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小出裕章氏の著書「原発のうそ」から
もう一つある章を紹介したい
「核のゴミ」は誰にも管理できない
日本が原子力発電をはじめてから、
まだ45年しかたっていません。
・・・・省略・・・・・・・
日本の家庭で電気が
使えるようにたってから、125年。
それなのに低レベル放射性廃棄物は
「300年間お守りをする」などという
約束をしている。
でも300年先の世界なんて、
想像できますか?
今から300年前は、忠臣蔵の討ち入りの
時代です。その時代に生きていた人たちは、
今日、私たちがこんな生活をしているなんて
決して想像できなかった。
今の私たちだって
「300年後の日本人がどんな生活をしているか」
なんて想像できません。
・・・・省略・・・・・・
日本という国は、明治維新が起きてから
ようやく近代国家になったといいます。
それより前は「士農工商」の世界で、
侍は刀を持ってちょんまげを結っていました。
それからまだ143年しか経っていません。
アメリカ合衆国の歴史はわずかに235年。
日本やアメリカという国すら存在している
のか分からないのに未来まで、放射能のゴミ
をどうやって責任をもって管理していく
というのでしょうか。ましてや、
高レベル放射性廃棄物を管理する100万年
という時間は、何をどう考えていいのか
分からないほどです。
このような途方もない作業にかかわる
エネルギーは、原発で得たエネルギーを
はるかに上回ってしまうでしょう。
CO2の放出も膨大になるでしょう。
なにより、見知らぬ子孫たちが100万年間
汚染の危険を背負いながら、また莫大な
コストを支払い続けながら、「核のゴミ」を
監視しなくてはならないのです。
はるか未来の子孫にすべての負債を
押し付けることで原子力発電が
成り立っているというとだけは、
忘れないでいただきたいと思います。
by 小出裕章
このような視点から見れば
小出さんが言うように
『たかだか電気』ではなかろうか。
このようなとてつもない時間、
「負の遺産」を背負い続けるのであれば、
私はテレビもパソコンも放棄しても
いいと思います。
原発から毎日出される
「低レベル放射性廃棄物」が詰められた
ドラム缶が2005年の段階で70万本。
各原発、数千本単位で溜め込み、
冷やし続けている「使用済み核燃料」。
そして、一番大きな問題が「廃炉」
だそうです。原発自体が巨大な
核のゴミと化すわけです。
この莫大な量の核のゴミを
日本のどこに保管するのでしょうか?
さらに、誰が責任を持って、
300年、数千年、100万年と
冷やし続け、保管するのでしょうか。
例えば、千年前というと
平将門が関東で活躍していた時代だ。
そこから何回福島に津波が押し寄せたか。
浜岡では何回地震が起きたか。
富士山は何回噴火したのか。
莫大なコストと労力、
さらに原発で作られた以上の
電気を使うことになる。
それに、原発が二酸化炭素を出さない
クリーンなエネルギーというのは
真っ赤な嘘!
ウランを掘り出し、運送、精錬、濃縮、加工と
その段階で大量のエネルギーが使われ、
そのほとんどが石油などの化石燃料です。
そして、原発というのは
「コンクリートのお化け」、
中は「鋼鉄のお化け」です。
これらを作るにもとてつもない量の
二酸化炭素を排出します。
原子力のPRにも
「原子力は二酸化炭素を出さない」
から
「原子力は発電時に二酸化炭素を出さない」
に、いつの間にか変わったようです。
いつの間にか「発電時に、、」が
付け加えられたようです。
さらに原発は大量の熱を
海に捨てている。
核分裂で発生するエネルギーの
3分の2は捨てているらしい。
東京電力の発電量が
日本全体の3分の1。
原発による発電量が
だいたい3分の1。
ということは、
東京電力で作られている
すべての電気の2倍の熱が
海に捨てられていることになる。
網目のように張り巡らされた
都内の電車網。
ビル、駅、デパートあらゆる空間に
完備されている冷暖房施設。
ネオン、自動販売機、コンビニ、
工場、学校、病院などなど
関東圏だけで莫大な電気を
消費している。
その二倍の量の熱エネルギーが
毎年海に捨てられている。
日本の温暖化って、これも
大きく作用しているのでは
ないだろうか。
原発を稼動し続ければ、
大量の二酸化炭素を出し、
海水を温める。
そのため、気温が上がり
クーラーが必要不可欠になってくる。
夏場のピーク時にクーラーを
大量に使って電気が必要になるから、
原発を作らなくてはならない
ということになってくる。
一体原発は誰のために
造られるのだろうか。
もう一度、自分たちの生活を
考え直す必要があるのでは
なかろうか。
ドアなんて自動で開かなくても
いいんじゃないか。
エスカレーターなんか使わずに、
自分の足を使ったほうが
はるかに健康的では
なかろうか。
身の回りのことで
やれることは自身でやった方のが、
はるかに健康的で自立した精神が
宿るのではなかろうか。
現状でも十分足りている。
過剰な快適を求めれば、
とんでもない危険を抱え込む
ことにつながる。
もう一度、よくよく考えなおしませんか。
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