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福島小中生:苦渋の転校選択「子どもの将来のために」
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110809k0000m040168000c.html
毎日新聞 2011年8月9日 2時30分
福島県内の小中学校に子供を通わせる親が、夏休みを機に転校させる動きが広がっている。仕事を持つ父親は福島に残り、別居生活を選択する世帯も多い。「放射線量の数値や評価は、専門家の間でも分かれている。子どもの将来のために後悔はしたくない」。原発事故から5カ月近くがたっても、子育てへの不安は収まらず、やむにやまれぬ思いで、ふるさとを後にする母子が相次いでいる。【安高晋】
◇夫は残り別居生活
福島市内でも線量が高い御山地区で、小学3年の長男(9)と1歳の長女の2児を育てる女性(36)。長男が通う小学校の1学期が終わった7月下旬に、母子3人で京都府に引っ越した。公務員住宅を1年間無料で借りられ、家電や生活用品など支援も充実していることを知り、縁のない土地だったが新居に選んだ。高校教諭の夫は福島に残る。
福島第1原発から約60キロ。安全性を疑ったことはなかった。爆発後にテレビで放射線の測定値を見て不安になり、4月末に市民団体の集まりに出席してみた。そこで、長男が通う小学校で他の地区より高い放射線量が計測されていたことを知る。県の調査なのに、それまで結果を知る機会はなかった。長女が庭の枯れ葉を口に入れていたことを思い出し、ショックを受けた。
機器を借りて自宅内の放射線量を調べてみた。毎時0.4〜0.7マイクロシーベルト。屋外で測った平常時の数値の10倍以上だ。2階の線量が高いと分かり、それ以来子どもは1階で寝かせた。自宅の庭も表土や草花を掘り起こし、土のうに入れた。緑であふれていた庭は、赤茶けた土だけになった。
5月末ごろから、登下校時の小学校は送り迎えの車で渋滞が目立ち始める。雨が強い日には、念のため学校を休ませた。「いつになったら外で遊べるの」という長男の問いに返答できないまま、時だけが過ぎた。
「不安をあおらないで」「冷静な対応を」。行政や学校が言う通り、長袖にマスクでの通学を続けて外出を控えれば、影響はないのかもしれない。それでも「太陽を浴びたり草花を摘んだりすることが、子どもの成長にどれだけ大切なことか」と思う。
「『あの時は、やり過ぎだったね』と後で思ってもいい。子どもの健康には代えられない」。33年のローンが残るマイホームを離れたが、夫と離れて暮らすことには不安が消えない。福島に残る同級生の母からは「私も避難を考えたい。これからも連絡を取り合いましょう」と声を掛けられているという。
◇退職してでも・・・
原発から西へ約60キロの同県郡山市に住む早野直子さん(49)も、中学1年の長女とお盆明けに東京都品川区の雇用促進住宅に引っ越す予定だ。
将来子どもを産む可能性がある娘の体が何より心配だった。中学2年の長男は「今の友達や部活動を大切にしたい」と夫とともに地元に残る。4人家族は2人ずつに別れて暮らす。「思春期の息子と顔を合わせないことには不安が残る」と打ち明ける。団体職員だった早野さんだが、8月中に辞職する。「これまでと同じ条件の仕事は見つからないと覚悟しており、東京ではパートの仕事を見つけて働くつもり」。見通しがつかない「疎開生活」の厳しさを心配していた。
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