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6.15さようなら原発1000万署名記者会見
http://youtu.be/z1q1jQ-KvIg
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http://www.peace-forum.com/mnforce/special/110615/01.html
「原発にさようなら集会」&「原発にさようなら1000万人署名」の記者会見
鎌田慧さん、澤地久枝さん、内橋克人さんが、脱原発に向けた思いを訴え、行動を提起
●2011年6月15日
●東京都千代田「アルカディア市ヶ谷」
6月15日に東京千代田区の「アルカディア市ヶ谷」で、「原発にさようなら集会」と「原発にさようなら1000万人署名」の2つの脱原発行動のスタートを告知する記者会見を開きました。
2つの運動は、大江健三郎さん、内橋克人さん、鎌田慧さん、坂本龍一さん、澤地久枝さん、瀬戸内寂聴さん、辻井喬さんの7人が呼びかけたものです。
記者会見には、内橋克人さん、鎌田慧さん、澤地久枝さんの3人が出席し、原子力発電を止めるための思いを訴えました。
「原発にさようなら集会」は、本年9月19日(月・敬老の日)午後1時から、東京の明治公園で、5万人の参加を目標に開催します。また「原発にさようなら1000万人署名」は、脱原発を求める署名を1000万人分集めて、福島原発事故から1年目となる来年の3月11日に、日本政府と衆参両院に提出しようというものです。
呼びかけ人は、2つの運動の目標として、@新規原発建設計画の中止、A浜岡からはじまる既存原発の計画的廃止、Bもっとも危険なプルトニウムを利用する「もんじゅ」「再処理工場」の廃止――の3つをあげました。
呼びかけに応え、事務局として協力するために、「原水爆禁止日本国民会議」(議長・川野浩一)、「原子力資料情報室」(共同代表・西尾漠)、「環境エネルギー政策研究所」(代表・飯田哲也)の3団体が、「さようなら原発1000万人アクション実行委員会」を結成しました。また行動への賛同を、作家・著述家・学者・法律家・ジャーナリスト・NGO代表などの方々にお願いしたところ、6月14日現在で、48人から賛同をいただきました。
以下に、記者会見での発言の要旨を記載します。ぜひご覧ください。
●澤地久枝さん
おはようございます。澤地久枝です。この運動を始めるにあたって、まだ何の下相談もしていません。ただ共通しているのは、「原発を止めたい」ということです。
自民党の石原伸晃幹事長は、脱原発を「集団ヒステリー」と言ったそうです。新聞やテレビを見ていても、「もう大丈夫」であるとか、「原発を止めたら日本は滅びる」とか、「安全である」とか、原発に対して疑問を持つ人たちを引き戻そうとするものが目に付きます。
日本が世界に先駆けて、はっきりと、核兵器はもとより原発を無くす方向へ、国の政治を変えていくべきだと思います。これは本当に正論だと思います。だけれども、そう考えている人たちが、テレビや新聞に出てきて、物を言える社会でしょうか。そうじゃありません。
ここに来る途中に乗ったタクシーで、運転手さんにそういう話をしたら、「どうそ、がんばってください」と言われました。「何かやらないのか」と思っている人は、たくさんいると思うのです。何もしないでいたら、このまま進んでしまいそうです。知らない間に、原発が54基もできてしまったのです。そして案じていた通りに原発の事故が起きて、水素爆発も起きてしまったのです。私は最初からメルトダウンが起きていると思っていましたから、子どもたちの集団疎開も必要だと思いました。
でも政府や、原子力安全・保安院の発表は、一日一日と変わりましたね。はっきりとした数字も見せません。つまり私たちは、知る権利があるのに、知らされていない状態に、放置されていたのです。
政権が交代するのかどうかわかりません。国会では「政治ごっこ」をしています。この事態に対して具体的な手を打てる、一人の政治家もいないのです。それなら、いまこそ衆智を集めなければならないと思うのです。その時に誰が首相かは、二の次だと思うのです。勇気を持て、やれる人を、私たちは首相として選びたいのです。菅さんを変えなければならない理由はありませんが、新聞やテレビを見ているとその話ばかりです。
そうした事態の中で、自分に何ができるのかを考えました。私一人の力は本当に小さいけれども、原発はいやだという気持ち、危ない物を持ってしまったことが世界に対して恥ずかしい気持ちがあります。なぜなら、広島・長崎があり、第五福竜丸があり、東海村のJCO事故があり、日本は他の国にはない被爆の歴史を背負っているのです。
