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殺された「東電OL」と勝俣会長の浅からぬ関係
(日刊ゲンダイ2011/7/19)
事件の“風化”にシャカリキ
東電の勝俣恒久会長(71)には秘められた過去がある。97年に起きた「東電OL殺害事件」の被害女性(当時39)との接点だ。彼女は慶大卒後、東電初の女性総合職となったバリバリのキャリアウーマン。ところが、夜には娼婦として街頭に立ち、そして殺された。
昼と夜の顔の落差がセンセーショナルに報じられた事件だが、当時、勝俣の役職は「取締役企画部長」で、被害女性の肩書は「企画部経済調査室副長」だ。つまり、2人は直属の上司と部下の関係だったのだ。
勝俣は事件の翌年に常務取締役に就任。以降、トントン拍子で社長・会長に上り詰める。
一方、東電は事件の風化にシャカリキだった。「東電OL殺人事件」を上梓した作家の佐野真一氏によれば、東電側は本のタイトルから「東電」の2文字を削らせるため、広報担当者が佐野氏を豪華な鯛釣り旅行に誘うなど懐柔工作を展開したという。
こうした隠蔽体質が災いしてか、ネット上にはさまざまな臆測が飛び交っている。被害女性が反原発を唱えたので殺されたのではないか、という類いのものだ。被害女性は、河上記念財団や東洋経済主催の懸賞論文に応募、入選を果たした優秀なエコノミストだった。社内でエネルギー源としての都市ガスを分析していたこともある。ただし、原発に関する論文を執筆した痕跡は見当たらない。
「被害女性の父親も東大卒で東京電力に勤務しており、1977年にがんで亡くなっています。亡くなる2年前には、工務部全体を統括する副部長でした」(事件を取材したジャーナリスト)
これもヘェーッという話ではある。原発事故とは関係ないけど……。
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当時の殺人現場
今も残る殺された円山町のアパート
渡邊女史の父も東電幹部であったが在職中に病死。この父娘の死には原発の影がつきまとうという。渡邊女史の父は東電公務部統括する幹部だったが当時「明るい未来のエネルギー」として期待されていた原発事業にも関わる立ち場にいた。しかし高圧の地中送電線を東京都内に引く責任者を務めてからは反原発に転じ、社内で原発の危険性を説くようになり、副部長という役職からたった1年で降格。翌年ガンで急死・・。その2年後に予測されたかのようにスリーマイル事故が起る。
当時慶応2年生だった泰子を、東電に引き入れたのはあの勝俣だったという。そして泰子は勝俣が当時企画部長を務めた企画部経済室へ。そこには現在副社長を務める企画管理課長藤原氏もいる花形部署だった。しかし勝俣、藤原の思いとは裏腹に泰子は父の意思を継ぎ、反原発へ。そのリポートは賞を取る程すぐれたものだったという。
そして・・渡邊親子が警告を発し続けたプルサーマルが本格稼働した1997年、泰子は売春婦として殺され闇に葬られた。泰子の死の翌年、勝俣は常務取締役になり、原発推進事業が加速し、今に至るという。
泰子を殺した犯人は売春客だったネパール人(実刑確定済み)とされているが、冤罪の可能性が高く、捨てられた泰子の定期など矛盾点も多い。東電の圧力で報道規制をかける事も可能だったろうこの事件。OLではなく管理職だったにも関わらず「売春婦」として報道が垂れ流された、その理由は何なのだろうか。
そして事件の真犯人、深層は。
(後略)
検出DNA型、過去の犯罪者と一致せず
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