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九州電力の「やらせメール」をどう考える
http://diamond.jp/articles/-/13111
2011年7月13日 山崎元のマルチスコープ :ダイヤモンド・オンライン
■経営側の問題はシンプル
先週末の「ダイヤモンド・オンライン」、「ザ・世論 ウィークエンド投票箱」の「あなたならどうする?九州電力やらせメール事件」は大変興味深い調査だった。
既報の通り、九州電力では、佐賀県民向けの説明会とテレビ番組に対して、原発運転再開に賛成する意見をメールするよう、同社社員や関連会社の社員に向けて広く働きかけたことが問題になっている。
社内のメールやイントラネットの掲示板などを通じて、数千人がこの指示に接し、発信元のURLを九電関連以外のものとするべく、「なるべく自宅のパソコンからメールを送るように」という指示を参考としつつ、数十人が玄海原発運転再開につながる意見を送ったようだ。
報道によると、子会社の社員が指示に疑問を持って地元の共産党に情報を持ち込んで告発したことから九電本社の指示が発覚したようだ。社長は、今のところこの「やらせ指示」について関知せず、指示について知っていた最高責任者は先般の株主総会で退任した副社長らしいということになっているようだが、既に幾つかのメディアが社長の辞意を報じており、社長の引責辞任は避けがたい情勢と思われる。
事件の名前は便宜上「九電やらせメール事件」としておくが、この事件を経営側の問題として見ると、コンプライアンスとリスク管理の両方の認識を欠いたマネジメントの極端な能力不足と整理することができる。
数千人に及ぶ自社社員や子会社社員にこうした指示を発することが、経営上どのくらい危険で且つ社会的に不適当であるかということに管理職の社員が思い至らないのだから、ビジネスマンとしてお話にならない。
子細に検討すると、自社や子会社の社員の倫理意識やプライドにまで思いが至らない経営者の貧しい精神性に遡る問題であるのかも知れないし、監督官庁まで含めた電力業界の「メディアはコントロールできる」と思う体質に問題があったのかも知れないが、それ以前に、経営的危機管理能力が全く欠如していた。
はっきり言って、こんなに無能な人たちが関わっていることだけで、原発の「ストレス・テスト」は不合格だと思わざるを得ない。
■社員の論点は複雑
さて、まさに今回のアンケートが読者に問うている点だが、九電から「やらせメール」を送るよう指示を受けた九電社員あるいは九電の関連会社の社員が、この問題にどう対処するべきかという問題は、少々複雑だ。
アンケートの回答を見ると(7月11日午前零時投票締め切り)、先ず、やらせメール指示に対しては、「言語道断」が56%(小数点1位以下四捨五入、以下同じ)、「気持ちは分かるが、よろしくない」が31%、「営利企業として当然の行動」が13%だった。
また、今回の九電やらせメール事件のように、自分の勤務先の会社から有利な世論誘導のためのメールを送るように指示された場合に、読者ならどうするか、という質問に対する回答は、「仮に会社と自分の意見が合っていても、メールしない」が40%、「会社の指示と自分の意見が合えば、メールする」が32%、「マスコミ等に告発や密告をする」が18%、「会社の指示に従ってメールする」が6%、「わからない」が4%という結果だった。
第一の論点は、営利企業、あるいは何らかの組織は、その目的のためにこの種のアンケートに対して有利な回答を「やらせ」で送ることを関係者に呼び掛けていいのかどうか、という点が案外定かではない。
世間一般では、オールスター戦やタレントの人気投票のような機会に特定のファンの集団が組織票的な投票を呼び掛けたり、新規開店のラーメン屋が「さくら」にお金を払って行列の動員をかけたり、さらに政治の世界でもタウンミーティングに主催者側の立場から発言する用意のある参加者を「仕込む」といったことが、日常的に行われている。
「九電やらせメール事件」の場合は、社会的に重要な問題に関して、一般に誤解を与えかねない形で賛成の意見を送りその数を操作した点に大きな問題があるが、上記のような「仕込み」とどこに本質的な差があるのかを確定することは難しい。
九州電力の社員や関係者であることを隠してメールを送ることはフェアでないから、好ましくないとは言えるかも知れないが、送ったメールの内容が「意見として正しければ、いいのではないか」という立論は可能だ。
また、会社から指示があってもなくても、「個人として」原発再稼働に賛成の強い意見を持っている社員がいてもおかしくはない。この場合、この社員が自宅のパソコンから、一個人として賛成メールを送ることは、悪いことなのか。
彼(彼女)は、指示がなくてもメールを送りたいのだろうし、また、「会社から指示があったら、メールを送ってはいけない」というのは、会社の関係者として会社を慮ったリスク管理への協力としては理解できるが、一市民としての個人の自由な意見表明に対して、不当な制約であるとも考えられる。
■結局、何が問題なのか?