原発が54基あり、その安全管理が実に杜撰であることが、明らかになりました。今度の事故でも、最初に被爆した3人の作業員のうち2人は、長靴も履かずに放射能に汚染された水に入っていって、被爆したのです。こういう核のエネルギーに対する無警戒、あるいは無知な態度は、一人の日本人として、世界に対して恥ずかしいと思うのです。
致命的なダメージは、これから育っていく子どもたちの身の上に起きるということが、チェルノブイリ事故の実例などをあげて、さんざん、語られてきたことです。いまも「安全だ」と言いながら、屋外では遊ばせないで、部屋の中で遊ばせるようにとか、全然安全でない指示が流れているのです。こうしたことに対して、はっきりと疑問を投げかける場所がないのです。
1人の力は小さいです。しかし1000万人が「原発はいやだ」と署名したら、いくら頭の良くない政治家であっても、それは無視できないと思うのです。これは100万人では、ダメだと思うのです。人を動かすことができる数字は、1000万人だと思うのです。鎌田さんから提案をもらった時に、鎌田さんにそういう話をしたら同じ意見でした。
1000万人の署名はできます。いまバラバラに運動が始まっていますが、一つの形を作って、呼びかけ人の責任で取りまとめて、政治家たちに突きつます。その実績を早く作りたいのです。
署名に際しては、自分の意思で名前を書ける人は、年齢制限は必要ないと思います。ハンディキャップを持っていて自筆で書けない人は、そのむね記して誰かが代筆する。そうした幅の広い署名をやっていきたいと思います。最初は18歳以上とか、20歳以上とか、有権者とか、年齢制限を考えたのです。でもいま関心を持っているのは、子どもたちも同じです。ですから年齢制限なしで、自筆の署名を1000万人集めます。
この事故は、日本だけの問題では済みません。海には仕切りはありません。空気にも仕切りはありません。ですから、朝鮮半島や、アメリカ西海岸や、台湾で、福島原発の事故による放射能被害が出ているのです。地球に対する致命傷になるようなマイナスなことを、日本はやってしまったのです。私は恥じたいと思います。恥じるだけでなく、行動に移したいと思います。
亡くなった小田実さんは、「一人でもやる、一人でもやめる」といていました。「小さな人間が、大きな人間を動かす」とも言っていました。思ったことを口に出し、政策として実行することを小田さんは実現していました。
その小田さんが亡くなりました。加藤周一さんが亡くなりました。井上ひさしさんも亡くなりました。日本の良心だと思われていた人たちが、亡くなり、また具合が悪くなり、こうした場所に、出てこられなくなりました。出てくることができない人たちも、「やらなければならない」という意思があることは、はっきりしています。ですから私は、出てくることができない人、亡くなった人たちも含めて、そうした人たちの思いを背負って、この場に来ました。
みなさん、どうぞこの問題を理解していただき、人々に広めていただきたいと思います。よろしくお願いします。
●内橋克人さん
内橋克人と申します。みなさん、おはようございます。今日は本当にありがとうございます。鎌田さんから、声かけられました。今、やはり声を上げて行動しなければいけないとこういう決意、非常に深いものがあります。
私は、経済の世界、世界経済、日本経済ですけれども、ちょうど53年、54年目と、半世紀以上、眺めてまいりました。当初、私は、経済、それから技術、とりわけ匠の時代という日本の技術の先端というのですか、技術大国といわれるとようになりました、開発という形でそのきっかけを作った人々、そういったものから取り掛かったわけです。
ちょうど今から25年前に、「原発への警鐘」という本を書きました。今から29年、30年前に、アメリカから原発が導入されてくる。福島第一原子力発電所の1号機の開発が、どのようにして行われたのかというところから歩き始めました。そして、関わった人たちの証言をそれぞれ得ながら、現場を歩きました。
当初は、原発に対して賛成でもなく反対でもないという、皆さん方と同じような関心の持ち方、立場でした。それで取材し、とにかく自分の目で確かめるというこういうことをはじめたわけです。そういたしますと、今も覚えていいますけれども、ひとつは原子力発電エネルギーに対して、疑いを持つ、意義を呈する者は、「科学の国のドン・キホーテ」だといわれたのです。先端的な科学立国である日本の中で、もう本当に遅れた前世紀の遺物であるようなドン・キホーテだとこういう扱いだったのです。あるいは異端者ですよ。30年も前にそういう経験をして、それを書きました。
もっと覚えておりますのは、島根原発の第二号炉を増設するときです。原子力安全委員会が、公開ヒアリングを行いました。地元の人たちの、住民の意見を聞くということです。ところが、それがまったく儀式に過ぎないということを、取材しまして、行くところ行くところ、全て儀式なのですね。
