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ウルリッヒ・ベックの『危険社会』を斜め読みして考えたことを記す。この本は、チェルノブイリ原発事故の衝撃に対する応答として書かれた。つまり、旧ソ連が大量被爆覚悟でリクビダートル(掃除人)をチェルノブイリ原発事故処理に投入しなければ、ヨーロッパ諸国に人は住めなくなっていた―破局目前であったことに対する驚愕が執筆の背景にある。
今回の福島の事故によって、まず、「健康」が「高級財」となった。いまや、セシウムの入っていない高価で安全な食べ物・飲み水を常時用意できる階層とそうでない階層とでは、長期的な健康度が異なり、子孫の遺伝子を含めて傷ついていない遺伝子を持った健康な人々は結婚相手としても高い人気を誇るようになるだろう(あるいは屈強な労働力として採用したくなる人々となるであろう)。それほど、原発事故前と同等水準の健康度を保つことは困難になった(要するに健康であるということは高級財だ)。放射能は、幽霊のようにあらゆる日用品・加工食品・生鮮食料品に入ってくる。忍び寄る放射能リスクに対して防御手段が取れる人とそうでない人とでは、圧倒的に健康度に差が出てしまうし、長期的にみたら、生の質(Quality of Life)にも圧倒的な差が出る。ここで対処の仕方について冒涜的だが人々を分類してみる。
1.放射能という危険に曝されていることを自覚できない人、理解できない人
⇒哺乳類未満
2.それらのリスクを自覚し、理解できるが対処手段が分からない。
⇒猿人、ネアンデルタール人
3.それらのリスクを自覚・理解できるが間違った対処法を採用してしまう(例えば、イソジン飲んで放射能を解毒とか)。
⇒ヴァレリーならアフリカの土人と呼んだ人々
4.それらのリスクを自覚・理解でき、必要なら栄養工学を学ぶだけの知力があり、リスクに対する情報収集能力もあることで正しい対処法を採用できる人。
⇒ホモ・サピエンス
日本国全体として圧倒的に生活の質が低下したわけだが(要するに制約が非常に多く、生活しづらくなった)、所得および知力の面からの階級格差が健康格差に直結するようになった(中世の貧民街は生活環境として劣悪であり、不衛生であるがゆえに不健康な人が多かった。現代でも、発展途上国の工業地帯周辺で煤煙等を直接被る居住エリアやゴミ捨て場近辺は、現代の貧民街[スラム]といえるが、首都圏全体がこの貧民街になってしまったといえる―不必要に多い自動車による排気ガスと狭い住居によって貧民街の要件を満たしているところに、最後の一撃として放射能が降り注ぎ、名実ともに「スラムの惑星」の一員となった。放射能は目に見えず、感覚器官で汚染度合いを知覚できないので、まさかスラム街のようなところに我々が住んでいるとは思えないだろうが、しかし、実態は、有毒物質が充満するスラム街と何ら変わらない―日常生活のゴミもセシウムのせいで処理できないのでその辺に放置され、悪臭を放つようになるだろう―。また、将来は放射能を原因とする奇形児を見てもさほど驚かなるようになるだろう。)。スラム街に住みながら、自分だけ安全な食物・飲料水・空気を手に入れるのは、大変面倒であり、苦労を伴う。それに生活の質が低下したエリアに留まることはリスキーだ。当然スラム街の居住価値は低いので、土地の値段も下がるだろう。汚染された大地を所有しても、利活用さえままならないため、どんどん価値が減価してゆく。
健康は、生活の質を支える基底財とも言えるが、かくしてこれが非常に高価になった。したがって、高い生活の質を享受できる人はますます少なくなるだろう。生活の質がある程度高くないと不幸であるだろうから、国民全体の不幸度も増すだろう。
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