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教育界ではめちゃくちゃな事が続き、東京から日光・川場へ林間学校に行く事に比べたら、こんな事は屁でもない事態ですね。福島では高校総文を開いたし。
もういちいち投稿もせずにいますが、群馬では比較的フォールアウトが多い地域で、子供をだしにした、地場産野菜料理教室や、泥や土や森林の茂みに触れ合う行事が毎日のように行われています。放射性核種濃縮率の高いブルーベリーを、山間部の農園で幼稚園児が食べる写真は、7月から毎日のように地元新聞に載りました。今日はぶどう狩りかな。
私は、心のかなりの部分で、後でどうなるか「楽しみ」にし始めました。
((以下「上毛新聞8月10日付朝刊」より))
できる支援考えよう 宮城の現状見て回る
被災地の現状を見聞きして自分達にできる復興支援を考えようと、館林市の中学生と教員ら約50名が9日、宮城県岩沼市と仙台市を訪問し、被災者から地震発生時の様子や被害状況、現地でのボランティア活動について学んだ。
宮城県を含む東北各県でボランティア活動を体験した館林市内の小中学校の教員から「子供たちにも被災地の現状を見る機会をつくってみては」と言う提案を受け、市中学校長会と市内全5校の中学校のPTA会が企画。生徒は各校から8人ずつ計40人が参加した。
岩沼市は仙台市から南の太平洋沿岸地域。地震と津波による死者と行方不明者は合わせて約200人に上り、市内各地には地震で隆起した道路や崩れた家屋、津波で流された車とがれきが数多く残っている。
生徒らが訪れた農家の渡辺郁夫さん(60)方では、浸水した自宅や倒壊したビニールハウスを見学。「体験したことのない大きな揺れ、数百メートル先に見える津波をはっきり覚えている。今でも余震が来るたびに恐怖がよみがえる」。渡辺さんの話に生徒達は真剣な表情で聞き入っていた。
学生を中心に約2万4千人が活動拠点にした市災害ボランティアセンターでは、ボランティアの活動内容などについて学習。館林二中3年の寺島舞さんは「今も多くの住民が支援を待っている現状を知り、自分にも何かできるのではと思った」と話した。
津波による被害が大きかった仙台空港と仙台港も見学。山積みにされたがれきや損壊した建物が点在する光景に、館林四中3年の柴崎光里さんは「テレビで見る映像からでは伝わらない津波の怖さを感じた」と神妙な表情で語った。
引率した館林一中の春山治三郎校長は「自分達が被災地のために何ができるのかを考えるきっかけになったはず。参加できなかった生徒にも体感したことを伝えて欲しい」と生徒達に呼び掛けた。
(以上上毛新聞より)
群馬は関東地方で一番放射能に無防備だから、時差攻撃で、今の子供達から障害が多発して、ベラルーシあたりの「安全地域」と同じ運命になると考えてきました。
安全きちがいのコメンテーターは笑い飛ばすかな。
10年20年後が見ものだね。
昨日も風は確か北向き、安全なくらい微量な新鮮放射性ヨウ素入りかな。
(やめようと思いつつまた投稿してしまいました。)
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