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放射能の拡散予報をきちんと初期の一番放出量が多かったころに、住民に隠していたことは、住民がしなくてもよい余計な被曝をさせられた、という結果になった。
雪や雨が降った場合、放射性物質が大量に降下してくる、という注意も住民にはされていなかったらしい。
この事実に気がついた住民がブログで次のような感想を書いている。
・・・・・・・・・
ただいま被曝中
福島在住(いまのところ)です。
原発の恐ろしさを痛感しています。
原発絶対反対を訴えるブログです。
地震が起きたあと、電気と水道が止まりました。
地区によりいろいろであったようですが、多くのところでインフラが停止しました。
電気が止まっているので情報源はラジオと新聞。
ワンセグケータイならTVも見れました。何一つ、メディアは、福一が危険であること、避難が必要であること、伝えてはくれませんでした。
もちろん、国も行政も。
真実を語っていたのはネットの世界のみ。
ネットから情報を得ていたもののみが、危険を察知していました。
しかし、当時はそれだって正しい情報とそうでない情報を判断できるレベルではありませんでした。
今現在のような知識など全く持ち合わせていませんでした。
そして3月15日福島市に雪が降りました。
とてつもなく濃厚な放射性物質を含んだ雪が、29万人の人間が住んでいる街に降り注ぎました。
そのとき多くの人々は何をしていたでしょう。
・・・・断水による、給水所からの水の確保をしていました。
地下水が出るお宅があちこちにあり、みなさん近所の方へ開放していました。
少しでも水を確保したく、家族総出で給水所に並びました。
18リットルのポリタンクや2リットルペットボトル、箱にポリ袋を入れてくる方もいました。
そうやって1人5分から10分の給水時間。
10人並んでいただけでも1時間は覚悟しなければなりませんでした。
小さい子供も家に一人置いてくるわけにもいかず、子供の手を引いて給水に並んでいるお母さん達の姿もあちこちで見られました。
みんな、ここ1週間ぐらいの辛抱だと、助け合い、笑顔で秩序を守って過ごしました。
そしてみんな、被曝しました。
両手は水を持つためにふさがっています。
傘をさす余裕はありません。
なにより、雨と違い、ずぶ濡れにはなりませんし、いつもそうやって雪の時は過ごしていました。
長時間並んで、やっと水をもらって、家に帰るまで、大人も子供もみんな被曝させられたのです。
なぜ、国や行政は注意を促してはくれなかったのでしょうか。
パニックを起こさせないために被曝させたのでしょうか。
わたしはこの一件だけでも一生分の怒りを使い切れるほどです。
忘れない。
許さない。
2011.06.22 Wednesday
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