64. 2011年7月20日 03:45:58: QlEKbEjH16
放射線の人体への影響として、第一に「発がん」があげられるが、放射線によるがんと放射線以外の原因によるがんを、症状で区別することはできない。 放射線ががんを引き起こすかどうかを知るためには、放射線を受けた集団と、放射線を受けなかった集団、この二つの集団を比べて、発がん率の違いを調べるのである。 原爆を投下され大きな被害を受けた広島・長崎の被爆者を長年調査した結果、だいたい100〜150ミリシーベルトを超えると、放射線を受けた集団の発がん率が高くなることがわかっている。裏を返せば、100ミリシーベルト以下では、発がん率が上昇するという証拠がないのである。 がんはさまざまな原因で起こる。細胞分裂の際のコピーミスが基本なので、放射線のみならず、老化、タバコや酒、ストレス、不規則な生活習慣でも起こる。 100ミリシーベルトの放射線を受けた場合、放射線によるがんが原因で死亡するリスクは最大に見積もって、0.5%程度と考えられている。 現在、高齢化の影響もあり、日本人の2人に1人は(生涯のどこかで)がんになり、3人に1人はがんで亡くなっている。つまり、がんで死亡する確率は(だれにとっても)33.3%である。放射線を100ミリシーベルト受けると、これが33.8%になることを意味する。 人口1000人の村があれば、そのうち333人は、放射線がなくても、がんで死亡する。この村の全員が100ミリシーベルトの放射線を被ばくすると、がんで死亡する人数が、338人になるだろう、ということである(現実には、増加は5人以下だと思われるが)。 ところで、発がんのリスクは、実はタバコのほうがずっと大きいのである。 日本人の場合、タバコを吸うとがんで死亡する危険が、吸わない場合より、1.6〜2.0倍になる(国立がん研究センターがん予防・検診研究センター予防研究部)。 一方。2シーベルト(2000ミリシーベルト)も浴びないと、がん死亡のリスクは2倍にはならない。タバコの発がんリスクは、放射線被ばくとは比べものにならないほど高いのである。 500ミリシーベルトの放射線を一度に(勢いよく)全身に受けると、白血球が減少する。しかし、1日当たり1ミリシーベルトの放射線を、500日かけて受ける場合は、白血球は減らない。積算量は同じ500ミリシーベルトでも、放射線を浴びる期間の長短によって影響が違ってくる。 人間は一度に200グラムの食塩を摂取すると、50%の確率で死亡する。しかし、厚生労働省が日本人の塩分摂取量の目安を1日10グラムとしているように、同じ200グラムの食塩でも、1日10グラムを20日に分けて摂るなら問題はない。代謝によって塩がその都度、体外に排出されるからである。放射性物質の場合もこれに似ている。 毎時1マイクロシーベルト被ばくが続くと、積算して11.4年で100ミリシーベルトに達する。これは短時間であれば、人体に影響が出始める数値である。しかし、毎時1マイクロシーベルトという積算速度では、傷つけられたDNAが回復するなどの仕組みによって、医学的にはほとんど影響がないと言えるのである。 放射線が胎児に及ぼす影響には、奇形、胎児の致死、成長の遅延などがある。ただし、妊娠期間中に100ミリシーベルト(積算)以上の放射線被ばくがないと、これらの影響は見られていない。 妊婦(胎児)や乳児が放射線の影響を受けやすいのは、細胞分裂が活発だからである。細胞分裂のときDNAが不安定になり、傷つきやすくなるのである。 器官形成期と呼ばれる妊娠初期の2か月間が特に放射線の影響を受けやすく、また妊娠2か月〜4か月の胎児期初期も、比較的影響を受けやすいとされている。また、胎児の体が小さいことも一因である。薬でもアルコールでも、体が小さければ影響が大きいのと同じである。 赤ちゃんは「これから生きていく時間」が長いことも発がんリスクに関係する。細胞のコピーミス(がん細胞の発生)があってから、がんが検査で見つかるほど大きくなるまでには、10年〜20年ほどかかる。つまり、90歳の人が「これから新しくがんになる可能性」はゼロに近い。しかし、赤ちゃんは今後の長い人生の中で、「がんになる可能性」も高くなる、というわけである。 妊娠前の女性の被ばくによる影響が、胎児に及ぶことはない。安心して出産を迎えていただいて大丈夫である。 このことは国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告「妊娠と医療放射線」に示されている。その要旨には「胎児が浴びた放射線の総量が100ミリグレイ(=100ミリシーベルト)以下では、放射線リスクから判断して妊娠中絶は正当化されない」と書かれている。 小学生や思春期の青年の健康を心配する声もある。大人に比べればまだ小さいし、人生の長さを考えれば、同じ放射線量でも、大人より影響は大きいはずである。体の大きさや年齢などから、幼児用と成人、いずれの規制値をあてはめるか考える必要がある。 食品の規制値は、そもそも幼児の基準に合わせてあるので、かなり安全である。