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原発問題に過剰にのめり込んでいるのは
一般社会に強い欺瞞を感じた人たち
震災や原発事故を「まるでなかったかのように」して、3.11以前の生活に戻ってしまおうとする人が増えています。そして前回お話ししたように、現代社会は「被災者支援を持続させられない」社会になっています。
その一方で、ネットの世界を中心に、原発事故にのめり込んでいる人たちがいます。
彼らの多くは、知的レベルが高く、情報収集に熱心で、いまの世の中の趨勢を注意深く見ている人たちです。
特に、これまで一般社会にうまく適応できなかった、引きこもりやニートといった人たちがその中心層の多くを占めているように見えます。
彼らは、企業社会やアルバイト先で、会社人間としての振る舞いや低俗なオヤジギャグに会話を合わせることに耐えられません。薄汚いごますりや打算、好きでもない商品を売ることに対して、強い欺瞞を感じている人たちです。
「食っていくためには、嘘もつかなければいけないときもある」
大人が発するそんな言い訳めいた言葉に、かえって嫌悪感を強めています。
彼らには生活能力がなく、結局は親がかりです。
しかしながら、自分がやりたくもないことを、社会をまるでわかっていないような頭の悪い人たちと一緒にやりたくない。劣等感と優越感がない交ぜになったような、一面では純粋な理想主義者たちなのです。
そんな彼らが原発問題にのめり込んでいます。そして、「神」として崇拝しているのが、いま反原発で最も注目されている小出裕章氏です。
自分の信念を曲げずに主張を貫く姿に
理想と希望のイメージを重ね合わせる人々
京都大学原子炉実験所助教の小出さんは、原発を研究しながらも反原発を唱え、そのことが原因で大学から教授や准教授といったポストを与えられてきませんでした。当然のことながら「原子力ムラ」からも排斥されています。小出さんは、それでも信念を曲げずに正しいと思うことを言い続けてきました。
原発事故が発生すると、相変わらず原子力ムラからは徹底的に無視されますが、期せずして世間からは「それが真理だった」と評価されます。
「妥協や打算でなく自分の信念を曲げずに正しいと思うことを信じていれば、いつか自分が正しかったことが証明される」
原発事故を喜ばしいと思う人は誰もいません。ただ、これまで大学の中で「冷や飯を食わされていた」小出さんが脚光を浴び、時代のヒーローになっていく姿は、彼らにとって理想のイメージ、希望の星、自分の願いを投影する存在になっているのでしょう。
厳しい言い方になるかもしれませんが、彼らには自分が抱えてきたルサンチマンが一気に晴らされたという感覚があるのかもしれません。もうすぐ定年を迎えようとする年齢まで屈辱的な地位にいた人が、いまや日本中で最重要人物の一人になるという姿に、彼らはおとぎ話のようなイメージを抱いているのではないでしょうか。
彼らはこころを患っているわけではない
現実社会への猜疑心が強いだけ
彼らは、こころの病を患っているわけではありません。
仮に彼らが精神科を訪れて、病名をつけなければならないとしたら、現実社会にうまく適応できないということで「適応障害」と診断することになるでしょうか。あるいは、世の中に対して恨みごとを言い連ねるタイプの人には「パーソナリティー障害」という病名を伝えるかもしれません。
しかし、彼らはそれなりにやる気もあり、優秀で学習意欲も高く、知的好奇心も強い人たちです。それなのに、どこか歯車が咬み合わず、社会にうまく溶け込めない。自分でも社会が受け入れてくれないと思い込んでいるのです。
彼らのようなタイプの人たちのなかで、ネット上で最初に注目されたのは、2000年5月に西鉄バスジャック事件を起こした17歳の少年です。ハンドルネーム「ネオむぎ茶」といえばご記憶にある方も多いのではないでしょうか。
彼は優秀な高校生でした。偏差値の高い高校に入ったもののすぐに退学し、引きこもり生活に入ります。やがて「2ちゃんねる」で事実上の犯行予告をしたうえで3人を死傷させるバスジャック事件を引き起こしました。
