れば、自立したエネルギー政策を築くことができます。
米国の新政策
米国は、核の力=核分裂による巨大なエネルギーで戦後世界を支配してきました。45年8月、広島と長崎に投下した原爆で圧倒的な軍事力を示す一方、数十カ国に濃縮ウランを提供して、エネルギー分野での支配網をつくりました。
しかし今、それが揺らいでいます。欧州ではドイツなどで「原発撤退」の方向が示されました。当の米国ではどうでしょうか。
オバマ政権は原発推進を掲げる一方、3月30日に発表した新エネルギー政策で、「2035年までに電力の80%をクリーンエネルギーから得る」として、原子力に加えて風力、太陽光、天然ガスを挙げています。
地中の岩に含まれる「シェールガス」は米国が埋蔵量世界一です。原発に代わりうるエネルギー源として注目が高まっています。
「米国は、最後は損得で物事を決める。原発からの撤退もありうる」。原子力業界の関係者は、真顔で心配しています。
◆
「ドッカーン」。3月12日と14日、福島第1原発からの巨大な爆発音が響きわたりました。やがて「死の灰」が降り注ぎ、すべてを汚染しました。
福島県南相馬市の詩人・若松丈太郎さんは言います。「広島、長崎、福島…。核分裂による巨大なエネルギーと人類は、本当に共存できるのだろうか」 日本は、米国の「核の支配」から脱却するときを迎えています。
(おわり) (この連載は榎本好孝、竹下岳が担当しました)
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