脱毛や白血球の減少といった「確定的影響」は、250ミリシーベルト以下の被ばくでは起きないので、心配はいらない。 放射線がカラダに与える影響には、二つのタイプがある。「確率的影響」と「確定的影響」である。「確率的影響」は「発がん」のことを指す。放射線による発がんは、遺伝子が放射線によりキズを受けることによって、がんの発生を招くことが原因と考えられる。 厳密に言えば、遺伝的影響(子孫に対する影響)も、確率的影響に含まれる。しかし、遺伝的影響は動物実験で認められたことがあるものの、原爆の被爆者を中心とした長年の詳細な研究にもかかわらず、ヒトでは認められたことがない。「確率的影響」=「発がん」が起こる確率は、ごくわずかな量の被ばくであっても上昇し、被ばくした放射線の量に応じて増加するとされている。これ以下の線量ならば大丈夫という境目=しきい値(閾値)はないことになるが、これはたった一つの細胞の異常(遺伝子の変化)であっても、それががんになる可能性を否定できないからである。 しかし、100〜150ミリシーベルト未満の放射線被ばく(全身被ばくの積算)では、発がんの確率が増すかどうか、はっきりした証拠はない。 国際放射線防護委員会(ICRP)などでは、実効線量で100ミリシーベルト未満でも、線量に従って、一定の割合で発がんが増加するという「考え方」を’念のため’採用している。 これは、100ミリシーベルト以下でも発がんリスクが増えると考える方が、被ばくが想定される人々にとって「より安全」であるという理由によるものである。 「確率的影響」と区別しなければならない、生物に対する放射線の影響がある。「確定的影響」である。こちらは、髪の毛が抜けたり、白血球が減ったり、生殖機能が失われたりするものである。 この「確定的影響」は、放射線で細胞が死ぬことによって起こる。逆に、(確率的影響)である発がんは、死なずに生き残った細胞に対する影響と言える。人間の場合では、遺伝的影響(子孫への影響)は、広島・長崎では観察されていないので、「発がん」以外の影響は、確定的影響だと考えてよいことになる。 放射線のダメージを受けて死亡する細胞が増え、生き残った細胞が、死んだ細胞を補えなくなる放射線の量が「しきい値(閾値)」である。放射線の量が、しきい値に達すると障害が現れるが、それ以下であれば大丈夫というわけである。 わずかな量の放射線を浴びても発生する「確率的影響」と、ある程度の放射線を浴びないと発生しない「確定的影響」(脱毛、白血球の減少、生殖機能の喪失など)は、区別して考える必要がある。 2011年3月24日、3人の作業者が、足の皮膚に等価線量(局所被ばく)として2〜3シーベルト(=2,000〜3,000ミリシーベルト=2,000,000〜3,000,000マイクロシーベルト)の放射線を浴びたと報じられた。3シーベルト以下であれば、皮膚の症状(放射線皮膚炎)はまず見られない。しきい値に達しないからである。 実効線量(全身被ばく)で250ミリシーベルトを超えないと白血球も減らない。この線量が、すべての「確定的影響」のしきい値である。これより低い線量では、確定的影響は現れない(男性の場合、100ミリシーベルトで、一時的な精子数の減少が見られる。ただし、子供に対する奇形などの遺伝的影響は、広島・長崎でも、見られていない)。 そして、私たち一般市民が実効線量で250ミリシーベルトといった大量の被ばくをすることは、まず想定できないのである。私たちが心配すべきは「確率的影響」、つまり、発がんリスクのわずかな上昇だけである。その他のことは、問題にならない。 今、福島第一原発の事故で、放射線被ばくを心配する人が大勢いる。 たしかに、私たちの細胞は、放射線によりダメージを受ける。しかし、生命が地球上に誕生した38億年前から、私たちの祖先はずっと放射線を浴び続けてきたから、細胞はDNAのキズを’修復’する能力を身につけている。自然被ばくのレベルから放射線量が増えても、余裕を持って対応できる。 ところが、大量の被ばくになると、’同時多発的’にDNAの切断が発生するため、修復が間に合わなくなり細胞は死に始める。500ミリシーベルトといった被ばく量になると白血球の減少などの「確定的影響」(しきい値がある障害)が発生する。逆に、しきい値以下の線量では、確定的影響は見られないが、200ミリシーベルトという低い線量でも、発がんの危険は上昇する。 被ばく量と発がんリスクの上昇についての関係は、広島・長崎の被爆者のデータが基礎になっている。原爆での被ばく量は、爆心地からの距離によって決まるから、被爆時にどこにいたかがわかれば、被ばく線量は正確に評価できる。 たとえば長崎では、爆発した時に出た放射線(初期放射線)は、爆心地から半径3キロ付近で7ミリシーベルト、3.5キロ付近で1ミリシーベルトだったことがわかっている。この他に、初期放射線によって放射化された土や建物からの放射線(残留放射線)もあったが、急速に減少し、短期間でほとんどなくなった。(長崎では爆心地から100メートル地点での初期放射線量は約300グレイであったが、原爆投下24時間後には0.01グレイまで減少したとされる。) 現代日本人は、リスクの存在に鈍感である。