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http://genpatsu.wordpress.com/2011/07/05/safe-myth-nyt/
「安全神話は日本に核危機をもたらしている」、NYT紙6月24日付記事全訳
投稿日: 7月 5, 2011 作成者: genpatsu
日本の志賀の原発PR施設では「不思議の国のアリス」のキャラクターによる展示が原発を宣伝している。
出典:http://www.nytimes.com/2011/06/25/world/asia/25myth.html?scp=1&sq=safety%20myth&st=cse
安全神話は日本に核危機をもたらしている
大西 哲光 記者
日本、志賀発
日本海に面したある原発の近くで、大きな広報施設で行われている一連の展示は、「不思議の国のアリス」の童話をテーマに、このエネルギー源のいいところを強調している。その最初の展示室では、白いウサギは:「アリス、大変だ、大変だ、エネルギーが無くなって行く…」と叫んでいる。
そこへ、ドードー鳥のロボットがアリスと見物客に向かって、原子力という名の「エース」が存在し、それはクリーンで、安全で、しかも、ウランとプルトニウムさえ再処理すれば、再利用も可能であると力説している。そこで、アリスはこう言っている:「わあ、そんなことができるの?資源のない日本には最適じゃない?」
過去数十年間、日本の原子力関係産業は大きなリソースを割いて、国民に原子力の安全と必要性をアピールしてきた。原発運行者は大規模で、幻想に満ちた広報施設を建て、観光スポットにしてきた。官僚たちは、原子力の安全性を宣伝する目的のみで設立された沢山の組織を通じて、緻密な宣伝キャンペーンを張ってきた。政治家たちは原子力に好意的な政府認定の教科書の採択を働きかけてきた。
その結果、日本の原発は絶対安全だという「安全神話」が幅広く定着してしまった。欧米諸国がそのエネルギーから距離をとるようになってきても、日本だけはわき目をふらずに原子力を推進してきた。
この堅い信仰があったからこそ、唯一の原爆被害国であるにも関わらず、日本人にはスリーマイル島の事故やチェルノブイリ事故にほとんど無関心でいられる程、原子力に対する許容度が高いのである。福島原発事故の後でさえ、原子力に対する反発は欧米の方が日本より遥かに強かったのである。
福島原発事故の原因追及を続けながらも、日本人の一部は国民心理を深く掘り下げ、今では不合理だと広く思われているこのような信仰を受け入れる国民的傾向を検証し始めている。このような、日本の原発は絶対安全だという広い信仰のために、原発運営業者も原子力規制関係部署も、必要な安全対策や緊急事態用ロボットのような先進技術の導入を疎かにしてきたと専門家と政府関係者が一様に認めている。
「日本には、安全神話というものがあり、日本の原子力発電技術に対する不合理なほどの過信があったのは事実です」と、原子力産業を監督する立場にいる海江田経済産業相はウィーンでのIAEA会議後の記者会見でこう言っている。同大臣は「そのため原子力産業の安全に対する考え方は甘かった」という。
日本政府は過去にも、とりわけ第二次世界大戦中、宣伝と教育の手段を集中させて、このような国民的信仰を作ってきた経緯があった。原子力の振興は戦後日本の経済成長とエネルギー自給の需要から来ている。しかし、慎重に築き上げられてきた原子力安全への信仰が3月11日の災害以来の三ヶ月で崩れ始めた今、日本人たちは「福島」のことで原子力体制を批判し始めている。普通は政治的に無関心のこの国で、何万人もの人々が定期的に反原子力の抗議集会を開いている。若者たちはソーシャルメディアを使ってデモを組織し、喧伝しているが、それらは大手新聞やテレビ局には実質的に無視されている。
「ずっとウソだった」という歌は今や抗議運動のテーマソングになり、インターネット上で日本人たちの怒りの媒体となっている。その作者はシンガーソングライターの斉藤和義で、昨年、資生堂のCMのために作った「ずっと好きだった」という歌の歌詞を変えたものである。斉藤氏が歌うこの歌はこっそりユーチューブにアップロードされ、口コミで広がっている。
その歌詞は「この国を歩けば原発が54基。教科書もCMも言ってたよ。安全です。ずっとうそだったんだぜ。やっぱバレてしまったな。ほんとウソだったんだぜ。原子力は安全です。」とある。
不意をつかれた
