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原発を止めた町 新装版――三重・芦浜原発三十七年の闘い (単行本)
本書は平成13年に出版された「原発を止めた町」の新装版です。
東日本大震災による福島原発事故を受けあとがきが書き直されました。
三重県における芦浜原発計画に対する推進派と反対派の闘争が客観的に書かれています。
1963年に原発建設候補地となって以来の政治的な動向、社会的な混乱が詳細に記されています。
指切り事件、汚職事件、ハマチ・バッシング、漁民の衝突事件など次々に出来事が展開している。
エネルギー問題は、安全性や環境、効率など科学的評価のみならず政治的な影響が強いと感じる。
浜岡原発は東海地震の震源地として停止されましたが、芦浜も東南海地震の被害が予想されます。
もし芦浜に原発が建設されて、東南海地震が起こっていたらどうなっていたでしょう?
原発計画は北川知事表明により白紙撤回されましたが、その経緯を知る価値があると思います。
(Amazon.co.jpから)
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http://blog.iwajilow.com/?eid=1071054
原発計画実現のために何が行われていたのか?(つぶやきいわぢろう)
かつて三重県の伊勢で芦浜原発計画というものがありました。
1963年に計画が発表され、推進派と反対派に住民が真っ二つに分断されました。
激しい運動や工作が展開されましたが、結局2000年に計画は白紙撤回されました。
反対派と住民の間にはケガ人が出るような衝突もありました。
それだけではありません。怪文書を始め、さまざまな工作もあったようです。
地元のジャーナリストの書いた「原発を止めた町」にその辺が詳しく書かれています。
一部、抜粋させてもらいます。
もっとも激しく、反対運動を展開したのは地元の漁師さんたちでした。
その漁師さんたちはハマチの養殖で生計を立てていました。すると…
「12月9日、東京のテレビキー局のひとつが衝撃的な報道番組を流した。タイトルからして『恐怖の原発』とおどろおどろしいが、要は、養殖ハマチは薬漬けのうえ、漁網防汚剤として使われていた有機スズ(TBTO)がハマチの奇形を起こす原因だ、というのである。番組の中に、南島(南島町=反対派)の『漁民』が登場、『漁師は養殖ハマチを食べない』と語ったのだ。この番組は何故か、当地方では放送されなかった。
続いて翌年1月、我が国を代表する全国紙で、岐阜市の獣医、全国開業獣医師問題懇話会事務局長、八竹昭夫氏が『警鐘』を鳴らした。テレビ、新聞界の両雄の影響力は巨大である
〜中略〜
一連のバッシングの効果は絶大だった。ただでさえ、供給過剰気味だった養殖ハマチがキロ600円(この地域の採算分岐点は850円)を下回る大暴落を記録した。反対闘争の中核だったハマチ養殖漁民は経済的に追い詰められ、推進派を拡大させる大きな要因になる。
〜中略〜
口火を切ったテレビの報道番組に戻ろう。驚いたことには、画面でとくとくとしゃべった『南島漁民』が実は、漁師などではなく、推進派幹部だったことが分かってくる。
〜中略〜
八三重県水産技術センターの専門家は奇形の原因について魚の脳に入り込む粘液胞子虫原因説をとっていた。学者の間でもさまざまな説があったがとにかく、漁網に有機スズを使用しなくなった。その後、養殖ハマチの安全論議は姿を消した。最盛期古和浦で150軒を数えたハマチ養殖業者が1991年にはタイ、ハマチなどの兼業を含めて36軒に激減する」
この他にも
「推進派の若者が有志会(反対派)のリーダー磯崎正人さんの自宅を襲う事件が起こる。ガラスを割ったり、車のバックミラーを折るなど乱暴を働き、駆け付けた反対派漁民ともみ合いになった。警察官もかけつけたが身柄を拘束せず、若者を自宅に帰した」という事件。
さらには
「反対派漁民と特定の政治勢力や新左翼との結びつきを印象付けて、反対派の分断をはかる作戦」などなんでもありです。
(「原発をとめた町」北村博司著/現代書館より抜粋)
以前、たしか政治評論家の方が話していた言葉、「正義と悪が戦ったら、悪が勝つ。悪は手段を選ばずなんでもやるからだ」を思い出します。
しかし、そういった工作にも負けず芦浜原発の計画は37年間の歳月を経て撤回されます。
この芦浜というところ、ウミガメの産卵場所になっているとてもきれいな海だそうです。
僕はその芦浜を見てみようと、昨日、向かってみました。原発ができていれば、大きな道路ができているのでしょうが、計画がなくなった今、芦浜に車一台通るのがやっとのものすごく狭い道です。
芦浜道
あまりにも狭すぎて、不安になってきました。途中、歩いてきたおばあちゃんに聞くと
「田圃までは車でいけるけど、その先は行けないでしょうよ。無理だよ」ということでした。
念のために向かってみると、本当に田圃までしか行けませんでした。
山を超えると芦浜に行けるそうですが、半端な気持ちではいけません。
いつかリベンジしたいと思います。
山の向こうが芦浜らしい
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