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【第182回】 2011年7月1日 坪井賢一 [ダイヤモンド社論説委員]
除染を急げば大幅に放射線量は減少する 市民の健康を守れるのは自治体
福島原発震災 チェルノブイリの教訓(11)
除染は早く進めたほうがいい。とはいうものの、政府は動かず、自治体は政府の指示を待つ、という拘束された状況が続いている。福島県は県内 でかなり詳細な放射線量の計測を進めており、その結果を待って除染対策を進めるようだ。すでに福島市内の小学校と通学路で除染の実証実験を行なっていて、 大きな効果が確認されている(★注@)。
200km離れた首都圏も同じだ。首都圏でも福島県の一部と同様の放射能汚染地域があることは前回報告したとおりである。もちろん、福島市と比べれば一桁低い放射線量だが、通常より5倍から10倍高い地域は前回の汚染地図でわかるだろう。
首都圏の自治体や市民でもすぐにできることはある。たとえば側溝、吹き溜まり、雑草が繁茂しているところ、雨どいの下などにマイクロ・ホットス ポットがあることは福島県の実証実験でもわかっている。そのようなポイントを発見して掃除(除染)すれば放射線量は確実に下がる。
首都圏の各区役所や市役所でも放射線量の計測を継続しているが、マイクロ・ホットスポットの発見ができていないように思う。福島県の経験を役立てよう。
それにしてもどうすればいいかわからない、という市民や自治体のために、京都精華大学の山田国広教授、細川弘明教授らが、だれでもできる除染のマニュアルを作成中だ。これを「放射能除染・回復プロジェクト」と名づけて準備中だそうだ。
水で洗い流すのではなく、粘着テープや洗濯ノリで剥ぎ取るもので、詳細をマニュアル化して7月中旬に福島市で発表すると報じられた(「京都新聞」 2011年6月24日付)。先週、テレビのニュースで見た読者も多いだろう。山田教授は環境汚染と回復の専門家としてよく知られている。大いに期待しよ う。
セシウム137の半減期は30年、と聞いただけでうんざりし、意欲がなくなりそうだが、土壌に沈着した放射性物質はセシウム137とセシウム 134が多いが、どうやらこの二つの放射性セシウムの量の比は1:1のようである。すると、全体の半減期は30年よりはるかに短いと考えられる。なぜなら ば、セシウム134の半減期は2.06年だからである。
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筑波大学アイソトープ総合センターが公表した土壌汚染の地図によると、セシウム137と134の沈着量は同じに見える。
セシウム137(左)とセシウム134の土壌表面密度 出典:筑波大学アイソトープ総合センター
三重大学生物資源学部の勝川俊雄准教授は、水産物のセシウムの量のデータから、セシウム137と134の比を割り出している。このグラフをご覧いただきたい。放出されたセシウム137と134の量が1:1であることがわかる。以下、勝川准教授の了解を得て図を転載する。
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セシウム137とセシウム134の比。三重大学生物資源学部・勝川俊雄氏による
勝川准教授は、半減期の異なるセシウム137と134の量が1:1であることを前提に、全体の減少速度を計算している。次の図をご覧いただきたい。
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セシウム137とセシウム134の減少推移予測。三重大学生物資源学部・勝川俊雄氏による
半減期2.06年のセシウム134は急速に減少し、1年で全体の十数%が消え、3年で3割近く減る。両セシウム総量の半減期は6年ということになる。
つまり、今、除染を進めれば、急速に局所的な高放射線量は減少することになる。30年という途方もない時間ではなく、みるみる効果をあげるだろう。連載第9回で報告したように、チェルノブイリ事故で飛散したセシウム137と134の量の比は1.8:1であり、半減期30年のセシウム137のほうが1.8倍も多かったのである。
次のページ>>ストロンチウム90の調査が進んでいないのは問題
以上の情報について、くわしくは勝川准教授のホームページをお読みいただきたい。海洋汚染や魚類汚染の実態、シミュレーション、水産学者としての見解など、市民生活に役立つ科学知識が豊富に掲載されている。
除染の作業は市民ができるとしても、線量計の準備や内部被曝を避ける手順など、専門家の手引きが必要で、その段取りは自治体にしかできない。自治体がすぐに除染の専門家に依頼することも難しいかもしれない。山田教授によるマニュアルの完成に期待したい。
ただし、問題は残る。飛散した放射性物質のなかでも、とりわけ危険で量が多いと思われるストロンチウム90(半減期29.12年)の調査が進んでいないことだ。
そして、チェルノブイリから教訓を得るとすれば、除去した汚染物質をどのように管理するかが大問題だ。以下、メドヴェジェフの『チェルノブイリの遺産』(★注A)から除染の様子を抜書きしてみる。
チェルノブイリ周辺は未舗装の道路が多かった。というより広大な湿地と森林に町村が点在する 地域である。したがって、除染作業も大規模だった。広大な地域の住宅を洗浄し、道路や広場をアスファルトで舗装したのである。また、公園、庭園、校庭など の表土を10cmから20cmの深さで削り取った。
こうした除染作業は、放射線量が緊急時許容レベルを超えそうな町村で実施された。福島でいえば、年間20ミリシーベルトを超える「計画的避難区 域」である。チェルノブイリ事故では8ヵ月後の1986年12月までに約500の町村、1987年中に100町村の除染が行なわれている。
こうして除去された汚染物質は約50万㎥だったという。全体から見ればわずかな量だが膨大ではある。町村の建物全体を洗浄する様子は、当時の記録映画で見ることができる(★注B)。
これらの放射性廃棄物をどのように処分したのか、実はよくわからないのだが、チェルノブイリ原子力発電所の敷地内に埋設した量が多いようだ。汚染 物質が地下水を経由して川に流失しないように、障壁をつくったのである。福島でも「地下ダム」として議論されている方法である。
注@6月26日付で共同通信が伝えている。
注A ジョレス・メドヴェジェフ『チェルノブイリの遺産』p100-p111(吉本晋一郎訳、みすず書房、1992)
注B 「チェルノブイリ・クライシス」(ソ連、1986)、「チェルノブイリ黙示録」(ソ連、1990)など
※「福島原発震災――チェルノブイリの教訓」シリーズの過去記事はこちら
(1)チェルノブイリの教訓を生かせ(2)子どもの甲状腺被曝検査の継続を(3)ソ連政府はどのように収束させたのか(4)汚染食品のデータをどう読むか(5)「クリーンエネルギー原子力推進」をだれが言い出したのか(6)学校の放射線許容量はなぜ迷走しているのか(7)菅首相の「浜岡原発停止要請」は唐突ではない(8)足柄のお茶はなぜ汚染されたか 関東平野の放射能汚染状況(9)旧ソ連政府は現在の日本政府より住民の安全サイドに立っていた(10)実態がわかってきた関東平野の放射能汚染
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