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核の廃棄に取り組むということ・10万年の未来へ
http://pub.ne.jp/shimura/?entry_id=3765646
2011年07月08日11時54分 志村建世のブログ
今年5月18日深夜(19日0時)に放送されたBS世界のドキュメンタリー「地下深く永遠(とわ)に〜核廃棄物10万年の危険」の重みが、今さらのように迫ってくる。2010年にデンマークで制作された番組で、その年の環境映画祭グランプリを獲得している。日本では今年2月に放送されたが、まだ震災前であまり注目されず、私も見ていなかった。原発関連シリーズとしての再放送で見られたのは幸運だった。
紹介されているのはフィンランドの事例で、地下500メートルの岩盤に巨大な核廃棄物の貯蔵所を作っているのだ。これは「オンカロ」と呼ばれ、現地語で「隠し場所」を意味する。フィンランドは原発大国ではないが、核廃棄物を自国内で最終処分する方法はこれしかないと決断して、国家予算を投じることとした。工事は進行中で、ここに順次廃棄物を収納し、核廃棄が完了する100年後に入口を封鎖する予定だという。
ヨーロッパの基準によれば、核廃棄物の放射能が生物にとって有害でなくなるまでには、少なくとも10万年を要するという。そうするとオンカロは、10万年後の未来まで安定していなくてはならない。10万年と言えば、人類には石器時代までさかのぼる長さになる。10万年後の未来にも、今と同じ人類の文化が継続していると期待できるだろうか。「ここは危険だから決して開けてはならない」ということを、どのようにして未来に伝えたらいいのか。あるいは興味を持たれないように何もしない方がいいのか。
哲学的とも思えるこのような課題が、今現在の問題として議論されているのは衝撃的だった。私も、今の英語で書いてある記録も読めないような未来人を、人類と考える必要があるのかと、一瞬は考えた。しかしそれでは地球に住む生き物としての責任を放棄することになる。つまるところ、人間の利己心はどこまで許されるのか、という問題になるのだ。
良心的な北欧の小国が取り組んでいる具体的な対策は、私たちに改めて核エネルギーに依存することの重大さを教えてくれる。クリーンで安価だと宣伝されてきた裏に隠されてきた「後はどうなろうと、今さえよければいい」とする思想の罪の深さを知るべきなのだ。原子力村を支配していたのは、究極の「自己チュー」に他ならなかった。彼らが悔い改めるまでは、追及の手をゆるめてはならない。
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核の廃棄を見届ける楽しみ
http://pub.ne.jp/shimura/?entry_id=3767506
2011年07月09日11時49分 志村建世のブログ
昨日の当ブログのカウンターが、新記録の4895に跳ね上がり、アクセス数も8000を超えたのには驚きました。ヤフーニュースのヘッドラインで「ストレステスト」の記事が関連情報として紹介されたのが大きかったようです。同時にNPJ(News for the People in Japan)の「お薦め論評」に「点検中の原発がフル稼働」と「核の廃棄に取り組むということ」の2本が入っていました。また、ライブドアのウェブ上の論壇誌「BLOGOS」からお誘いがあり、この7月6日から当ブログの転載が始まりました。
70代になってから始めたインターネットのおかげで、世の中との縁を切らさずに暮らすことができました。思いがけぬリアルの友人・知人も得られて、全国に訪ねて歩く楽しみも得ました。リアル世界と遊離しない現実感は、これからも大事にしたいと思っています。
それと同時に近頃痛感するのは、日々蓄積されるブログは「文献」になって行くという事実でした。どんなに古い記事でも、検索でたどりついて読まれ、役に立つ場合があるようなのです。その場合、アクセス解析やコメントなどを通して自分が過去記事を思い出し、新しい読者と会話することもあります。これは書籍だけの時代には考えられないことでした。
今の問題に話をもどすと、核エネルギーの扱い方にどのような始末をつけるかが、今世紀の最大の課題になりそうです。兵器としての核は廃絶する他はないのは自明のことだと思います。このブログで書いたような気がして、検索では出てこないのですが、私の夢は各国がすべての核ミサイルを宇宙空間に放ち、「宇宙花火大会」を楽しんでお終いにすることです。
原発の廃棄物は分量も多いし、ロケットで全量を太陽へ送るのは難しそうです。フィンランドのように地中深くに埋めるのが現実的なのでしょう。ただし日本で確実に大陸プレートの中に埋め込み、マントルの中へ溶かすとしたら、500メートルの深さでは不充分です。
それよりも、放射性物質から放射能を除去する技術はどうなっているのでしょう。人工的に不安定元素を作り出したのですから、人間が作り出したものは、基本的に人間の技術力で解体できる筈だと考えるのは荒唐無稽でしょうか。理論的には可能と聞いたことがあります。
今の核技術は、人間とは共存できないレベルのものでした。それは戦争に使う必要から無理やりに実用化された「戦争の落とし子」でした。その後始末をどうつけるか、筋道が見えてくるのが楽しみです。
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