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http://www.labornetjp.org/news/2011/0803pari
5月末にドイツが2022年までに脱原発することを決め、スイスも2034年までの脱原発を表明した。イタリアでは6月12-13日に国民投票が行われ、投票者(有権者の57%)の94%がベルルスコーニが進めようとした原発再開政策を否認した。ヨーロッパではこのほかオーストリアやデンマーク、アイルランド、ギリシア、ノルウェーが原子力発電を使わないことを既に法律で決めており、ベルギーでも2015年までに脱原発が実現する予定だ。
これらの国では、スリーマイル島やチェルノブイリの原発事故後に大勢の国民が脱原発を望み、国民投票や国会での決議を経てその意志が実現された。ところが近年、フランスなど原発大国とその原子力産業が「二酸化炭素の放出を減らすクリーンなエネルギーとしての原子力発電」を謳って原発推進攻勢をかけ、ドイツやイタリア、スイス、スウェーデンなど、脱原発を決めた国々がその方針を覆していた。例えばイタリアでは1987年の国民投票で脱原発が決められ、1990年に原発はすべて止まったが、フランスと共同で「新型」原発EPR(原理的には現在のものと同じ加圧水型の大型原子炉)を建設することをベルルスコーニ政府が決めたのだ。
しかし、チェルノブイリ事故の際にかなり被曝した地域のあるドイツ、イタリア、スイスでは、福島第一原発事故のインパクトはとても大きかったようだ。ベルルスコーニは6月の国民投票を阻止しようとした上、テレビをはじめ自らが掌握するマスメディアをとおして推進派の大宣伝をうったが、結果は圧倒的な民意の勝利となった。NPO「脱原発パリSNP」の仲間であるイタリア人によると、ベルルスコーニのメディア支配はすさまじく強力なため、市民は国民投票を成功させるために、インターネット上はもちろんのこと、地域ごとの住民委員会による大キャンペーンを展開して奮闘したという。この国民投票では水道管理の民営化の是非も問われ、同じく圧倒的多数が民営化を拒否した。数々のスキャンダルにもかかわらず権力に居座るベルルスコーニに対して、この国民投票はイタリアの市民が叛旗をひるがえした画期的な出来事である。
一方、同じようにチェルノブイリ原発事故による被曝地域がありながら、フランスでは官民一体となった強力な核・原子力の利益集団(原子力村)が、福島原発事故後も原発推進政策を唱えている。しかし、わたしたち日本人有志もパリで参加した6月11日の「脱原発100万人国際デー」には、フランス各地で計52のアクションが行われ、世論調査でも市民の77%が脱原発を望むにいたった。問題は、大手メディアで脱原発の言説や、福島原発事故とその影響についての正確な情報がほとんど流れなくなったことだ。事故直後には大騒ぎして日本のメディアの「不透明性」を強調したのに、ようやくデータが公開され、事実関係の検証に着手できるようになった2か月後にはもう、テレビのニュースにはならなくなった。4月に福島と浜岡原発付近、祝島や広島で取材をした国営ラジオ放送局のジャーナリスト、ダニエル・メルメのルポ番組や、広河隆一氏の仕事を紹介した「テレラマ」誌の記事など、興味深い報道はマスメディアでは稀にしかない。
そんな中、6.11のデモ・集会以降も「脱原発パリ」は広報活動とアクションをつづけている。2012年の大統領選はフランスにとって大きな焦点だ。脱原発を掲げる緑の党(EELV)では、政界と産業界の汚職「エルフ事件」を究明した元判事のエヴァ・ジョリ(ノルウェー出身の女性、欧州議会議員)が候補者に選ばれた。社会党の候補者選びは10月に行われるが、今のところ明確な脱原発は公約されていない(「脱原発依存」程度)。しかし、今年の4月、ヨーロッパ最大の原発地帯のあるノール・パドカレ地域圏(フランス北部ベルギー国境)議会、オヴェルニュ県議会とストラスブール市議会が、6月末にアキテーヌ地域圏議会が、7月初めにはペイ・ド・ロワール地域圏議会が脱原発の動議を採択しており、地方によっては社会党議員の意識も変わってきていることがわかる(これらの動議は緑の党が発議し、多数党の社会党の賛同を得て採択された)。
