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原発推進のエネ庁の機関という矛盾 [保安院]放射能事故で分離・独立が不可避に
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/8236?page=2
2011年06月21日(火) 毎日フォーラム :現代ビジネス
東日本大震災による巨大津波に東京電力福島第1原子力発電所が襲われるまで、原発を巡っては規制緩和をどう進めるのかに焦点が当たっていた。海外へ日本の原発プラントの輸出を促進するには、日本の規制の仕組みを見直すことが必要ということからだったが、実はその中には、原子力安全・保安院のあり方も含まれていた。
原子力安全・保安院は経済産業省の一機関だ。その一方で同省には、エネルギー政策を実行する機関として資源エネルギー庁も設置されている。
震災後に菅直人首相が「白紙」としたものの、昨年6月に閣議決定されたエネルギー基本計画では、2030年までに総電力に占める原発の割合を現在の30%から50%へと引き上げることを掲げている。14基以上の原発の新設が必要となる。
これを推進するのがエネ庁だが、その一方で、既設分も含めてその安全性をチェックし、原発事故を未然に防ぐ役割を負っているのが保安院である。
■ブレーキとアクセル同居
その保安院の法令上の位置づけはというと、エネ庁の特別の機関ということになっている。アクセルを踏むのとブレーキをかける部門が、経産省の外局であるエネ庁に同居するという構図だ。
業法と呼ばれる同業種を束ねる法律を所管し、その業界の振興と監督の双方を担うというのは日本の行政では当たり前のこととされてきた。しかし、公害や薬害といった問題を経てあり方が問われた。バブル崩壊後は金融行政の見直しが行われ、消費者庁の設置というところにまでつながっている。
実際に、育成と監督の機能が分離されているのかというと疑問も残る。しかし、方向としては、そちらに向いているのは間違いない。
そうした状況下にありながら、01年の省庁再編の際に新設された保安院は、エネ庁の特別の機関という位置づけとなった。
その2年ほど前に起こった核燃料加工会社のジェー・シー・オーでの臨界事故をきっかけに発足したことになっている保安院だが、実際には、省庁再編にからんだ省庁間の利害調整の結果が、今の姿につながったと言っていいだろう。
日本の原発は、他の先進国のように軍事技術の転用ではなく、純粋に民生目的で進められた。そして、その守備範囲については、研究開発を所管するのが旧科学技術庁で、科技庁の中には原子力安全局というセクションも設けられていた。
一方、旧通産省には、エネルギー供給の安定を使命とするエネ庁が設置され、電気やガスなどの業界を所管する一方で、環境立地局が高圧ガスやプロパンガス、火薬などの保安に関する事項を担当していた。
それが省庁再編によって、文部科学省や経済産業省に改まる過程で、所管する事務が見直された。原子力安全・保安院がエネ庁の特別の機関として誕生し、原子力に関する燃料の製造から貯蔵、再処理、廃棄に至るまでと、原子力発電所自体の規制といったエネルギーとして利用する原子力の安全管理全般を担うことになった。
原子力以外では火薬や高圧ガス、鉱山の保安に関する事務も含まれている。
一方、旧科技庁を吸収する形で誕生した文科省の原子力部門は、エネルギーとして実際に利用する以外の分野が所管となった。大学でも原子力に関する研究開発が行われており、こうした分野は文科省の縄張りで、その代表例が高速増殖炉の「もんじゅ」だ。
原子力の利用には放射性廃棄物が生じ、今回のような福島第1原発のような事故ともなれば放射線による汚染が問題となる。
■蚊帳の外だった環境省
そういうことなら環境省が登場してもいいようにも思われるのだが、研究開発は科技庁、エネルギーとしての利用は通産省という旧省庁の仕切りが踏襲され、省庁再編後も原子力に関して環境省は蚊帳の外という状態となった。こうして原子力分野の権限が、エネ庁と保安院に集中してしまった。
保安院は本来、内閣府にある原子力安全委員会の実行部隊ということになるのだが、原子力安全委が実態的には存在感の薄い組織であることが今回の原発事故で明らかになった。
福島での原発事故が起こる前には、原油価格の高騰とエネルギー需要の拡大を背景に世界的に原発見直しの機運が高まっていた。日本にとって大きなビジネスチャンスであり、その波にのるために日本独自の規制の見直しが進められようとしていた。
ただし、振興と監視・監督を同じ役所が行うのは、世界では通用しないということから、保安院のあり方についても再検討すべきではないかとの指摘も行われていた。
電力の安定供給を推進する立場にある経産省が、原発が立地する地域の安全性を最優先するのだろうか。また、振興と監視・監督を行う部門間で相互に人事交流が行われている状況下で、安全が優先して担保されるのだろうか。そうした指摘が主に原発が立地する地方自治体から突き付けられていた。
それに対する反論として、実態として独立した行政が行われていれば現状でも問題はないという見解や、専門的な知識を有する人材の質と数の問題であり、組織いじりは不要との意見が、主に原子力行政に関わってきた学者などから出されていた。
しかし、福島での事故により、保安院の経産省からの分離・独立は不可避となったといえよう。だが、単に経産省から保安院を切り離すだけでは不十分だ。廃棄物や、有毒物による汚染は、本来なら環境省が所管すべき分野だ。しかし、「原子力村」は経産省と文科省の縄張りで、省庁再編を経てもこの構造は変わらなかったことを思い起こすことが必要だ。
保安院の分離だけでは、抜本的な体制の見直しにはつながらないだろう。原子力行政の再構築にあたっては、過去の原子力行政としがらみのない環境省を中心に据えるぐらいの覚悟で臨むべきではないだろうか。
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