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日曜日(10日)朝にBS−TBSで放送された「徹底討論 われらの時代」で、民主党代議士寺田学氏が原発に関する思いを語った。
ご存じのかたも多いと思うが、秋田の横手出身の寺田代議士は、菅首相の側近と言えるひとで、3月26日に馬淵首相補佐官と入れ替わるかたちで首相補佐官をやめた後も、新聞記事の「首相動静」を読んでいるとまたなのと思うほど、ひっきりなしに首相官邸に出入りしていた人物である。
(父親は元秋田県知事で現在みんなの党参議院議員寺田典城氏)
放送で原発について問われた寺田氏は、3月11日の原発事故が起きるまでは、エネルギー供給力として原発を評価し、原発プラントの輸出も積極的に推進していたが、事故を契機として原発に対する考えからが180度変わったと語った。
その契機の一つとして、事故発生翌日の3月12日に菅首相とともにヘリコプターで福島第一原発を訪問したときの体験談を話した。
「ヘリコプターに乗り込み原発をぐるっと回って帰ろうとしたとき、菅首相が付けていた線量計のアラームが鳴った。このとき、まだ子どもがなく将来は欲しいと思っていた私は、これで子どもがつくれなくなるかも知れないと思い恐怖を感じた」
そこまでの認識と恐怖心を持っていながら、首相補佐官として国民に対してなんともデタラメな放射線防護策しか採らなかった状況を放置していたことを強く非難する。
それと同時に、その反省がないまま自分の恐怖体験のみを語る“若さ”を寺田氏に感じるが、“脱原発”的方向を模索している菅首相と基本的に同じ立場にあるようだから存在意義はあると思う。
首相補佐官を辞めた寺田氏を毎日のように首相官邸に呼び寄せていた菅首相も、おそらく寺田氏と同じように、「原発観」の大きなシフトがあったのだろう。
菅首相の場合は、社会市民連合時代の「原発観」への“先祖がえり”かもしれない。
3月12日の福島第一原発訪問については私も強く非難しているが、菅首相や寺田代議士が原発に対する考え方を大きく変える契機となったのなら、まあそれなりの意義があったとも言えるだろう。
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