4月に日本政府が住民の被曝「許容」線量を年間20ミリシーベルト(これまで放射線業務従事者について定められていた年間平均の「許容」線量)に定めて以来、子どもや妊婦を含む一般市民にこの値を押しつけるのは非人道的であると、国内外の科学者や医者、市民から多くの批判や抗議の署名が寄せられた。福島のお母さん、お父さんたち、市民団体が「子どもたちを放射能から守るネットワーク」をつくり、文科省に抗議して「年間1ミリシーベルトを目指す」と言わせたが、3月中旬〜下旬の高い被曝量は本年度の累積線量に加算されない上、この線量は学校・校庭にいる時間だけが対象で内部被曝も含まれず、「目標」でしかないのだから、事態はほとんど改善されていない。
7月5日、このネットワークはじめ6団体が公表した福島市内の土壌汚染の実態(神戸大学大学院山内知也教授測定)によれば、市内4か所のいずれもがチェルノブイリ事故後に「移住の権利」(185〜555キロベクレル/平方メートル)あるいは「移住の義務」(555キロベクレル/平方メートル以上)に指定された汚染度に達している(http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1150)。7月19日にこれら6市民団体は政府相手に、避難区域外でも自主的に避難を望む人に補償を求める「避難の権利」の確立を要求した。補償が出なければ避難したくてもできない人が大勢いる上に、福島県と国はどうやら福島県から人が流出するのを防ごうとしているようなのだ。
低線量の被曝についての議論はここではしないが、広島・長崎、チェルノブイリなどの臨床例から危険性が主張されている以上、統計が不十分でも、住民の健康保全を第一に考える「予防原則」が適用されるべきだろう。ところが、チェルノブイリ事故のときに定められた「移住の権利」に該当する避難の「権利」を日本の国家は認める気がないことを知って、7月19日の交渉で地元の参加者は怒った(この様子のビデオはインターネットに流れ、フランスなど海外のブログやサイトでもとりあげられた)。
彼らが避難の権利とその補償を要請するのは、国が避難区域に指定した場所以外から「自主的」に避難する場合には、何も補償されない可能性が高いからだ。また、避難しようとする人がまわりから責められたり、避難した人が避難先で差別されたりする状況が起きているせいもある。誰だって、自分が生まれ育ち、仕事や学校に通い、家族、友人・知人関係を築いて社会生活を営んできた場所を離れたくはないだろう。避難を希望する人たちは、とりわけ子どもや若い人たちの健康を心配しているのだ。住宅ローン、仕事、高齢者や病人の世話、金銭的な事情など、避難したくても現実には移住を阻む要素は山ほどあり、すでに避難した人々もみな同様の問題を抱えている。そうしたしがらみのなかで、「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」は、「徐染が進んで帰れるようになるまで、疎開地で福島人として暮らすサテライト疎開を実現させたい」と訴えているのだ。
しかし、7月29日に文科省で催された第12回原子力損害賠償紛争審査会で示された中間指針(案)に、区域外避難者・自主避難者の補償は含まれていなかった。避難基準についても、水・食品に関する放射能許容濃度の基準についても、チェルノブイリ事故の際よりはるかに高い値を定めた日本政府や自治体の姿勢の根底には、事故発生直後から一貫して、なるべく事実を矮小化、あるいは内部被曝などについては「否認」したいという意識が働いているように感じる。例外的な規模の地震・津波の後に4基の原子炉で同時に大事故が起きた事態は、戦争に匹敵する国家の大事である。見えない敵から守るべきは国民の命と健康であるはずなのに、3.11以来の国の優先事項はどうやら経済復興のようであり、史上最大級の原発事故による被害をなんとか最小限にくいとめ、何よりまず人間の命を守ろうという意志が感じられない。
福島市や郡山市規模の都市の生活圏を移住させることは、たしかに非現実的かもしれない。だからこそ、学校を中心にしたサテライト疎開というやりかたを「子ども福島ネット」は提案しているのだ(希望者のみ疎開)。これは学校と寄宿舎、借り上げ住宅あるいは公営住宅を提供してくれる自治体や組織(寺、教会など?)、つまり公・民の援助があれば実現できるのではないか? 世界第3位の経済大国である日本には、28万人の福島の子どもたち、妊婦や近県の子どもたちを含め、疎開させて安全を守るべき人々の生活を支える経済力があるはずだ。欠けているのは政治的な意志なのだと思う。
