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情報操作は、常に行われているが、これだけ世界的に反原発世論が盛り上がっていると、これまでのようには行きにくいだろう
松本龍事件のように、メディアも、大衆から乖離した政治家には、そう簡単には言いなりにはならない
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/14036
反原発の記事がことごとく誤報になる理由
「原発の町から」と情報操作
2011.07.05(Tue) 川井 龍介
世界の中の日本
佐賀県玄海町の玄海原子力発電所をめぐっては、いち早く県知事が再開への姿勢を見せ、早くも反発を招いている。これに先立って行われた稚拙とも言える住民説明会の方法が批判されたばかりであり、事の重大さを理解していないと取られても仕方がない。
原発賛成派だけを集めた県民代表
6月26日、説明する国側がたった7人を県民代表として選び、この人たちとのやりとりを地元ケーブルテレビで放映するという方法を取った。これだけでも安易で不十分と言えるが、さらにこの7人の人選を広告代理店に依頼して、「原発再開の賛成派を集めてシナリオを作った」と批判されている。
子孫に影響を残す取り返しのつかない放射能汚染を引き起こす可能性もある原子力発電所というものの安全性やその存在そのものの是非が国中で問われている中で、「全く教訓が生きていない」という声が聞こえてきそうだ。
これまで各地の原発建設のプロセスが、建設的な批判を排除し「初めに建設ありき」で進められてきた。玄海原発をめぐるこうした推進のための戦術は、前回このコラムで紹介した、浜岡原子力発電所(静岡県御前崎市)の建設に関して30年前に行われてきた形ばかりの住民参加の方法と変わりない。
夏場の電力需要の増加や今後の産業界に与える影響を危惧するという理屈のもとに原発の安易な再開を後押しする声が高まっているが、いまなお続く余震を含めて大地震の到来への心配がある中で、原発再開についてここは一つ慎重にならなくてはならない。
原発再開による危険性と、節電によって真夏に熱中症で亡くなる人が出ることの危険性を秤にかけたら後者の方がよっぽど高い、などと説き、原発推進を擁護する意見がある。もっともらしい意見だが、このロジックは熱中症になる人への心配から出たものではなく、原発推進のために発想された理屈だということは想像がつく。
熱中症の増加で原発再開の世論づくりの危険
大事なのは、目の前のことと将来のことを併せて考え、電力需要を抑えても、人々が熱中症などの被害に遭わない施策や慣習を社会的に広めていくことである。この点を見誤ってはいけないだろう。
少なくとも原発に関しては、その危険性を原点に還って検証し、建設プロセスにおいて事実に基づいた議論が不十分であることを見ておく必要がある。それなくしては、一般の人には情報が十分開示されない中で、今後も健全な批判の芽を摘まれてしまいかねない。
ここでもう一度、近い将来発生がかなりの確率で予想される東海地震との関係で、いま最も注目される浜岡原発の過去の建設プロセスを例に取って、情報操作への監視と情報開示の必要性を考えてみたい。
前回、このコラムでは1982年に出版された“隠れた名著”『原発の町から』(森薫樹著、田畑書店)をご紹介したが、今回は、そこで取り上げられている耐震問題をめぐる1980年前後の議論に触れたい。
以下、著者が本書の中で、原発が建つ場所の地質に関する疑問をまとめてみる。少し細かい議論になるが、ここまで詰めないと、問題点はあぶりだせない。
※ ※ ※
発生前から「東海地震」と名前がついているのもさることながら、その対策についても具体的に検討されてきたという点で、異例と言えるこの予測される地震の影響について、当時から中部電力は安全性を強調してきた。
しかし、3号機の増設にあたっていくつかの点で疑問が浮かび上がった。安全性は原発が建つ基礎岩盤についてと原子炉自体について検討され、確保されていると言われてきた。
岩盤については、浜岡原発の原子炉直下には断層があるが、これは最近8000年から1万年は活動していないから建設に支障がないと原発を所有する中部電力は説明してきた。
全くいい加減だった浜岡原発の地盤調査
だが、この断層が将来活動する可能性がないとは言えず、「動く可能性のある断層を含む敷地は原子炉設置場所として不適当」という米国の原子力規制委員会の規制を見ても不適当だ。
また、基礎岩盤について、中電は十分な強度を持ち安全性は高いとしているが、浜岡原発の基盤である相良層は、土質工学的に見れば決して硬く良質の基盤とは言えない。それは、この岩盤の弾性波速度(岩石の中を伝わる波動の速さ)を見れば分かる。
さらに、この相良層の岩質は軟らかく亀裂が多く、加えて強度にばらつきがある。したがって、岩盤の強さは、収集した試料の最低値を取るのが適当なのに、2号機、3号機の建設にあたって中電が参考としているのは、平均値であり、これでは意味がない。
