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20110810 たね蒔きジャーナル 「若き原子力学徒の悩みに小出先生が...」
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http://d.hatena.ne.jp/pinsuke/20110810/1312981873
2011-08-10
小出裕章・たね蒔きジャーナル8月10日
小出裕章・京都大学原子炉実験所助教による福島原発事故の解説
毎日放送ラジオ「たね蒔きジャーナル」(月〜金曜)
10日放送分(79回)書き起こしをメールより転載させていただきます
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東京の神崎記者の報告があり、今日の月刊文春に野田氏らの寄稿があり、野田氏は増税の模様、馬淵氏、海江田氏も脱原発は言っていない(野田氏は原発輸出と言っている)のです。永田町は、新総理の候補に、決め手に欠けるとの(B級グルメ選手権とか言われている)ことなのです。近藤さん、菅総理は段取りなしでやっていて、しかし、段取りは民主党を壊さないために必要だとのコメントがありました。自民党が返り咲いたら大変な逆転現象になり、民主党に代表選は大事なのです。神崎さんの報告は、小沢グループがどう動くかが問題で、小沢グループの候補がなく、小沢氏の学習会に140人出ており、これが誰を推すかが問題なのです。
そして小出先生のお話、若き原子力研究者の卵の悩みで、この方と小出先生の対話です。この学生さんのお話で、ある国立大学で原子力工学を学ぶ山田さんで、山田さんは、大学に入り、2回生で、原発輸出で追い風があり、専門性が高く、第一人者の人が多く、原子力を学ぼうとしたのです。水力や太陽光は理論的に確立しており、価格競争で日本は負ける、原子力は安全性で日本は負けない(価格競争にならない)ので選んだ、これからのエネルギーと感じたのです。
当時は原子力ルネサンスが有名であり、CO2削減の切り札と思ったのです。菅総理がベトナムへ原発を売ったと言ったのですが、いいことだと当時は思っていた(積極的に海外展開すべきと思っていた)のです。原発を文句なく支持していた(安全性に心配はなく、廃棄物に心配はなかった)のです。スリーマイル、チェルノブイリは、授業で、これらは起きないと言われていたのです。原子力産業でも原理的に起きないと思っていたのです(今思うとまずい)。当時自民党政権であり、原子力開発は核兵器の意図もあるのに、これは、その気になれば再処理施設ですぐに核兵器ができる、それがいいのか悪いのかは、学科内でも意見が分かれていたのです。
就職先は原子力メーカー、電力会社に行けたのです。原子力という名前の学部ではなかったのです。
そして、3・11があり、福島原発事故で、今まで信じていたものが崩れて、その後、被害もないと思っていたら事態は悪化し、隠蔽もあり、信じていたものが違っていた現実を見せ付けられたのです。4,5月は朝起きるのも、ニュースを見るのもつらく、欝になった学友もいたのです。
原子力村、閉じた世界で、反原発は、自分たちの世界と違う、そういう考えに行き着く人もいなかったのです。反原発の人をどう論破するか(反原発は間違っていると信じていた)のです。
近藤さんは、学問の自由があり、いかなる研究も自由ですが、こういう事故で原発の学問の正当性がなくなるかについて、事故について問題山積みであり、原子力村、利権、癒着で変えにくい状態であり、就職できつく、小出先生のように信念を貫くのは大変なのです。
そして小出先生のコメント、山田さんの原子力工学にいて、社会の中で考え、それは原子力村であり、原子力に疑問を持たない集団だと思う、その中に順応するしかなく、仕方ないことだと思われるのです。
山田さんは小出先生を知っていて、事故前は異端、原子力は推進すべきと思っていたのでそういう印象であり、しかし震災後、急に自分の意見を変えられない、原子力の負の部分が分かり、それでも自分の意志を貫いた、小出先生はすごいと思うのです。
小出先生、原子力は即刻廃止すべきだが、廃棄物があり、原子力、放射能の研究を続けてくれる人が育つことを望んでいます。山田さん、この現実を見て、それでも原子力を続けるべきとの人と、脱原発の人がいて、原子力以外で就職する人が後者にいて、そのため、推進側に、原子力を学んだ人が残ってしまう懸念がある(小出先生のような人は生まれにくい)のです。
研究者として、原子力がなくなると仕事がなくなる、そういう業界に入ると、そういう懸念が出てくるので、それを何とかしないといけないのです。
小出先生、若い人に自分の仕事を継いでくれと言わなかったのです。小出先生のような覚悟(原子力を進める一色の世界で抵抗するのは、普通の人にはいやな生き方であるので)が要り、大変なのです。
近藤さん、こういう事態になれば、今までと違った角度で原発を見ないといけない、それが世界的な課題で、学問として成立するとコメントされました。
水野さんは、山田さんのような人に、原子力村を変えて欲しいと言われて、近藤さんも同意されました。しかし、小出先生も助教のままであり、山田さんも、他の出世の道を閉ざされる、その不安もあり、自分の信じた道を歩みたいが、価値観が変わったのです。小出先生、山田さんのような人を受け入れる原子力村であって欲しいのです。
これから、原子力のお守りが要る(このままだと墜落する)のですが、山田さん、原子力村に問題があり、後処理の研究をするのに、閉ざされた世界ではダメで、どうするかということなのです。
山田さん、しがらみにとらわれていない立場であり、どうやったら開かれた社会ができるか小出先生に質問があり、小出先生、原子力村では生きられなかった、原子力学会も脱会した、そういう世界に外部から論争を挑んできた、山田さんは、原子力村に残れる可能性もあり、その中から変えて欲しいという指摘が最後にありました。
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