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ザ・特集:音楽家・坂本龍一さんが語る、脱原発と被災地支援
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110804ddm013040151000c.html
毎日新聞 2011年8月4日 東京朝刊
数々の名曲を世に送り出し、「世界のサカモト」と称される坂本龍一さん(59)。東日本大震災後は被災地に木造仮設住宅を建て、脱原発の署名活動やデモを呼びかけるなど、その活動は音楽家の枠にとどまらない。自らを突き動かすものは何かを尋ねた。【江畑佳明】
◇消費者が変われば産・政・官も追随する/木造一戸建て仮設住宅で生活に安らぎを
「実はね……」
丸い黒縁の眼鏡に、黒いジャケット。落ち着いたたたずまいの中にも、どこか緊張感が漂う。音楽家は伏し目がちに語り始めた。
「昔、YMOのメンバーで話し合ったことがあるんです。『もし電気が止まったら、僕ら音楽できないね』って。『電気がなくてもできる音楽、考えなくちゃいけないよね』とも。もちろん、半ば冗談。環境や節電を考えてのことではありませんでしたが」
坂本さん、細野晴臣さん、高橋幸宏さんの3人が結成した「YMO」(イエロー・マジック・オーケストラ)は、1970年代後半から80年代にかけ、文字通り一世を風靡(ふうび)した。「ライディーン」「君に、胸キュン。」……シンセサイザーやコンピューターを駆使した電子音による楽曲は「テクノポップ」という新たなジャンルを確立した。時代はバブル前夜だった。
震災による福島第1原発の事故後は「一刻も早く脱原発を」と訴え、フォロワー(いわゆる読者)17万人を抱えるツイッターでデモを呼びかける。放射能汚染への政府の対応についても「福島県の子どもたちにがん検診を行うというけれど、それはがんの危険性があると政府が考えているということでしょう。ならば、検診の前に、なぜ避難させないんですか」と、憤りは収まらない。
「反原発」に大きく傾いたのは06年。青森県六ケ所村の核燃料再処理工場を見たときだった。全国の原子力発電所で燃やされた使用済み核燃料を集め、その中からウランとプルトニウムを取り出す再処理工場で、本格稼働を目指して現在、試運転が続けられている。「工場からは通常の原発とは比べようのないほどの放射性物質が出されていると聞いて、衝撃を受けました。これは皆にも知らせねば、と思いましたね」。「ストップ・ロッカショ」と名付け、主にインターネット上で反対運動を始めた。以降、新潟県中越沖地震による柏崎刈羽原発の事故や山口県上関町の原発建設に抗議してきた。
今、菅直人首相は「個人の考え」としながらも「脱原発」を表明し、政府も「減原発」を打ち出した。代替エネルギーの本格的な模索が始まった。だが、もしその道を選ぶとしても、エネルギー不足への不安と、ただ電力を消費してきたことへの後ろめたさは国民に根強い。もちろん音楽活動も例外ではありえない。
「それはね」。コップの水で口を湿らせ、坂本さんは言う。「まじめな人ほどそう感じてしまうのでしょうが、僕は『日本の電力の3分の1は原子力で作られている』という、あの宣伝文句が浸透していることが大きいと思う」
どういうことか。
「すべての発電設備を使った場合、原発の発電量は全体の5分の1くらい。あえて火力や水力の発電所を休ませて原発を使い、その結果が『3分の1』であるに過ぎない。3分の1と5分の1では印象が全く違いますよね。だから『今まで原発の電気をたくさん使っていたから……』と、そこまで深刻に自分を責める必要はないはずです」
自身のコンサートでソーラーパネルや風車を設置し、お客さんに自転車をこいでもらい使用電力量の1割を賄ったこともある。
「電気の作り方は多様であり、原発の発電分を太陽や風、地熱などで補うことは可能です。ただ、そのためには国民自身が賢い消費者にならないと。どんな企業だって消費者から離れては存在できない。消費行動は一種の投票。ならば、より節電に積極的な企業の商品を選ぶ。消費者の意識に産業が追随し、遅れて政治家、最後に官僚がついてくるのですから……」
坂本さんが環境保護に力を入れるようになったのは40代半ば、自らの老化に気付き、野菜中心の食生活に切り替えてからだ。「環境は体の外にだけ存在しているわけではない。食べ物や飲み物、空気を通じて内側に入ってくる。環境と自分は別々ではないと気が付いた。それが原点です」
坂本さんは7月中旬、岩手県住田町を訪れた。自らが代表を務める森林再生活動の一般社団法人「モア・トゥリーズ」が、町と共同で建てた木造仮設住宅93戸への入居者たちに会うためだった。従来の長屋式プレハブ住宅とは異なり、独立した一戸建て。岩手県の地元産の木材を使った。
「被災した人たちは、非常な不安が続く中で生活していかなければならない。一戸建てなら少しはプライバシーが保てるし、楽器を弾いても、そんなにうるさくないんですよ」
仮設住宅に入った女子中学生が「お礼に」と、ひと部屋に据えたピアノを奏でた。「戦場のメリークリスマス」だった。
本職はもちろん、ミュージシャンである。震災後、「音楽で被災地を元気付けよう」というムーブメントが起きた。だが坂本さんの考えは少し異なる。
「音楽って、そこまでの大きな力はないし、また持つべきでないと思っているんです。かつてナチスドイツが国威発揚のために音楽を利用した過去がありますから。不安で泣いている幼子の背中を母親がさすってあげる……音楽にできることって、それと同じくらいでいいんじゃないかな」
今月11日に岩手、福島両県で開催される花火イベントに、自らが演奏したBGMを提供する。曲目は童謡「赤とんぼ」だ。「誰もが懐かしく口ずさめるから」
被災した小学校の壊れた楽器を修理するプロジェクトも始めた。音楽家として、また一人の人間として何ができるのか。自らへの問いかけは続いている。
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