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2011年7月3日(日) 夜10時
<NHK ETV特集>大江健三郎 大石又七/核をめぐる対話
(左)1954年3月 焼津港に帰港した第五福竜丸 (中)入院中の大石さん(左)と久保山愛吉さん 久保山さんは入院半年で死去 (左)5月15日 第五福竜丸船上で対談する大江さんと大石さん
広島・長崎、ビキニ。作家、大江健三郎は、核と日本人の問題を考え続けてきた。そして福島原発事故が起こったいま、大江は、核兵器の抑止力という幻想と原発の安全性という神話が重なり合って見えると語る。その大江の希望で、去る5月11日、東京夢の島に展示された第五福竜丸の船上で、一つの対談が行われた。相手は、大石又七。1954年3月1日、ビキニ沖をマグロ漁船、第五福竜丸で航行中にアメリカの水爆実験に遭遇、“死の灰”を浴びて被ばくした。当時、大石は二十歳の誕生日を迎えたばかりだった。周囲の偏見、無理解に耐え切れず、東京に出た大石は、クリーニング店を営み、ひっそりと暮らしてきた。第一子の死産、被ばくした仲間たちの相次ぐ癌死。大石は、核に対する恐怖を胸中に抱え込んだまま沈黙を続けた。その背景には、冷戦下の核配備競争と、それと1セットの形で進められた核の平和利用の推進という時代の潮流があった。 大石が、核について発言を始めたは、80年代になってからである。夢の島に捨てられていた第五福竜丸が「発見」され、そこを訪ねた時、何かが大石を動かした。以来、大石は、中高生たちに被爆体験を今日に至るまで語り続けてきた。大江は、大石が、日本人と核という問題に最も真摯(しんし)に向き合い続けてきた一人と考えている。
広島・長崎から66年、ビキニ事件から57年。その間、日本人は核被害をよく思想化し得なかったのではないか。そのことと福島原発事故はつながっているのではないか。番組では、初めて会う二人が、歩んできた時代、核と人間について語り合う。
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