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現在の日本が「放射能戦争」であるという認識と「放射能防御プロジェクト」の意味。
2011-07-18 07:25:32 | 福島第一原発
戦争というものは、常に形を変えて、僕らの人生に忍び寄ってくるものです。太平洋戦争やベトナム戦争のように明確な形で戦争がおきて、直接であるのか間接であるのかは別として、その状況に関わらなければならないのが、ある種の戦争としたら、近年の戦争というのは、明確な形をとらないままに、戦争状態においこまれることが多いと僕は感じています。たぶん、殆どのみなさんは認識していなかった、1995年のオウム真理教事件も、日本人の意識を巡る戦争であった事は間違いありませんし、サリンという歴史的にあまり使われていない、有機化合物の毒によって大量の人が殺害されました。あれは、日本や日本人というものの存在の根幹が問われた事件であったのですが、刑事法的な簡略化と起きた事案の根幹を隠蔽したい当局の意向があいまって、事案は矮小化され、サティアンと呼ばれた施設は全て解体され、事案の根本動機の解明は放置され、付随しておきた警察トップの銃撃事件は未解決になるという異様な展開でした。この戦争状態は、その年の間は実際続き、その後も未解決のため、数年間は日本の色んな機関に影を落としました。日本人の意識というものが、実はきちんと動かなくなっていると僕自身おもっているのは、この戦争の処理を国家も国民も適切に行えなかった事だと思います。ある意味局地的な内戦レベルの話でさえ、うまく処理できなかったことは、現在の戦争に変な影響を与えているとも思います。
近年の次の大きな戦争は、9.11。アメリカで起きたアルカイダによる同時多発事件ですが、テロという形で、相手がつきとめられない戦争が十年余り繰り返されることになりました。このときは、それぞれの国家が戦うべき相手をつきとめられないまま、一時は全世界に戦線が拡大し、テロの恐怖の名の下に、さまざまな規制がなされる時代となりました。世界市民が常時戦争状況に置かれながら、島国でなおかつ、イスラム圏と敵対的な接点がほぼない日本においては、海外渡航での危険としてしか認識しない状況でした。しかしながら、これは、世界にとっては処理しにくい問題で、なおかつその後、アメリカがイラク戦争という、この観点からは関係ない別の戦争を立ち上げたために、事態は長らく混迷を続けました。世界が実は統一した世界としてのイメージを保ちつづられない中で、この9.11からの戦争は、世界がこの流れとのせめぎあいを続けているという幻想的なスタイルを提示する事で、ある種の世界観を維持し続けたと、いえなくもないかもしれません。このため、ビンラディンの殺害という結果に至ると、パキスタン当局の二重構造で長らく事柄が進行していた実態も判明すると、世界構造の中で、共通敵と認識させようとしていた諸々が、現実には内なる敵として二重構造にあったことがあからさまになったこともあり(現場での殺害というスタイルは、象徴的には、その隠蔽目的ともいえる行為)、今の現代の支配構造の不確実さが露呈する結果になったと思います。
この、9.11戦争のある意味の結末の前に、戦争としての意識が当事国の、特に支配階級に存在していないものの、現実には女性を中心とした人々の一定数の間で、戦争状態として認識されているのが、3.11以降の日本の状態です。今回の敵は放射能ですし、チェルノブイリ事故が国家による良くも悪くも徹底的な先導によって、事態の進展が制御されていたのに比べると、実際の原子炉に対しての国家の制御というスタイルもいまだに確立されていない事のみならず、この放射能に対しての防御をどのように行うという観点から、国家の有効な防御策はなされていません。ある意味、国家による事態の矮小行為が、繰り返されているだけで、政府中枢や自治体の首長などにも、積極的にこの事態の情勢を突破するため、独自の行動をおこなう政治家がほぼ皆無という恐ろしい現実がおきています。本来、自治体の違いや政党の違いによって、現行の政府失態をリカバリーするための政治行動が始まらなければならない現実があると思うのですが、それが明確な形を取りえないという事です。このまま進むと、低線量被曝の長期化、内部被曝の進行という事態は、ほぼ食い止める方法論はなく、少なくとも、首都圏を中心とした東日本のエリアが「敗戦」状態に置かれていくと、僕は予想しています。「放射能戦争」です。低レベルの放射能の脅威を認識していれば、この戦争は尋常な戦いではなく、放射能というものに本質的に勝つ方法論が、人間には存在しない現実から考えると、できる方法は限られているという事です。さらに、この戦争の影響を心身的な形で大きく受けるのが、女性、子ども、若者であるという事が事態をつらくさせます。政府は隠蔽というスタイルに拘って、このキツイ現実を直視しないし、させないという方法論に依拠している限り、戦争の主体は、女性たちを中心とした、「子供を守る」という意識が強いグループが中心となる構図でしょうし、ある時点での政治勢力の交代がおきないかぎり、在野での色んな活動からしか、突破口がありません(大きな現実の戦争を前にして、国家は常に隠蔽を是とするのは、太平洋戦争の大本営発表のみならず、95年から癖づいている気が僕はしていますが)。
こうした観点から考えていくと「放射能防御プロジェクト」を立ち上げていくスタイルも、このブログの中で必然と思いますし、状況が取材活動に加えて、いろんなみなさんの相談を聞き続ける作業がほぼ毎日の日課になっている、僕の感覚からは、普通の事です。おそらく低レベル放射能の長期被曝、特に内部被曝との具体的な戦いをどうしていくのか、「放射能戦争」を戦い抜ける覚悟が皆さんにあるのかを問いただしたいと思います。その覚悟もなく、漫然と高みの見物を繰り返しているある種のインテリやプライドの塊な人々が、放射能を自分と関係ない話としてトークにあけくれているのは、ネットでも現実でも散見されます。戦時下において、こういう人々の意識は、実は御用学者以上に、無駄だなとつくづくおもいますし、子供や自分の身体を守ろうとしている女性たちから見れば、ある意味こっけいな話だと思います。なでしこジャパンの活躍を見ていても、日本で頼りになるのは、やはり女性だという認識なのは、間違いないですしね。
福島、宮城の全畜産農家への対応では処理できません。栃木、茨城なども同様の状態です。栃木の那須エリアは福島と状況は変わりません。東北、関東、甲信越や静岡まで全畜産農家に精査を必要とすると僕は思います。チェルノブイリのドイツでは数百ベクレルの肉で大騒ぎです。今回は数千ベクレル。当初から心配した事が現実となりました。日本政府の無能には驚くばかりですし、暫定基準でさえも安全ではないと思います。
低線量被曝、特に「ペトカワ効果」について、『人間と環境への低レベル放射能の脅威』(あけび書房)という書籍が出版されました。後日、レビューしますが、この分野で日本語で読める数すくない文献として一読を薦めます。
(略)
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