子どもさんを二人も持っている若いお母さんが、例えば、「島根原発で事故があった場合に、私たちに宍道湖を泳いで逃げろというのか」と、本当に胸詰まる質問を発するのです。そうすると、原子力安全委員会の委員長が議長をしておりましたけれども、一切無視したのです。「私たちはあなた方の話を聞くだけだ」、「私たちは意見を述べない」という、こういう態度、これを終始貫いたのです。ついに通産省の方は、次の発言者をうながす。こういう事態を、長い時間をかけて取材をし、発見いたしました。
そうして何ができたかといいますと、「合意なき国策」なのです。「原子力エネルギーは国策」といっているけれども、国民的な合意は、いつ誰が与えたのか。実際に原発54基と、さらには14基。当時は、原発100基構想がありました。それでもって、この海沿いに、地震列島日本を囲い込んでいくという、何処に行っても、海の景観を見ようと思うと、原子力発電所の設備が目に入ってくるという、日本列島を原発で囲い込んでしまおうというこういう事態が進みつつあったのです。一時は、原発122基構想と唱えられたこともありますね。
「原発への警鐘」の中で、どんどん原子力発電、もちろん技術も含めてですが、それの「合意なき国策」を進めていくそのやり方、これに対して大変に怒りをもつにいたりました。そういうことで様々ございました。そういう中で「科学の国のドン・キホーテ」でした。
それから、市民の漠然とした不安です。生きている人間が、生体、生きている身体として、ごく自然に、どっかやっぱり不安なのではないでしょうか。科学者はそういう風に言うけれども、技術者はそういう風に言うけれども、不安ではないか、漠とした不安というものを持つというのです。それを一切、考慮することない。そういう漠とした不安こそが、実はこれからの、21世紀のリスク社会といわれる世の中で、最も大事な平衡感覚なのです。それを全て無視してしまって、果たして、本当に安全な技術開発、人間の幸せにつながる技術開発はあるかと、そうそういう疑問をどんどんどんどん含めてきたわけです。
そう意味では私は、原子力発電に対する疑問を、30年前に一つの形として、既にまとめているわけです。その中で、「合意なき国策」です。
そして申し上げたいことは、原子力発電そのものを、人間の制御下、アンダーコントロールにおけるものではないということが、事実を調べる中で十分わかってきた。とりわけ、地震列島、この狭い活動期に入った日本列島の中に、原発過密立国というのが、はたして人々の安全、幸せにつながるのかという、大変深い疑問を持ったのです。
そして、福島の今問題になっております1号炉、これが作られる過程も、詳細に証言を得て、再現いたしました。これはフルターンキーです。ターンキーというのは、キーをいただいて、ぐるぐるっと回せば、ダダッとエンジンが動くというのですね。
全てアメリカ人からいただいた、しかも技術者が全て福島にやってきてビレッジをつくって、そして最後にキーをいただいて、それを差し込んでぐるぐる回せば、稼動するという。何にも疑問をさしはさむことが許されない。与えられるものは何でもいただくという、それをそっくりいただくという、そういう状況です。こうした技術開発は、とても危ないと思うのですね。
その結果、アメリカにおいては、一部報道に出されましたけれども、私のコメントも入っていますけれども、アメリカにおいては、台風とかハリケーンとか、そういうものに備えた、原子力発電の設備が造られていたにもかかわらず、日本にそういうものを持ってきていない。日本は一応台風の心配もありますけれども、もっと心配なのは、地震があり、津波なのですね。地震、津波という日本列島の固有の脅威に備える施設、システムになっていない。それをいただいてくるという。これは日本の戦後の技術開発、大変そういう部分が多い、それだけフルターンキーというこういうのはあります。これにも、私は大変議論もちました。そしてそれも、当時の日本の技術者はアメリカに、わずか2週間研修に行っただけなのですよね。
さらに申し上げたいことは、「合意なき国策」と申し上げましたけれども、言うまでもなく、原発利益集団というのが出来上がっていく。原発マネーフローですよね。それは、不毛の民主主義、民主主義とは異なります。私たちは一人一票しか選挙権がないのに、もうひとつの選挙権、もうひとつの選挙民集団、これが日本の経済界で、経済権力を持っている人々が、これを行使している。
例えば某経済団体は、当時の政権政党の自民党、あるいは野党、政策評価というのをやって、AからDまで、ABCDとランク付けをして、政治献金を斡旋するんです。そういうことをやる中で、エネルギーについての態度、その政党が原子力エネルギーに対して前向きなのか、否定的なのか、それをランキングして、政治献金の額を割り振る、それを決めていくという、もうひとつの選挙民集団、経済権力なのです。これが原子力というものを取り囲んだ、利益集団を形成している。その実態も十分にわかってきました。