福島第一原発の冷却系統が巨大津波にノックアウトされてから数日の間、首相官邸と東電は、恐ろしいメルトダウンを防ぐため、原子炉建屋内に海水を注入すべきかどうか、そしてどうやるのかについて、散々激論を戦わせた。放射線レベルが高すぎて作業員が原子炉に近づけなかった状況で、日本当局はもたついた。暴動鎮圧に使われる警察の放水車で原子炉建屋内に放水したり、自衛隊のヘリで空中から散水し、その水が強風にあおられて的をはずしたりもした。菅首相の側近である松本健一氏によると、これらはあくまでも懸念を強めた日本国民とアメリカ政府を安心させるための「パフォーマンスであり、サーカスの一種」だったという。
ここで明らかになったのは、日本は核危機に対処する基本的ハードウェアに欠けていることであり、初期の抵抗の後、ようやく海外に救援を求めざるを得なくなったことである。技術立国が自慢のこの国の誇りにとって最悪の時は3月31日に、一号機に90トンの水を注入するために、日本の原子力技術輸出相手国である中国から提供された203フィートもある放水ポンプを使わざるを得なかった時である。それよりもっと不思議なのはある特殊技術の欠如であった:緊急作業用ロボットである。
何しろ、日本はなんと言ってもロボット工学に関しては世界のリーダーであり、世界最大の機械労働力を誇っている。その人間型ロボットは両足で歩き、走り、そして歌ったり、ダンスをしたり、ヴァイオリンさえも弾ける。しかし、肝心な「福島」に必要な緊急作業用ロボットは一体どこにあるだろう。
その答えは、原発の運行業者も規制する政府機関も、事故は絶対にありえないと信じ込んで、彼らの目には不要な技術の導入を頑なに拒んできたのである。元東大学長で、エンジニアでもある77歳の吉川弘之氏によると、「原発運営業者は、ロボットは事故を前提としたものなので、必要ではないし、導入するとかえって恐怖を引き起こすから、導入できないと言っていた」。
ロボット工学が専門でもある吉川氏は、スリーマイル島の事故の前から、他の研究者たちとともに原子力事故に対応する緊急作業ロボットを開発し、「MOOTY」という試作品まで作った。彼らのロボットは高放射能にも耐え、瓦礫のなかでも走行できるものであった。
しかし、これらのロボットは生産段階には至らず、そのため、福島原発事故の後、日本はアメリカのマサチューセッツにある「iRobot」社のロボットの緊急輸入に頼らざるを得なかったが、同社はむしろ自動掃除機で名を上げた会社である(訳注:ルンバのこと)。去る金曜日(訳注:6月17日)、東電は原子力事故に対応すべく改造された日本製ロボットを初めて投入したが、すぐ故障して撤収された。
吉川氏によると、ロボットを拒否したことは、保守管理の改善や最新技術への投資に対するこの業界全般の怠慢の一部に過ぎないという。いまは科学技術振興機構の研究開発戦略センター長を務める吉川氏はいう:「だから安全神話とは単なる空っぽなスローガンではなく、新技術導入による進歩を拒絶する固定観念の問題なのです。」
新時代へ
日本人を原子力支持へ駆り立てる試みは原子力時代の黎明期に遡ることができると専門家たちは言っている。 1945年8月、のちに戦後日本で最も強力的総理大臣となる中曽根康弘海軍士官は西日本にいた。 氏は1960年代にこう書いている:「広島から上るキノコ雲を見た。その時、次の時代は原子力の時代だと悟った。」
中曽根氏のような多くの日本人にとり、原子力は至高の目標となり、資源の欠乏で大戦と敗戦に行き当たった日本がエネルギー自立を達成する手段であった。そして、中曽根氏が首相だった1970年代に日本が秘密裏に研究を進めたように、原子力を制御することで核兵器を開発する可能性も孕んでいた。
この原子力と核兵器とのリンクの可能性およびアメリカとの関連があったからこそ左派の政治家、学者とインテリ層が激しい原子力反対の急先鋒となったのである。その対策として、原子力賛成派はその絶対的安全性を強調して来ており、両派ともそれぞれ極論に走り、その対立は今日まで続いた。
東電と経産省を頂点とする原子力推進派は、原子力安全を強調する広告や教育プログラムに数百万ドルを注ぎ込んできた。同省の原子力発電立地対策・広報室長の杉本孝信氏によると、今年だけでもこれらのプログラムに1200万ドル(訳注:約10〜12億円)もの予算が計上されている。同省が今まで原発の安全性しか強調して来なかったことについて、杉本氏は「遺憾」の意を表した。
