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「6・19 怒りのフクシマ大行動」デモが終了し、わたしは埼玉入間の田中さんにあいさつをして、すぐ福島駅に向かった。コンビニにより、おにぎり一個と105円の紙パック紅茶を買い、焼酎のワンカップひとつを買った。
大船のアパートを出るとき500MLプラスチックボトルを3本用意してきた。そこに麦茶を入れてきた。郡山駅行きの鈍行列車に乗る前に、紙パックの紅茶を2本のボトルに入れ、さらにそこに焼酎を入れる。焼酎紅茶割りが2本できあがる。17時35分発ごろの電車に乗ることができた。安達太良山が見えてきた。
郡山駅から黒磯駅行きの列車へ、まだ外は明るかった。
国境を下りていく。
焼酎紅茶割りを飲みながら、わたしは自分の原点を総括するしかなかった。
撮影する者は原点が問われるからである。1970年反戦高校生活動の頃からの記憶が、つぎつぎとよみがえってくる。わたしは記憶の重力へと落下していった。
わたしの母は白河で産まれた。ゆえに遺伝子として会津藩への思いは強い。東北とは玄関口の福島県であり、最北端の青森だという意識があった。青森とは寺山修司の故郷である。福島県にも青森県にも核戦争基地としての巨大原発基地がある。福島県にはわたしが青春時、影響された農民詩人がいた。福島には「農」の思想が豊かにあった。
2006年3月21日になくなったネット界のおーるさんも福島県いわき市に住んでいた。おーるさんが亡くなってから、妹さんも亡くなったらしい。あるネットのサイトで読んだ。いろいろな記憶が身体の底からよみがえってくる。わたしはひたすら焼酎を飲むしかなかった。国境を下る頃夜となった。国境の山並みである。黒磯駅についた。
黒磯駅から宇都宮駅行きへ。
栃木県北を南下していくのである。西那須野駅から野崎駅へ。矢板駅が近づいてくる。
わたしは頭を窓にこすりつけながら故郷の夜を見る。故郷を通りすぎるわたしはひとりの貧しき表現者だった。故郷の駅におりる余裕もないおのれの貧しさをわたしは「ちくしょう、ちくしょう」と自分を呪詛していた。金があれば故郷の駅におり、幼馴染とも会えたのに、ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう。
宇都宮駅に着いた。腹がへっていたが貧しいので「立ち食いうどん」を食えなかった。
下野うどんも食えない自己である。
宇都宮駅から上野駅行きへ。
わたしはもってきた寺山修司詩集「地獄編」を読んでいた。本を閉じた。
わたしは中曽根康弘を憎悪し憎んでいる人間である。
1970年、中曽根康弘は防衛長官だった。
11月、三島由紀夫が市ヶ谷駐屯地で割腹自決した事件、中曽根康弘は「馬鹿なことをしましたな」とテレビで笑いながら記者の質問に答えていた。17歳の少年だった、わたしはそれをみた瞬間、中曽根康弘という政治家を許すことができない階級的怒りと階級的憎悪と階級的憎しみをおのれの身体の底に沈殿させた。わたしはその時期、右翼ではなかった。反戦高校生活動家であった。
わたしは生涯、三島由紀夫の小説を愛してきた人間である。
中曽根康弘を人民裁判にかけ刑罰を下すことが、日本国民にはできるだろうか?
それとも日本国民は狡猾な
中曽根康弘の「自然エネルギーへの変節」に騙(だま)されるのだろうか?
「騙(だま)しの地平」こそ永田町と霞ヶ関である。そして東電による電気イデオロギー。今、日本国民は計画停電に恫喝されながら「節電、節電」と踊っているのであろうか? 「おどる節電」の振り付け師はペテン師の住処である永田町と霞ヶ関である。
マイクロガスタービンという発電所がある。
そして大企業は自家発電所をもっている。県庁・市庁舎などの行政機関も自家発電をもっている。
東電の火力発電所はすでに修復されている。東電のガス発電所は高度技術である。
「騙(だま)しの地平」で猛暑、巨大新聞、巨大テレビ、マスメディア、マスゴミの「節電キャンペーン」に洗脳され、踊るも人間の自由勝手であるが、世界からはすでに笑われている。
貧しき表現者はひとり、ひたすら会津藩と東北に思いをよせる。
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- コメントありがとうございます。 「絶望からの出発」 愚民党 2011/7/03 04:38:35
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