アメリカで当時、トーマス・F・マンクーゾーというピッツバーク大学の医学博士がいいました。原子力発電や放射線障害について詳しい調査をしておるんですね。マンクーゾー報告というのがございますけれども、それも紹介いたしました。その中で、出てまいりますが、スロー・デスという言葉があります。緩やかなる死です。晩発性の20年、30年かけてゆっくりとやってくる死、これはスロー・デスなのですね。津波で即亡くなってしまう、それはもちろんサドン・デスですね。サドン・デスに対してスロー・デス。においもなければ、香りもなく、色を見ることもできない。めがねでも見えない。何の音もしない。そういった不気味なる放射線で、20年、30年後に、そういう障害が現れて、ゆっくりとした死に向かうというケースが、実際に易学的調査その他で、実に明快に、アメリカで調査されていたのです。
それもいただきまして、私は、これを書きました。京大の原子力実験室で、大変良心的なある先生に、正当な評価をしていただいたのです。その当時、その方は助手だったのです。今なお、助手なのです。大変に優れた原子力の科学者であるにもかかわらず、今進めている日本の国策に反するということから、今なお助教、教授になれない。30年経ても、助教、助手ですよね。
こういう、学問研究における差別があります。そうして、原発、エネルギーの排出、エネルギーの消費社会、電力エネルギー消費社会を作り上げていく。そして、国策としての、原子力発電所の建設をすればするほど、原子力以外の自然な再生可能エネルギーへの意思というものをつまんでしまうのです。ますますエネルギー選択の幅を、自ら狭めてしまうのです。とても残念です。私は、北欧デンマークにおけるエネルギー選択、ヨーロッパにおけるエネルギー選択、ずいぶん早く書いてまいりました。90年代半ばに、「共生の大地」といういわゆる岩波新書を書いて、その中に詳しく、各国におけるエネルギー選択のあり方を書いてまいりました。こうした自由なエネルギー選択というのがあるからこそ、技術は進むわけです。
それを、原子力発電、原子力エネルギーに特化させることで、本当はもっと幅の広いエネルギー選択の幅を自ら狭めてしまった。そして「ここに至った」のだと思います。今回の3.11が、人々に及ぼす、世界に及ぼす影響、これは申し上げるまでもなく、結局、人間の制御下置けるものではない。そういう事故の悲惨について、私は、強調させたいです。
そして、戦前における軍需産業、これが戦後における原発産業であった。ですから、原発産業で数千億、こういったものを作り上げていくことによって、国内での個人消費がたとえ豊かにならなくても、個人が豊かにならなくても、経済が成長できるような構造をつくっていったのです。戦前は、昭和恐慌から脱出するための軍事産業を興していく、そして戦争につながったのです。戦後は明らかに、原子力エネルギーという部分に、私たちはかつての軍需産業の姿を見ることができるのです。これはどうしても止めなければなりません。
そして、その根底は、様々あると思いますけれども、次にくる世代、さらに次に来る世代のために、どうしても原子力発電をやめなければならない。私たちの国、とりわけこの活動期に入った地震列島日本、これを過密原発立国、原発過密列島にしてはならない。そういうことを何とかして、皆さん方に伝えていただきたいし、私自身もこれからも発言を続けたいとこういうことでございますので、ご理解いただきたいと思います。以上です.
●鎌田慧さん
いま原発のある地域は、全部、反対運動のあった地域です。反対運動があったけれども、潰されてきた地域なのです。お金で潰された地域です。僕は全てまわてきましたが、全部お金で潰されているのです。買収されています。電力会社が、何でも寄付し、お金で買ってあげてしまう。それは電力料金にそのまま加算されていますから、ものすごいお金をばら撒くということなのです。
電源三法で、原発を1基作りますと、最初の建設までの10年間で500億円、稼働してから10年間で400数十億円、20年間で1000億円が入るのです。建設でも5000億円くらいのお金が入りますから、膨大なお金が、地域に流れ込んでいくのです。
ですから反対運動も、なかなか成立しません。いまでも、ほんの少数の人たちが残っていますが、ほとんどが負けてしまっています。反対すると、「お金を返せ」と言われるのではないかという話もあります。原発は、アン・モラル、非道徳な存在です。全てをお金で解決してきたのです。
原発体制として、国・官僚・政治家・学者・マスコミ・裁判所が一体化して、頭の上に乗っていました。それがいま、不幸なことですが事故が起きて、それがはじけて、語りやすくなったのです。そういう時に、大きな運動で、押し返していく、そのチャンスなのです。なんとか署名と、集会を、やり遂げていきたいと思います。ヨーロッパに負けないような、大きな力を発揮したいと思います。
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