政府と電力会社はこの安全のメッセージを広める多くの組織の設立を進めてきた。その中でも最も古株の「日本原子力文化振興財団」はその資金の40%を原子力行政担当の二つの省に仰ぎ、60%を電力会社に頼っている。原子力振興関係資料を発行するほか、同財団は中学、高校や大学に専門講師を無料で派遣している。
同財団の常勤専務理事、関西電力出身の横手光洋氏、67才、も、専門家たちは今まで原発は絶対に安全だというメッセージを伝えてきたことを認め、同財団がこの安全神話に加担したことを「遺憾」に思うと言った。
反射的に政府を信用する国民性で知られるこの国で、このような原発の安全性に対する保証は、最も危険に晒されている人々さえも安堵させるのに充分であった。原発建設が進行している北日本の大間という漁港では、原発計画が検討されていた1980年代にはチェルノブイリの事故は地元の人々にはまったく影響を与えていなかった。大間の漁業組合員の高橋マサル氏、67才、はこういっている:「政府が言うことを信用する他に何ができるというのです? 私たちは絶対に安全だと言われていたのです。」
広報キャンペーンの嵐
チェルノブイリ事故の後、原子力関係者は日本国民が安全を信じ続けることに腐心した。
電力会社は各原発に付属する「PR館」と呼ばれる広報施設を建てたり、改装したりした。このような施設を調査した天理大学の民族学者の住原則也によると、チェルノブイリの前では、これらのビルは単に「技術問題に興味を持つ成人男性たち」にアピールすることを目的にしていた。そこでは、作業服に身を包んだ男性のガイドが見学者を案内していた。しかしチェルノブイリの後では、これらの施設は、原発と放射能にもっとも懸念を抱くと見られる若い母親たちを対象にした緻密なテーマパークに改造されたと住原氏は指摘する。参観者を安心させるために、わざわざ子供を生む年齢の女性をガイドに雇うほどの念の入りようであった。
同じく北日本にある東通では、全国でも最も新しい「PR館」は小人が住む森トントゥーをテーマとしている。このビルを東電とともに運営している東北電力の及川ヨシキ氏によると、同ビルでは子供たちやその親向けにアニメキャラクター中心のイベントも開催している。
ここ志賀では、アリスが原子力の素晴らしさを発見している「PR館」に昨年の一年間に十万人が訪れた。芋虫がアリスに放射能を説明し、チェシャ猫は彼女にエネルギー源について教えている。ウサギの穴へ落ちる代わりに、アリスはキャンデイを食べて小さくなり、近くにある志賀原発の1:25縮尺の模型に入ってゆく。
同ビルのガイドを務める本田アスカさん、27才、によると、福島原発事故以来、見学者はしきりに原子力の安全性に質問するようになった。その多くは妊娠中の若い女性たちであった。しかし、本田さんのような若い女性ガイドたちがいることで大分安心させる効果があったようである。
一方、原子力体制派は、政府公認の教科書が原子力安全に疑いを持たせうるような情報は十分に強調しないように仕向けた。国会では、このようなキャンペーンは元東電副社長で1998年に国会議員に当選した加納時男氏が推し進めた。この記事のための取材を辞退した加納氏は、議員を引退した昨年から東電に顧問として復帰している。
2004年に、加納氏とその他の原子力推進派の影響で、文部省は認可する前の教科書の手直しを命じた。ある中学社会学科の教科書では、ヨーロッパで高まっていた反原発運動への言及が削除され、別の教科書では、チェルノブイリの言及は脚注に移動させられた。
この結果、世論調査では、 福島事故の後でも最も原子力を支持しているのは若い日本人たちであることが分かっている。
日本の原子力史について本を著し、福島事故を調査するために首相が設立した東京電力福島第一原子力発電所の事故調査・検証委員会のメンバーでもある吉岡斉教授によると、「原子力体制派は自らの安全神話を信じ込むようになり、自らの網に絡まれてしまったのだ」という。吉岡教授によると、このために、まさに津波に襲われて発生した福島原発の全電源喪失という事態に対する緊急対策を東電は取れなかったのである。 また、この原子力体制派の安全神話そのものから、日本の原発の安全対策の最も大きな穴を見ることができるという人もいる。 世界にツナミという国際語を与えたこの国においては、福島第一でも他の原発においても、巨大津波への対策があまり取られていない。ドードー鳥も芋虫もアリスに津波については教えていないのである。
原発安全神話は如何につくられたか
"原子力のお値段"に隠されたカラクリ
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