もっと不可解なのは、地盤について議論の基礎となる岩盤のデータである。というのは、弾性波速度などを調べるために採取されたボーリングで得られた試料の数値を見た時、予備ボーリングより本ボーリングの結果がはるかに良好な結果が出ているからだ。これはどう見てもおかしい。
本ボーリングの方が調査として綿密なのに、弾性波速度などでは最高値と最低値のばらつきがずっと小さいといった結果にもなっている。岩盤を良好に見せるためではないかという疑惑が浮上する。
この不自然な結果について、中電は「予備ボーリングはコア(試験体)の体径も小さく、コアを採った後もビニールに包むなど適切な取り扱いをしなかった。だからデータが大きくバラついた」という説明をしている。が、この点については、興味深い事実がある。
中電の「ビニールに包むなどの措置を取らなかった」といった釈明は、実は東京電力が柏崎原発の同じようなデータの矛盾について、反対派住民から突かれて釈明した時と同じなのだ。
※ ※ ※
本書では具体的な数値や専門用語を用いて詳述しているが、これが、3号機の設置が国から許可される1981年の直前の問題点である。
なにをいまさら30年も前のことを細かく掘り起こして意味があるのか、という声も聞こえてきそうだが、そうとも言えまい。一事が万事、繰り返しになるが「初めに建設ありき」で、恐らくこうした科学に名を借りた操作は、他の原発建設プロセスでも登場したと疑わざるを得ない。
幸い、これまでのところ東海大地震はなく、大惨事には至っていないが、こうした細かい過去の事例一つを取ってみても、今の不安に繋がってくる。
私はなにも中電だけ、浜岡原発だけを批判するのが目的ではなく、たまたまこの当時、現場近くにいたこともあり、本書の価値も再認識すべきだと考えるので、いまでこそ振り返る必要があると思い、ここに紹介している。
国と電力会社の情報操作に乗るメディア
そういう点で言えば、もう1つ、本書には原発をめぐっての重要な指摘がある。それは、国や電力会社とメディアの間にある情報公開と情報操作の問題である。
原発にかかわる情報が十分公開されないことで、正しくても批判的な記事がいつしか国側の公式見解によって、結果として“誤報”となっていく問題だ。
本書は、1980年暮れにフジテレビ系のあるニュース番組で報じられた、浜岡原発に耐震上の見直しが必要になったという特ダネが、最終的に誤報になっていくことを明らかにする。
「1、2号機の耐震性に問題があり、補強が必要」というスクープに対して、新聞各紙はすぐにこれを追いかけた。翌日、通産省(当時)など関係機関はただちに記者会見をして、問題のあることを認めたが、補強すれば十分であるといった見解を示した。言い方を変えれば、補強の必要性は認めたのだ。
しかし、大騒ぎになったことを受けて静岡県から事態の説明を求められた通産省(当時)は数日後、「現状のままで十分で、補強の必要はない」と、安全性を保証する公式見解をデータを基に示した。各報道機関は今度はこれを一斉に報じて、結局のところ問題なしというニュースが伝わった。
報道された事実の食い違いについて、通産省は情報の混乱などと説明し、最初の報道時には補強の必要性を認めていた中電は、その理由を明確に答えなかったという。
突発的に起きた事故ならともかく、設計上の問題について情報の混乱とは考えにくく、原子力行政を進め、事態を収拾させるために「問題なし」としたと考えられると著者は見る。
しかし、こうした疑惑はあっても基本的なデータなどは国や電力会社が握っている限り、反論は難しかったとみられる。さらにもう1つ、本書では触れられていないが、この過程には重要な問題が潜んでいる気がする。
一般的に記者たちの中にも、他社の特ダネは結果として“誤報”となってもらった方が都合がいい、という心理が働くことがあるのだ。報道もある種のメディア間の競争でもあり、他社の手柄は小さくしたいという心理はある。
特ダネが権力の前では簡単に誤報に変わる
特ダネの扱われ方を見ると分かるが、特ダネを報道する社が、これを大々的に紙面化する(放送する)一方で、後追いする社は、よほど社会的に重要でない限り、このネタの扱いを先の社より小さくする。
浜岡の話に戻れば、この誤報とは言えない誤報誕生のメカニズムはいまもなくなってはいないだろう。具体的な検証はしていないが、混乱する国政や原発事故をめぐる今回の報道でも、都合の悪い事実を、情報を握る側が否定することで、本来なら正しいものを誤報に仕立て上げる危険性は注意して見なくてはならない。
こうしてみると、国家と巨大企業が組んだプロジェクトは、情報を公開し適正な批判と監視の下に進められるべきだということを痛感する。
その意味で、各地の原発がこれからどこへ向かっていくのかという議論のプロセスが開かれたものかどうか、過去の教訓を生かしてじっくり見ていきたい。
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