一方で、故郷を捨てたくない、除染して農業など生産活動をつづけたいと望む気持ちも人情である。汚染された土地の再生の可能性を模索することもまた、意味のあることだろう。しかし、衆議院厚生労働委員会で怒りを隠しきれずに訴えた児玉龍彦教授が言うように、広域にわたる生活空間の徹底的な除染が大変な作業であり、長期にわたる以上、やはり優先事項は子どもたちを疎開させることではないだろうか。
8月15日に福島で、音楽やダンス、詩など多様な表現のフェスティバルを催す「プロジェクトFUKUSHIMA!」の主催者のひとり、遠藤ミチロウ氏は、3.11から戦争が始まり、自らの手で自分に落とした原爆(原発事故)によって、自分の故郷は終わりの見えない絶望的な戦争の戦場になってしまったと言う。それでもFUKUSHIMAの未来を生み出すために、福島の地から福島の直面している現実、怒り、痛み、後悔、不安、やりきれなさをぶちまけ、今いちばん危ない状況に置かれている子どもたちのために、何をすればいいのか一緒に考えたいと述べている。(http://www.pj-fukushima.jp/message_michirou.html)
この企画の主催者(主に福島出身のアーティストなど)たちは、線量が依然として高い福島でフェスティバルを行っていいものかずいぶん悩み、いろいろな人に相談したという。そして、元放射線医学総合研究所の木村真三氏(今回の原発事故の放射能汚染地図を作成している人物)を講師に招いたレクチャーも行い、木村氏の提案により、比較的線量の低い野外の会場に、さらに防護策として大量に風呂敷を敷き、表面被曝と靴底につくセシウムの拡散を防ぐという「福島大風呂敷」を実行する予定にしている。現地の線量を定期的に測定して公表し、(参加するかどうか)判断の目安にしてほしいとサイトにある。主催者のひとり大友良英氏が言うように、これは日本政府やメディアが大好きな「応援」イベントなどではなく、表現者による闘いのひとつのかたちなのだろう。
それまでの日常を根本から破壊され、命にかかわるかもしれない危険と不安に市民が脅かされるという点で、原発事故が引き起こした汚染は戦争と同じ非常事態だと思う。したがって、子どもと若い女性の疎開は、政策の優先事項に定められるべきだ。それがなされないのは、「非常事態」であることを東電も国も認めず、あたかも数か月で収束できるような希望的予測(「重大な原発事故は日本では絶対起きない」という希望的予測と同じ種類の信仰)に基づいて対策・措置を考えているからではないだろうか。これは、第二次大戦中に圧倒的大多数の日本軍の指導者や政治家がとった思考・行動様式を思わせる現実の否認だ。あるいは、国内外に事態の重大さがわからないよう情報を隠蔽し、利権を守るためには棄民もいとわないシニカルな判断なのだろうか?
第二次大戦中とは異なり、事故直後からフリーのジャーナリストは事実を探求して報道するために奮闘し、一部の科学者・技術者、医者、弁護士、市民たちが主にインターネットをとおして、テレビや新聞に載らない情報や分析を発信してきている。ところが経済産業省は7月、「ツイッター、ブログなどインターネット上に掲載される原子力などに関する不正確な情報または不適切な情報を常時モニタリングし、それに対して速やかに正確な情報を提供し、または正確な情報へ導くことで、原子力発電所の事故などに対する風評被害を防止する」ために、監視(と表現したくないからモニタリング)を業者に頼んだという。つまり、東電と政府が発表するものと異なる情報は「不正確」として監視され、抹殺される危険性があり、市民の「知る権利」が脅かされることになる。とても民主主義を掲げる政体がやる措置とは思えないが、ここにも原子力がいかに民主主義と相容れない性格のものであるかがよく示されている。いずれにせよ、市民、とりわけ子どもの命と未来を第一に考えない政体はすでに、民主主義という理念からはるかに遠ざかっていると思うが……。
2011.8.1 飛幡祐規
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