http://www.asyura2.com/11/genpatu13/msg/265.html
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http://civilesociety.jugem.jp/?eid=9128 から転載。
共産党の原発問題の見解についての歴史的変遷
okabyです。
共産党の原発問題の見解の変遷を少し調べてみました。
■戦後から60年代までについては、文献を手に入れておらず、かつネット上でも探せなかったですが、
(「国際歴史探偵」という異名が与えられている)加藤哲郎さんのネチズン・カレッジによると、
http://www.ff.iij4u.or.jp/~katote/Living.html
次のように書かれていました。
<この間調べてきた1945年以後の日本の核政策・エネルギー政策の歴史からすれば、原発導入を直接に担った正力松太郎や中曽根康弘ばかりではなく、日本の国家と社会の総体が、大きな反省を迫られています。
占領期新聞雑誌資料データベース(プランゲ文庫)を調べて、暗澹たる想いに駆られました。
占領期日本の言説空間では、広島・長崎の原爆被害は検閲され隠されていましたが、敗戦を導いた巨大な「原子エネルギー」についての畏怖と希望は、日本国憲法制定と並行して、広く語られていました。
「原子力時代」「原子力の平和利用」の言説が、大新聞から論壇・共産党機関紙誌にまで、溢れていました。
右派よりも左派が、それを主導していました。
占領期新聞・雑誌の見出しでの「原子力の平和利用」の最初の提唱者は、著名なマルクス主義者である平野義太郎でした。
「社会主義の原子力」を、資本主義を凌駕する「輝かしい希望」の源泉と信じていました。
原子力に未来を託す「アトム」の漫画も、手塚治虫より前から出ていました。
いわゆる「戦後民主主義」「戦後復興」は、「原子力の夢」にあこがれ、同居していました。
>
■60年代末からチェルノブイリ原発事故以前については、
ブログ「土佐高知の雑記帳」にまとめられていました。
資料:日本共産党の原発政策①
http://jcphata.blog26.fc2.com/blog-entry-2283.html
資料:日本共産党の原発政策②
http://jcphata.blog26.fc2.com/blog-entry-2284.html
資料:日本共産党の原発政策③
http://jcphata.blog26.fc2.com/blog-entry-2285.html
資料:日本共産党の原発政策④
http://jcphata.blog26.fc2.com/blog-entry-2286.html
資料:日本共産党の原発政策⑤
http://jcphata.blog26.fc2.com/blog-entry-2287.html
■チェルノブイリ原発事故以後、90年代での共産党の見解については、図書館で
日本共産党中央委員会出版局『原発事故と『安全神話』―美浜・チェルノブイリの教訓―』(1991年)
と
日本共産党中央委員会出版局『原発の危険と住民運動』(一九九〇年)
を借りて読んでみました。
市民社会フォーラムのブログに資料として重要個所を掲載しました。
http://civilesociety.jugem.jp/?eid=9126
当時の「脱原発」論への批判などは今から振り返れば妥当だったのかなあ?とか思ったりして、興味深いですが、
この時点での共産党の見解は、不破哲三委員長(当時)の下記発言に集約されるといえます。
===============
■日本共産党中央委員会出版局『原発事故と『安全神話』―美浜・チェルノブイリの教訓―』(1991年)
「今日の原発問題を考えるいくつかの基本点―原発問題・日本共産党全都道府県担当者会議でのあいさつ」
< もう一つの問題は、原子力発電の現段階の到達点だけを見て、そこに欠点があるからといって、核エネルギーの平和利用の将来にわたる可能性を全部否定しまうというのは、短絡的な議論になるということです。
なにしろ、原理が発見されてからまだ五〇年、人類の歴史からいえば、われわれは、核エネルギーを利用するほんの端緒、入口の段階にあるわけですから、その入口の段階で、将来の可能性を全部否定するわけにはゆかないのです。
実際、これまでの開発の経過を見ても、戦争目的、軍事用ということで、強行開発してくるなかで、平和目的でもっと落ち着いて開発にとりくんでいたら、新しい発展の芽になったかもしれないものがつぶされてしまったということも、結構あるのです。>(17~18ページ)
===============
チェルノブイリ事故をへてもなお(現在の原発は危険だが将来の)「原子力の平和利用」について楽観的見通しをもっていたわけですね。
■2000年代以降の、原発・核燃料サイクルについての日本共産党の見解は公式ホームページに掲載されています。
http://www.jcp.or.jp/tokusyu/genpatsu/
逆に言えば、2000年以前の同党の見解は公式ホームページに掲載されていなため、見解の歴史的変遷が知ることができないので、ネットサーフしたり図書館で調べたりしなきゃいけないわけで。
第22回党大会決議(2000年11月)では、
http://www.jcp.or.jp/jcp/22taikai/22th_ketugi_201125.html#_08