指示が漏洩する可能性を考え、また世論の反発を考えたときに、経営者・管理者が「やらせメール」の指示を社員に送ることは、ビジネスの文脈で「言語道断」にダメなことははっきりしているが、指示の受け手である社員や関係者の側がどう考える行動すべきかについては、はっきりした答えが出ない。
たとえば、会社の指示と自分の意見が一致しても、メールを送らないという人は、会社に対する協力の心が乏しいのではなく、会社のリスク管理を思うと自分がメールを送らない方がいいと考える、愛社精神が旺盛で、経営者よりも能力的に優れた思慮深い社員なのかも知れない。
では、九電やらせメール事件のようなケースでは、何が問題で、それはどう改善できるのか。
一つには、意見は、実名で立場を明らかにして述べることが好ましいということだろう。意見というものが、論者の立場に影響される可能性があるものであることは否めない。発言に責任を持つという意味でも、意見は、実名で立場を明らかにして述べることが「より好ましい」。
「私は、九電の社員ですが、原発運転再開を支持します」と堂々と述べて、根拠を挙げて論陣を張るなら、この人の意見には耳を傾けるべきだろう。「あなたは、九電の人だから」という理由だけで、この人の意見を却下する訳にはいかない。
一方、実名での意見表明の意義を認めるとしても、匿名でも、正しい意見や情報はそれ自体として貴重なはずだ、という議論は、依然としてあり得る。
また、より本質的な問題としては、説明会なりTV番組なりといった、意見を募っている場で、議論が成立していないということが実は問題なのではないか。たとえば、原発の運転再開に当たって、何を基準に判断することが妥当かについて議論せずに、賛成論・反対論を一応聴取して紹介します、というだけでは、そもそも市民の議論として十分な深みがない。今回の九電やらせメール事件では、原発運転に賛成する意見の約3割が指示を受けた九電関係者のメールであったようだが、議論を抜きにした支持・不支持何割という数字をいかにも意味があるかのように扱うのは、良いこととは思えない。これは、単なる多数決のアンケートであって、民主主義の名に値しない。
悪くすると、両方の意見を聴取し検討したとして、賛否何れの立場からでも、アリバイ工作に利用されるだけだ。
意見や議論の内容に意味があるのではなくて、賛否の数に意味があると取られかねない議論の不在の状況でこそ、「やらせメール」の影響力が大きな問題となるとも言える。
暑い夏の最中に起こった「九電やらせメール事件」だが、その背景には、リスク感覚無き電力会社経営と共に、議論無き民主主義のお寒い現実があるようだ。
◇
やらせメール、組織的行為と認定…九電の報告書
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110712-OYT1T01200.htm
2011年7月13日03時08分 読売新聞
玄海原子力発電所(佐賀県玄海町)2、3号機の再稼働を巡る九州電力の「やらせメール」問題について、九電が経済産業省に提出する調査報告書で、当時の原子力発電担当の段上(だんがみ)守・元副社長(6月下旬に関連会社社長に就任)の指示を発端にした組織的な行為だったと認定することが12日、わかった。
複数の九電幹部によると、段上氏は、説明会(6月26日)の開催と、ケーブルテレビの番組での生中継が決まった後、原子力発電本部の中村明部長(現・原子力発電本部副本部長)を通じて番組への対応を命じた。これを受けて、同本部の課長級社員が6月22日、子会社4社と3事業所(玄海原発、川内原発など)にメールで指示。段上氏は、佐賀支店長にも同様に指示し、賛成メールの協力要請は取引先まで及んだ。
報告書では、段上氏らから具体的方法の指示はなく、メール送信は課長級社員の判断だったと認定。ただ、社員の行動は予想できたうえ、社員からのメールや口頭での報告によって指示内容を知りうる立場にあったとして、上層部の責任は免れないと結論づける。
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