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『原発のウソ』(小出裕章)が伝える反原発40年の重み
(転載同前)
「この人でなければ書けない本」というものが、この世にはある。
原子力研究の場にいて「反原発」の立場を貫き通した小出裕章・京大原子炉実
験所助教授が、福島原発事故後に上梓した『原発のウソ』(扶桑社新書)が、
まさにそれに当たる。
小出氏は、今回の事故で一躍、「反原発の旗手」として著名になったが、「反
原発」は筋金入り。
1968年に東北大学工学部原子核工学科に入学、原子力を学ぶうちにその危
険性に気付き、「放射線被害を受ける住民の側」に立つ活動を続けてきた。
原子力の研究者が「原子力村」に属さないどころか、「反原発」で行動するこ
とが、どれだけたいへんかは想像に難くない。
62歳の今も助教授というポストが証明する。
そういう意味で、事故直後、「心配ない」「安全です」とテレビの前で言い続
けなければならなかった御用学者の対極にあるが、『原発のウソ』は、「それ
みたことか」と、異端を余儀なくされた40年の怨念をぶつける内容には、な
っていない。
むしろ淡々と、冷静に「原発のウソ」と「放射能の危険」を訴え、最後の章で
「原子力に未来はない」と、結論づける。
第一章の冒頭、小出氏は「事故の必然」をこう記している。
「原発は機械です。機械は時に事故を起こします。そして、それを造り動かし
ているのは人間です。人間は神ではありません。時には間違いを起こします。
そのうえ、この世の中には人智では計ることのできない天災もあります」
ここに事故に至った原因が書き尽くされている。
小出氏の真っ当な感覚と違い、「原子力村」では、原発は事故を起こすことの
ない「完全無欠な装置」であった。
だから、事故に対する備えはなおざりで、事故を口にすることさえタブー。
そんな環境だから、電源喪失の一点で、メルトダウン(炉心溶融)にまで至っ
たのである。
当たり前のことを当たり前に語る──。
それが異端視され、学会から干され、報酬も満足でない40年につながった。
恨みはあろうが、そうはしていない。
むしろ、「異端の扱いを受けてきました」と吐露しつつも、「原子力は危険だ、
ということに(国民が)気付き始めたようです」と、事故を機に環境が変化し
たことを喜び、「未来は変えられます。これから生まれてくる子どもたちに、
安全な環境を残していきませんか」と、訴える。
これ以上、内容に言及する必要はあるまい。
「この人でなければ書けない本」は、読み手にとっては、原発事故を知るため
に欠かせない「必読書」である。
ただ、あえて内容にふれるなら、汚染された農地の「再生はできない」と、大
胆に言ってのけつつ、汚染された農作物について「汚染されている事実」をご
まかさず、明らかにしたうえで、野菜も魚もちゃんと流通させ、「子供や妊婦
にはできるだけ安全なもの」を食べさせ、「汚染されたものは大人や高齢者が
食べよう」と言っていることだ。
その姿勢は、いたずらに騒ぎ立てる必要はないという「風説の流布」に対する
警告で、週刊誌やテレビ局が、放射線量を調べたうえで、根拠なく危険をあお
り、視聴率や販売数を稼ごうとする卑小さの対極にある。
名も利も追わない一徹な科学者が存在、警告を発し続けたことを感謝しつつ、
原発論議の前に、まず読むべき本なのである。
>>
(私のコメント)
本当はどうなっているのか? 本当のことを書いたり言ったりするのは昔から勇気のいることだが、今ほどその勇気を試されている時はない。フクシマ原発で一番先にやらなければならないのは大気に拡散しないように覆いを掛けることではないのか。
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