<原発からの段階的撤退をめざすべきである>
と明確に脱原発に路線転換しています。
(私は、共産党の脱原発への路線転換は、3.11以後ではなく、10年前の第22回党大会だからだと思います)
しかし、2004年に改定された現綱領では、
http://www.jcp.or.jp/jcp/Koryo/index.html#Anchor-17173
<国民生活の安全の確保および国内資源の有効な活用の見地から、食料自給率の向上、安全優先のエネルギー体制と自給率の引き上げを重視し、農林水産政策、エネルギー政策の根本的な転換をはかる。>
とだけあり、原発について何の記述もありませんが、その理由は、
2003年6月の第22回党大会第7回中央委員会総会での、不破哲三議長(当時)の発言
で(普通の言葉では「説明」でしょうが)「解明」されています。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik2/2003-06-30/00_01.html#Anchor-57932
<原発の問題でもっと具体的な提起を、という発言は、多くの方からありました。
すでに吉井さん(国会)からかなり詳しい解明がされましたが、私からも若干の点をのべておきます。
現在、私たちは、原発の段階的撤退などの政策を提起していますが、それは、核エネルギーの平和利用の技術が、現在たいへん不完全な段階にあることを前提としての、問題点の指摘であり、政策提起であります。
しかし、綱領で、エネルギー問題をとりあげる場合には、将来、核エネルギーの平和利用の問題で、いろいろな新しい可能性や発展がありうることも考えに入れて、問題を見る必要があります。
ですから、私たちは、党として、現在の原発の危険性については、もっともきびしく追及し、必要な告発をおこなってきましたが、将来展望にかんしては、核エネルギーの平和利用をいっさい拒否するという立場をとったことは、一度もないのです。
現在の原子力開発は、軍事利用優先で、その副産物を平和的に利用するというやり方ですすんできた、きわめて狭い枠組みのもので、現在までに踏み出されたのは、きわめて不完全な第一歩にすぎません。
人類が平和利用に徹し、その立場から英知を結集すれば、どんなに新しい展開が起こりうるか、これは、いまから予想するわけにはゆかないことです。
ですから、私たちは、エネルギー政策の記述では、現在の技術の水準を前提にして、あれこれの具体策をここに書き込むのではなく、原案の、安全優先の体制の確立を強調した表現が適切だと考えています。>
このように共産党は、<将来展望にかんしては、核エネルギーの平和利用をいっさい拒否するという立場をとったことは、一度もないのです>。
最新の見解は、
「原発からのすみやかな撤退、自然エネルギーの本格的導入を 国民的討論と合意をよびかけます 2011年6月13日 日本共産党」で、
http://www.jcp.or.jp/seisaku/2011/20110612_genpatsu_teigen.html
「原発からの撤退の決断、5~10年以内に原発ゼロのプログラムを」
と、より踏み込んで期限を決めての(即時廃止ではないという意味で)「段階的撤退」を提案していますが、
<どんな技術も、歴史的・社会的制約のもとにあり、「絶対安全」ということはありえません。わけても現在の原発は、すでにみてきたように本質的に未完成で危険なものです。>
としています。
つまり、<現在の>原発は<本質的に未完成で危険>だからといって、将来の平和利用の可能性は(時を経るごとにトーンダウンしながらも)全否定していないわけですね。
このように路線転換、あるいは「認識の発展」?があるにせよ、3.11以後の脱原発の可能性を「模索と探求」?するには、先に紹介の
ブログ「土佐高知の雑記帳」の下記まとめにとても共感しました。
http://jcphata.blog26.fc2.com/blog-entry-2287.html
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小出さんが原発に疑問を抱き、それまでの立場を変えたのは1970年10月23日。
この日、初めて女川原発反対集会に参加したという。
だが、日本共産党が原発が危険なものであるとの認識をハッキリもったのは、それよりも遅く1975年のことだった。
その変化を促したのが、女川原発、東海村原発反対闘争をたたかっていた地方の党組織、党員だったということは注目していい。
たたかいのなかで、日本共産党は原発にたいする認識を発展させてきたと言える。
そして311を契機に原発ゼロミッション、期限を決めた原発からの撤退方針を打ち出した。
しかし、それをもって日本共産党の「原発ゼロ」政策は首尾一貫していると、強弁することは歴史を偽造することにつながるだろう。
もう一方で「原子力の平和利用」を主張していたから、日本共産党は原発推進論者だったと論難することも事実に反する。
いま大切なことは原発に反対する人たちが過去の行きがかりを捨てて、力をあわせて原発からの全面撤退を求める行動を大きくすることではあると思う。
四国でも伊方原発停止の一点での共同を強め、世論を広げるたたかいを起こして行きたい。
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