今回、突然降ってわいた、「放射線被ばく」というリスクに日本全国で大騒ぎをしているが、他にも、私たちの身の回りに、リスクはたくさんある(国立がん研究センター がん予防・検診研究センター予防研究部)。 たとえば、野菜は、がんを予防する効果があるが、野菜嫌いの人の「がん死亡リスク」は150〜200ミリシーベルトの被ばくに相当する。受動喫煙も100ミリシーベルト近いリスクである(女性の場合)。 肥満や運動不足、塩分の摂り過ぎは、200〜500ミリシーベルトの被ばくに相当する。タバコを吸ったり、毎日3合以上のお酒を飲むとがんで死亡するリスクは2倍くらい上昇するが、これは2000ミリシーベルトの被ばくに相当する。つまり、今回の原発事故による一般公衆の放射線被ばくのリスクは、他の巨大なリスクの前には、’誤差の範囲’と言ってもよいものである。(とくに100ミリシーベルト以下の被ばくのリスクは、他の生活習慣の中に’埋もれて’しまう。) ただし、喫煙や飲酒などは自ら’選択する’リスクであるが(リスクと知らずに選択している場合も多い)、原発事故に伴う放射線被ばくは、自分の意志とは関係ない’降ってわいた’リスクである。放射線被ばくは、その意味で、受動喫煙に近いタイプのリスクと言えるであろう。 「ゼロリスク社会、日本」の神話は崩壊した。今回の原発事故は、私たちが「リスクに満ちた限りある時間」を生きていることを再考させる契機である。 放射線の人体への影響を考える場合、積算値で年間100ミリシーベルトを基準にする。放射線医学総合研究所が作成した「放射線被ばくの早見図」を参考に説明する。 http://www.nirs.go.jp/data/pdf/hayamizu/j/0407-hi.pdf 広島・長崎の被爆者を長年追跡調査した研究結果から、積算値が100ミリシーベルト以下の場合、人体に明らかな影響があるとは言えない。(具体的には発がん率の上昇が見られないのである。) とはいえ、人命に関わることなので、「証明はできないが、ほんのわずかに危険性が増しているかもしれない」ということを想定して、許容できる放射線量の基準を設けているのである。これを「安全側に立つ」と言う。 そもそも、緊急時ではなく、平時における一般公衆の年間線量限度は1ミリシーベルトである。これが世界標準。他方、自然放射線量は、日本平均で1.5ミリシーベルト、世界平均だと2.4ミリシーベルトである。平時では、自然被ばくの他に、年間1ミリシーベルトまでの被ばくを許しているわけである。 国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告では、緊急時の場合、年間20〜100ミリシーベルト、復興時には年間1ミリシーベルトに戻すべきだとされている。 福島第一原発の事故に際して、日本政府が当初採用した基準は、予測される実効線量が10〜50ミリシーベルトならば屋内退避(福島第一原発から半径20〜30キロ圏内)、50ミリシーベルト以上ならば避難(同、20キロ圏内)というものであった。 これは、原発事故から1〜2日というような短期間に大量の放射線を受ける場合の健康被害を想定して作られたもの。放射性物質は必ずしも同心円状に広がるのではなく、風向きや地形に左右されるため、20〜30キロの内外にかかわらず、積算線量の高いところと低いところが出てくる。また、長期間にわたって積算された被ばくを想定していなかったので、政府は新たな基準を策定した(2011年4月11日)。 それによると、「計画的避難区域」は、事故発生から1年の期間内に積算線量が20ミリシーベルトに達する恐れのある区域。国際放射線防護委員会や国際原子力機関(IAEA)の基準を考慮したものである。(1カ月を目処に避難が求められていたが現在も続いている。) また、「緊急時避難準備区域」は、これまで「屋内退避区域」となっていた福島第一原発から半径20〜30キロの区域のうち、「計画的避難区域」以外の区域を指す、とされた。 基準値は、事故直後の「緊急時」から、復興途上の「現存被ばく状況」、そしてそして「平時」へと段階的に移行するべきものである。 現在私たちが置かれているのは「現存被ばく状況」である。「平時」の基準を適用することは現実的ではない。(とはいえ、現存被ばく状況の「年間積算量20ミリシーベルト」は暫定的な基準であり、平時の1ミリシーベルトに近づける努力は必要である。) また、こうした基準値は、絶対的なもの、これを超えること自体が「危ない」ものだと考えるべきではない。私たちが抱えているのは被ばくのリスク「だけ」ではないからである。避難や規制に伴うさまざまなリスクや心理的な負担と、被ばくのリスクを勘案し、より「まし」な方を選択しなければならない。 もちろん、原発事故により、不要なリスクを抱え込むことになったこと自体は、悲しむべきことである。しかし、こうなっってしまった以上よりよい方向を探るしかない。どんな選択でもリスクがゼロということはないのであるから。 リスクを引き受ける当事者が主体となり、その実情に応じた柔軟な対応がなされることが望ましいと言えるであろう。 |