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≪安部芳裕 著『知らない方が幸せかもしれない 原発大震災の超ヤバイ話』 原子力産業のしくみもロスチャイルドが作った(要約) より転載≫
Roentgenium:発売前の作品ですが、著者が Anti-Rothschild Alliance<反ロスチャイルド同盟> で内容の一部を新書宣伝用として無償公開しています。要約ですが、多くの人に読まれるべき内容だと思いますので、纏めて転載させていただきます。多くの人が実際に本書を手にとって詳細な内容を熟読すべきと思いますが、本来、日本人だけでなく、米国、欧州など1人でも多くの人々に知られるべき内容であるはずなので、もし翻訳を出来る方がいれば、英語などに変換して広く世界中に伝えていただきたいです。
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〔安部芳裕 著『知らない方が幸せかもしれない 原発大震災の超ヤバイ話』 より 【先行公開】原子力産業のしくみもロスチャイルドが作った(要約) より転載〕
【起】
ドイツの物理学者ヴィルヘルム・レントゲンが1895年にX線を発見したことから原子力産業はスタートしました。
翌年、フランスの物理学者アンリ・ベクレルが、偶然にもウラン鉱石から発する天然の放射線を発見します。放射能の量を表す単位「ベクレル」は彼の名にちなんでいます。
その後、ピエールとマリのキュリー夫妻が放射性物質の研究を行い、ポロニウムとラジウムを発見しました。彼らが「放射能」という用語を作り、原子力エネルギー研究の先駆けとなります。
この研究に目を付けたのが金融王ネイサン・ロスチャイルドの曾孫アンリ・ロスチャイルドです。アンリはキュリー夫妻のスポンサーとなってラジウム研究所を建て、キュリー基金を設立しています。これから伸びる可能性のある分野には惜しげもなく投資し、産業として育て、やがて投資に見合う利益を回収するのがロスチャイルド一族です。
1866年、南アフリカで農夫がダイヤモンドを発見すると、相次いで金鉱も発見され、南アフリカはゴールドラッシュに沸きました。良質なダイヤモンドを産出するキンバリー鉱山一帯を握っていたセシル・ローズの「デビアス」に、ナサニエル・ロスチャイルド(金融王ネイサンの三男)が融資をし、のちにデビアスは世界のダイヤモンドを独占支配するダイヤ・シンジケートを築いていきます。
セシル・ローズが他界すると、アーネスト・オッペンハイマーがロスチャイルド家の支援を受け、鉱物会社「アングロ・アメリカン」を設立。現在も南アフリカを支配するオッペンハイマー財閥の始まりです。
発掘した金や銀を精製するには水銀が必要となります。その水銀が豊富なアルマデン鉱山はスペイン王室が所有していましたが、ユダヤ12大富豪と言われるワイスワイラー家が事業を行っていました。
ちなみにアンリ・ロスチャイルドの妻はワイスワイラー一族のマティルド・ワイスワイラーです。アルマデン鉱山は亜鉛(ジンク)も豊富に産出し、これがのちにロスチャイルド家のリオ・ティント銅山と合併し、1962年にウラン・シンジケートの支配者「リオ・ティント・ジンク」が誕生します。
金あるいはダイヤモンドの為に鉱山を採掘すれば、当然、他の鉱物資源も同時に産出されます。ダイヤモンドの「デビアス」、金の「アングロ・アメリカン」、そしてウランなどの非鉄金属を扱う「リオ・ティント・ジンク」、この3社がロスチャイルドによる鉱物支配の主要企業です。原子力産業は、ウランなどの鉱山事業の利益を目的として誕生したものと言ってもよいでしょう。
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20110629
【承】
1939年、原爆製造のマンハッタン計画がスタートします。ウランの調達は、アフリカのベルギー領コンゴ、カナダのグレートベア鉱山、アメリカのコロラド州カルノー鉱山で行われましたが、3カ所ともロスチャイルド一族の支配下にある鉱山でした。
マンハッタン計画の監督を務めたのが、ロスチャイルド一族で、のちにハンブローズ銀行の会長となるチャールズ・ハンブローです。CIAの前身である諜報機関OSSを設立した超大物であり、南アフリカの鉱山を握る「ブリティッシュ南アフリカ社」の重役でもありました。
マンハッタン計画は、核物理学や資源確保という面で国際的な作戦計画であり、そのリーダーは、のちに国際原子力機関(IAEA)を創設するベルトラン・ゴールドシュミットでした。このベルトラン・ゴールドシュミットの妻は、ヴィクター・ロスチャイルド卿の再従妹ナオミ・ロスチャイルドです。
米国原子力委員会(AEC)の初代委員長として、核兵器と原子力の平和利用を強力に推進したルイス・L・シュトラウスは、ロスチャイルド商会の米国代理店であるクーン・ローブ商会の共同経営者であり、1950年から53年までロックフェラー兄弟基金の財務担当顧問でした。
ルイス・L・シュトラウスの資金源となっていたのが、ウォールストリートの投機家であり、ロスチャイルド一族の鉱山王グッゲンハイム財閥と組んでウラン鉱山への投資・開発を行っていたユダヤ人大富豪バーナード・バルークです。バルーク家は18世紀からロスチャイルド家と深い関わりを持つユダヤ人指導者のファミリーで、バーナードは「アグダス=イスラエル・ユニオン」というユダヤ系結社の代表を務めていました。