17歳という若さの彼が、人生を諦める必要はなかったと思います。しかし、彼は何も打つ手がなくなったと思い込み、自分をここまで追い込んだ社会に対する腹いせをしようと凶悪事件を起こしたのです。
ファンタジーへの逃避で平穏を保ってきた彼らが
いま原発問題にこころの平穏を見出している
彼らは、こころの平安を取り戻すためにゲームやアニメ、あるいはアイドルといったファンタジーに逃避し、気持ちを落ち着かせてきました。
ファンタジーの世界には、彼らが現実の世界で不満に思っていることは出てきません。登場したとしても、悪者として描かれるのでいずれ排斥される運命が待っています。
これまで、彼らが現実逃避のためにのめり込んでいった代表的なものが「新世紀エヴァンゲリオン」でしょう。
惹きつけたのは、登場するキャラクターの魅力やファンタジーとしての世界観だけではありません。このアニメには、精神分析、神学など多様な学問領域があり、様々な専門用語が散りばめられています。
彼らは、精神分析の分野で未知なるものが登場すると、先を争って精神分析の本を読み漁りました。宗教的な用語の背景を知ろうと、こぞって宗教学の本と格闘したのです。
そんな彼らが、いま原発問題に向かっています。
ファンタジーの世界ではなく、現実のなかに逃避を正当化できるテーマが出てきたからです。彼らにとって、これほど学びがいがあるテーマはありません。「新世紀エヴァンゲリオン」とは比較にならないほど高度に体系化された世界だからです。
私たちは何気なく原発問題と表現していますが、この問題にはすべての学問領域を網羅する壮大な体系が存在しています。物理学的な側面、工学、建築学などの要素。原発をめぐる政治、環境問題。これまでの原発を取り巻く歴史、文学など、一つの小宇宙と言ってもいいと思います。
ネットですべてが完結するという錯覚
現実社会との接点を持つことは避けられない
私たち精神科医は、逃避する彼らと現実との接点を作ることに腐心してきました。
しかしいま、それはインターネット社会の発達によって困難になっています。彼らの知識欲や他人と交信したいという欲求は、すべてネット上で満たされるようになってしまったからです。
彼らはいま、フィクションの世界ではなく現実の世界に起こった原発問題にこころを奪われています。とはいえ、彼らが行動するのはあくまでもネットの世界に限定されてしまいます。熱狂する彼らがネット上で喧々囂々の議論をしても、現実に起こっている原発問題は何も解決しません。むしろ現実世界とネット上の世界に大きな乖離が生じてしまっているように思えてならないのです。
「こういう人たちは、ネットで生活を成り立たせ、ネットで人とコミュニケーションを取ればいいのではないか」
実際に働きに出なくても、インターネットによるFX取引で父親より稼ぐ人も出てきています。私もそんなネットだけの生活が成り立つのではないかと考えた時期もありました。しかし、ホリエモンの収監の様子をテレビで見て、ネット上のバーチャルな世界が発達しても、限界があることをつくづく感じました。
ネット世界の象徴でもあるホリエモンも、現実に身体を拘束される刑務所行きという事態は避けられませんでした。時代が変わっても「ネットで服役」ということは起こり得ないのです。
彼らが原発問題に熱狂して、彼らが何かを変えられるとしても、ネットの中の一つの小さなトレンドに過ぎません。現実に動いている体制には、大きな影響を与えることはできないのです。現実社会との接点こそ、ネット全盛の時代にあっても、ないがしろにできない大切なことではないでしょうか。
小出氏が世間の注目を浴びるようになったことで、奇しくもネットの社会に引きこもった人たちの存在を再発見することになりました。これらの人の力を、いまの社会はうまく活用できていない現実が浮き彫りになったのです。
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