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炉心溶融次々、1〜3号機で何が起きたのか
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110618/dst11061800490000-n1.htm
2011.6.18 00:45 産経新聞
想像を超す速度で進む炉心溶融(メルトダウン)、手間取る作業…。政府が国際原子力機関(IAEA)へ提出した報告書などから次第に鮮明になってきた事故直後の過酷な状況は、収束にむけた新工程表の実現性にも暗い影を落とす。早期の冷温停止を目指す1〜3号機で、いったい何が起きていたのか。
■1号機
最も早く炉心溶融が進み、地震から約5時間で原子炉圧力容器の損傷に至った。津波で原子炉の冷却機能をすべて失ったためだ。対応は後手に回り、水素爆発は最も早い3月12日に起きた。
11日の地震直後に原子炉は自動停止し、5分後に緊急時に炉心を冷却する非常用復水器が起動した。だが、原子炉の温度が急低下したため、11分後には手動で止められた。その後何度か起動が試みられたが、津波の後も機能したかは不明のままだ。
津波に襲われた午後3時37分、すべての交流電源が失われた。原子炉の水位は下がり続け、炉心溶融が始まった。午後8時ごろ、溶け落ちた燃料が圧力容器底部を損傷、一部は格納容器に漏れた可能性がある。地震からわずか5時間で原子炉は致命的なダメージを負ってしまった。
格納容器の圧力は12日未明に上限の約2倍に達したが、蒸気を外部に逃す「ベント」に手間取り、なすすべがないまま水素爆発に至った。
■2号機
原子炉の注水機能が最も長く継続したが、ベントに失敗。3月15日の水素爆発などで最も多くの放射性物質(放射能)が外部に出たとみられている。
地震による原子炉自動停止の3分後、原子炉に水を注入する原子炉隔離時冷却系(RCIC)が手動で起動し、原子炉の水位は維持され、津波後も炉心への注水は続いた。
弁の開閉にバッテリーを使うRCICは、8時間とされたバッテリー寿命を大幅に超えて作動を続けたが、ついに14日午後1時25分に停止。
注水が止まって原子炉の水位は急低下し、14日午後8時ごろ炉心溶融が始まった。地震から約80時間後に当たる午後11時ごろ、溶融燃料が圧力容器を損傷させ始めた。
格納容器につながる圧力抑制室付近で水素爆発が起きたのは、翌15日午前6時ごろ。爆発までに2度ベントを試みたが、いずれも失敗に終わり、格納容器内の蒸気に含まれる大量の放射能が大気中に放出された。
■3号機
複数の冷却装置が唯一機能した一方で、最高クラスの耐震性が求められる装置の配管が地震で損傷した可能性がある。
原子炉の自動停止後、2号機と同様にRCICを手動で起動し、原子炉への注水は続けられたが、バッテリーがもたず、12日午前11時36分に停止した。
その約1時間後、原子炉の水位低下を感知した「高圧注水系」と呼ばれる緊急炉心冷却装置が自動で起動したものの、原子炉の圧力は下がり始めた。地震で高圧注水系の配管が損傷し、蒸気が漏れたためとみられ、圧力低下によって高圧注水系も13日午前2時42分には停止した。
すべての注水が止まったことで、午前8時ごろに燃料が水面から露出、その約3時間後には炉心溶融が始まった。消防ポンプによる注水が午前9時25分、開始されたが、すでに「焼け石に水」だった。
14日午前11時ごろに水素爆発が発生、地震から約79時間後となる午後10時ごろ、溶け落ちた燃料で圧力容器が損傷してしまった。
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