バーナード・バルークは、原爆開発の有力な支援者としてマンハッタン計画を指導し、大統領顧問として原爆の対日使用を積極的に勧めた人物です。戦後は国連原子力委員会の米国主席代表となり、全ての核技術を国際的な管理下に置くことを提案し、それが国際原子力機関(IAEA)の設立に繋がります。
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20110630
【転】
マンハッタン計画に参加した科学者の多くはユダヤ人でした。
ハンガリー生まれの亡命ユダヤ人レオ・シラードは、原爆のアイデアを思いつき、同じユダヤ人でドイツから米国に亡命したアインシュタインの知名度を利用して、ルーズベルト大統領に原爆開発を促す手紙「アインシュタイン書簡」を送ったことで有名です。この手紙がきっかけとなって米国の原爆開発はスタートしました。
「コンピュータの父」として知られるフォン・ノイマンは、ハンガリーの裕福なユダヤ人銀行家の家に生まれ、1930年に渡米。コンピュータの動作原理であるストアードプログラム方式を考案しました。マンハッタン計画には軍事顧問として参加し、爆薬を32面体に配置することにより核爆弾が製造出来ることを10カ月にわたる計算により導きました。また、地面ではなく空中で爆発させた方が原爆の破壊力が増すことも計算により導いています。
原爆を長崎に投下する指示を出したのは、このノイマンでした。
「原爆の父」と言われるニューヨーク生まれのユダヤ人ロバート・オッペンハイマーは、ロスアラモス研究所の所長に就任して、マンハッタン計画を主導しました。
オッペンハイマーは「原爆投下は日本に警告なしに行われるべきだ」と反日的な強硬論を主張した人物です。
1945年7月にロスアラモスで世界初の原爆実験に成功した時、狂喜して「我は死神なり!世界の破壊者なり!」と叫びました。
ハンガリー生まれの亡命ユダヤ人エドワード・テラーは、核分裂だけの核爆弾から核融合を用いた水素爆弾へと核兵器を発展させるべきだと主張し、1952年には水爆実験に成功しました。1954年に起きた「第五福竜丸事件」の際に使用された水爆はテラーが作ったものです。
「水爆の父」テラーは歴代政権の核戦略、防衛政策に影響力を行使し続け、レーガン政権時代には「戦略防衛構想(SDI)計画」を推し進めています。
その他、ノーベル賞を受賞した多くの著名なユダヤ人科学者がマンハッタン計画に参加しています。「近代量子論の父」ニールス・ボーア(1922年ノーベル物理学賞受賞)、ジェームズ・フランク(1925年ノーベル物理学賞受賞)、ハロルド・ユーリー(1934年ノーベル化学賞受賞)、ユージン・ウィグナー(1963年ノーベル物理学賞受賞)、リチャード・ファインマン(1965年ノーベル物理学賞受賞)、ハンス・ベーテ(1967年ノーベル物理学賞受賞)などです。
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20110701
【結】
一方、冷戦の相手国であるソ連の原爆開発にもロスチャイルド=ユダヤ人脈が密かに関与していました。「ソ連の原爆の父」と呼ばれたユダヤ系科学者ユーリ・ハリトン博士によれば、ソ連の核開発はドイツからの亡命したクラウス・フックスがスパイした情報をもとに、米国製原爆を真似てつくったものだったということです。
クラウス・フックスはドイツ共産党に入党していましたが、ナチスの弾圧を恐れてイギリスに亡命。1943年に渡米してマンハッタン計画に参加し、その極秘情報をソ連政府に流していました。また、「原爆の父」ロバート・オッペンハイマーやニールス・ボーア博士もソ連スパイに情報を提供していたことが明らかになっています。
このクラウス・フックスを操っていたのがイギリスの「ケンブリッジ・サークル」という秘密組織でした。「ケンブリッジ・サークル」とは「ソ連の二重スパイ組織」であり、ケンブリッジ大学出身のキム・フィルビー、アンソニー・ブラント、ガイ・バージェス、ドナルド・マクレーンの4人がメンバーとして知られ、イギリス諜報部や外務省、英国放送協会(BBC)、あるいは王室にまで潜入し、KGBに情報を送り続けていたのです。
この「ケンブリッジ・サークル」の黒幕と目されていたのが英国諜報部員でもあったイギリス家当主ヴィクター・ロスチャイルド卿でした。
1947年に極秘計画であるマンハッタン計画が終了し、過去7年間で原爆開発にかかった費用が22億ドルに達していたことが明らかになりました。その後、冷戦が深刻化する中で、原子力予算は年間10億ドルから20億ドル(7300億円)と膨らんでいきました。
ちなみに1940年の日本の一般会計予算は60億円、1945年で220億円です。原子力業界にとって、まさに原子力は「金のなる木」。決して手放したくはないでしょう。
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20110702
〔資料〕安部芳裕 著『知らない方が幸せかもしれない 原発大震災の超ヤバイ話』(ヒカルランド 2011年7月12日発売)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4905027357/
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(全1頁完)
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