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「原発を止めると電力が不足し、
大変なことになる」
とかなんとか、
ホントなのだろうか?
そんな疑問に、真っ向から答えて
いるのが京都大学原子炉実験所の
小出裕章助教。
小出裕章氏の著書「原発のウソ」の中の
一部を書き起こした
原発を止めても困らない
原発は現代社会にすさまじい重荷になって
のしかかっている。この恐怖から解放される方法は
ただ一つ、
「原発を止めること」ただそれだけです。
、、、、、(省略)、、、、、、、、、、、
原発を止めたとしても、実は私たちは
何もこまらない。
確かに日本の電気の約30%は原子力発電ですが、
発電設備全体の量から見ると、実は18%にすぎません。
なぜその原子力が発電量では約30%に上昇して
いるかというと、原子力発電所の「設備利用率」だけ
を上げて、火力発電所を休ませているからです。
発電所は止まっているときもあるし、必ずしも
フルパワーで動かしていません。
それでは設備のどのぐらいを動かしているのか
というのが「設備利用率」です。
2005年の統計によれば、原子力発電所の
節義利用率は約70%です。原発は一度動かしたら
一年間は止めることができません。
それで逆に電力が余ってしまい、消費するために
揚水発電所という高コストな設備を造っていることは
すでに紹介しました。
一方、火力発電所は約48%です。つまり半分以上が
止まっていたということになります。
今回の地震と津波で、原発が止まって電力不足に
なったような印象がありますが、実は違います。
火力発電所が被害を受けたことが大きな理由です。
それでは、原発を全部止めてみたとしましょう。
ところが、何も困りません。
壊れていた火力発電所が復旧し、その稼働率を7割まで
上げたとすれば、十分それで間に合ってしまいます。
原発をとめたとしても、火力の3割をまだ止めて
おけるほどの余力があるのです。
それだけ多くの発電所が日本にはあるのです。
なるほど、、、。
火力、原子力などなど、日本において
発電所は有り余っている。
原発を止めても、火力発電の稼働率を
48%から70%ほどにすれば、
十分まかなえる。
さらにこの本の別の章であるが、
小出氏は夏場のピーク時について
こんなことも言っていた
「ピーク時にいったいどれだけの電気を
使っていたのかというと、これまで
火力と水力でまかなえる電力の合計以上に
なったことはほとんどない。
1990年代の一時期、確かにわずかに
たりなくなったことはあるが、企業などの
自家発電で吸収できる範囲です。
しかも、「ピーク時」というのは
真夏の数日間、さらにその午後の数時間
にすぎない。その時に少し節電すれば
十分乗り切れる」
と、、、。
こうなると、原発というのは
いったい誰のために造られ続けているのか。
火力と水力で足りる。
さらに企業の自家発電を稼働すれば、
まったく原発など造る必要がない。
それに街にでれば、
過剰なエレベーター、エスカレーター、
自動ドア、ネオンに自動販売機、
冷蔵庫だらけのコンビニの数。
家庭内でも、シャワー付き温トイレ、
テレビ、ビデオ、ステレオ、パソコンなどなど
いつの間にか、コンセントが足らないくらい
過剰に電気を使っていないだろうか。
また、電力会社が押し進めている
「オール電化」。
ガスやお風呂など、熱としてエネルギーを
利用するが一番非効率。
今まで電力会社は、電気を使わせよう
使わせようとしてきた。
もう一度よくよく考える必要がある。
過剰な便利さ快適さ
本当に必要なのだろうか?
小出さんは、この本の最後に
「知足」と言う言葉をもちいて、
消費社会の価値観を変えることを
語っておられる。
もしかしたら、
テレビがなくても生きていけるのでは
ないだろうか?
もしかしたら、トイレがシャワー式じゃなくても
生きていけるのではないだろうか?
ドアなんて、自動で開く必要が
あるのだろうか?
エレベーター、エスカレーターを
使わずに自分の足で歩いた方のが、
充実した何かを手に入れることが
できるのではないか?
原発は大変なリスクを伴う。
さらに、「核のゴミ」という問題があるので
そのリスクを数千年単位で
背負わなくてはならない。
それも、一時のエレベーターや
エスカレーターを使う為にだ。
我々はすでに処理不可能な
「核のゴミ」を大量に抱えている。
そして、原発を使えば使うほど、
その「核のゴミ」を出し続ける
ことになる。
福島第一原発には
「使用済み核燃料」がどれほどあったのか。
その「使用済み核燃料」処分方法が
見つからない為、各原子力発電所は
相当な量ため込んでいる。
それを数千年単位で冷やし続けなくては
ならない。
その間に、
地震はないのか。
津波はないのか。
火山の噴火はないのか。
とんでもないことを
やり続けているということ。
さらに、また原発を再稼働しようと
しようとする人たちがいるということ。
口では「脱原発」と言っているが、
よそでは「原発はやり続ける」という
我らがペテン師総理。
原発がらみの既得権益が、
巨大である以上、
脱原発をするのは、
多くの人を説得しなくてはなりません。
それには信頼できる人、
覚悟のなる人、
信念を持った人、
このような人格がある
総理でなくてはなりません。
30年間の政治家やっていれば、
風力発電などに見学に行く機会があるのは
当たり前。
それを「俺は昔から自然エネルギー派だった」
などとほざくのは、
あきれてモノが言えない。
まあ〜、菅さんの悪口を書くと
止まらなくなるので、
この辺にしておこうと思います。
小出さんの言われる「知足」。
人間の欲望には限りがない。
何かが足りない、それを手に入れれば、
また違うものが欲しがる。
人間の一生というのは
「もっともっと」が限りなく続く。
そのことを認識さえすれば、
もっとシンプルな生き方ができるのでは
なかろうか。
世の中、見回してみると
便利なモノが増えていくのと
「幸福感」というのが、
イコールではないようだ。
人間の幸福感というのは
果たしてモノなのか?
それとも人間的な温かみなのか?
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