http://www.asyura2.com/11/genpatu13/msg/797.html
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大分叩かれたようだな
まあ、このご時世で反原発派や、重要な潜在顧客であるニートや引きこもりを敵に回すのは、あまりに自滅行為だということに気づいたということだろうが
一言も内容の訂正がないことが、本心を露呈しているな
http://diamond.jp/articles/-/13010
香山リカの「こころの復興」で大切なこと
【号外】 2011年7月5日
著者・コラム紹介バックナンバー
香山リカ [精神科医、立教大学現代心理学部教授]
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前回のコラムについて――お詫びと補足
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前回のコラムについて多くの方から批判的なご意見をいただき、言いたかったことの真意がうまく伝わっていなかったことに気づきました。私の言葉足らずが招いたことです。
これまでいくつかの雑誌や集会で表明してきたように、私自身は脱原発の立場にあり、小出裕章氏の著作、ご発言をほぼ全面的に信頼し、これまでのご活動にも深い尊敬の念を抱いています。前回のコラムが、小出氏のお仕事の価値を否定する内容に受け取られるものだったとしたら、小出氏ならびに読者のみなさまには本当に申し訳なく思います。心からおわびいたします。
ここからは謝罪からは少し離れ、私が伝えたかったことを補足させていただきます。
とても個人的な話になるので、うまく補足になるか、さらに批判を招くものか、自信がないのですが、よろしければお読みください。
原発事故が発生して以来、放射線医学の専門家でもない私ですが、なんとか精神医学という自分の専門性を生かして、原発の危険性や脱原発の必要性を訴えることができないかと、ずっと考えてきました。
しかし、そう考えて原発について情報を集めたり基礎的な知識を学んだりしようとすればするほど、自分の関心が本質からずれて行ってしまうのを感じていました。つまり、原発問題を純粋に考えていたところ、この原発問題を含む領域の広さにひとつの小宇宙を感じたひとりは、他ならぬ私だったのです。この当初の使命感を超えて関心を示している自分の心理は何なのか。これが出発点でした。
実は、まわりの人たちからも同様の話――つまり、あの事故以来、いつもの自分ではいられなくなったということ――をいくつも聞きました。
このあたりはうまく説明する言葉をまだ見つけられずにいるのですが、どうもそれは、現実としての原発事故や脱原発とはまた位相の違う世界で起きている“心の問題”のようにも思われました。
これは、いったい何なのか。原発問題の恐怖や不安といった現実の問題を超えて存在する、「原発問題がもたらす心の変化」とは何なのか。
私はその問題についても、考えてみようと思いました。それは、自分が脱原発を訴えたりアクションを起こしたりする際にも、自分のこころに潜む問題について認識しておく必要があると思ったからです。現実の問題としての原発問題を把握する上で、「原発問題がもたらした心の変化」を意識していないと、誤った判断を招きかねないと思いました。
とはいえ、まだ問題の本質が自分の中でも十分に分析できておらず、冒頭にお伝えしたように、言葉足らずになってしまったことは否めません。
とりわけ、原発事故は私たちの命や未来にかかわる問題をはらんでいます。そのようなテーマにおいて、誤解を招きかねない発言をしたことは、本当に申しわけなく思っています。
今後も、この連載内で「私たちの心にとっての原発とは」というテーマで「ビジネスパーソン」「政治家」「推進派学者」「若い女性」など設定を変えながら定期的に続けていくつもりです。私なりにさらに深く考察し、誤解のないような表現で執筆していこうと思います。
そのときは、読者のみなさまにも納得していただけるよう、またこの認識が脱原発アクションにつながるものになるよう、心して書かせていただきます。
よろしければ今後ともお読みいただければ幸いです。皆さまのさまざまなご意見にも、できるかぎりおこたえさせていただきたいと考えております。
どうぞよろしくお願いいたします。
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