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(平成23年7月4日 午前11時)
今回の原発事故を起こした多くの原因の一つが「原発の必要性」と「原発の安全性」を切り離してなかったことが上げられる。
「原発は必要だから、安全である」
という論理はきわめて強く主張された。
もちろん、必要性と安全性はまったく関係がない。
かつて私が1960年代に化学コンビナートに勤務したとき、ちょうど「必要だからやる」というのと、「安全でなければやらない」という議論が拮抗していた時期だった。
コンビナートには「安全第一」という旗が翩翻とひるがえっていたが、誰もが「あれは建前であって、生産が先だ」と心密かに思っていた。
当時、日本は戦後復興の時期を経て、高度成長の前夜にあたり、「生産第一」の時代だった。職場の雰囲気は「安全、安全って、なに言っているんだ。そんなこと気にして仕事ができるか!」ということで、現在の原子力はまだその時代にいるのだから、化学工業の40年前を彷彿させる。
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日本の電力供給が重要であることは言うまでもない。
でも、電力の確保は「安全に電力が得られる技術に限定される」のは当然であり、「必要性が高いから、危険な方法も選択できる」というのはあまりにも古い考え方だ。
今回の福島原発の事故で分かったように、生産工場では事故はきわめて大きな損失になる。生産を急いでもひとたび事故を起こしたら、全部、失ってしまう、というのが教訓だからだ。
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でも、原発の場合は違うかも知れない。
普通の会社の工場が爆発事故を起こしたら、付近住民に被害があったら、自分の工場の後始末をほって付近住民の窓ガラスを直したり、飛び散ったものを回収してきたりする。
ところが今回の原発事故では、当事者の東電は福島原発にだけかかずらっていて、さっぱり被災地の人を助けに来ない。
汚れた大地を除染もしないし、除染した土を回収にも来ない.「電気会社は特別だ」と言わんばかりの態度である。
このことは、やがて「不安全でも原発を再開する」ということになるだろう。
でも、やがて数年後からでる被曝の疾病ばかりではなく、すでに子どもを疎開させたり、せっかくの休日も公園に遊びに行けなかったり、生活に大きなダメージが拡がっている。
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まずは50年も遅れている電力の「生産と安全」の関係について、再開までにハッキリさせ、「原発は必要だから安全」という考えを捨てて、「今回の原発事故の原因と対策を実施し、その上で日本が原子力を続けることを国民で確認して、再開する」という多くの工業分野ですでに当然となっている手続きを踏まなければならないだろう。
(平成23年7月4日 午前11時 執筆)
【参考】
・原発再開のための必須条件(1) 経産大臣の論理
http://takedanet.com/2011/06/post_9b10.html
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