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【正論】三菱UFJリサーチ&コンサルティング理事長 中谷巌
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110614/plc11061402570007-n1.htm
2011.6.14 02:55 産経新聞
■30年がかりで「脱原発」を目指せ
≪日本復興の大きな契機に≫
3・11(東日本大震災)から早くも3カ月が過ぎ、日本復興のための多くの政策提言が出されたが、日本を本格的に復興させるものはまだ見当たらないようだ。
私は日本復興の起爆剤として敢えて「脱原発」を提案したい。もちろん安定的な電力供給のことを考えると、「脱原発」を直ちに実行することはあり得ない。したがって、提案は、たとえば、30年の猶予期間の後、すべての原発を廃炉にするというものにしたい。そして、その際、「脱原発」に転じたり傾いたりしているドイツやイタリアなどと協調して、国際世論に訴えていくことも重要だ。
この点、先般、主要国(G8)首脳会議(サミット)における菅直人首相の「2020年代に自然エネルギーを20%にする」という内容のスピーチが、相も変わらぬ中途半端なものであったことは残念至極だった。唯一の被爆国であり、また、現に原発事故で放射能の脅威に晒(さら)されている、日本からの「脱原発」宣言は、多くの国際的な共感を得られたに違いないからだ。
もちろん、産業界からは、「脱原発は不可能だ」「電力需要が賄えない」「自然エネルギーは採算が合わない」といった強い批判が噴出するだろう。たしかに、30年の猶予期間をおくとしても、原発の自然エネルギーによる代替は、想像を絶する困難を伴うだろう。裏返していえば、それほど原発は効率的なエネルギー源だからである。
しかし、私は逆に、「脱原発」こそ日本復興の大きな契機になりうると考える。もっといえば、それぐらいの大転換がなければ、閉塞(へいそく)感の強い日本の再生など、とうてい叶(かな)わないとさえ考える。
≪厳しい規制こそ「発明の母」≫
なぜか。それは、「規制はしばしば巨大な技術革新を生む」からだ。1970年、かの有名なマスキー法が米国で施行された。「75年以降製造する自動車の排ガス中の一酸化炭素、炭化水素排出量を従来の10分の1以下にする」という、途方もなく厳しい排ガス規制であった。しかし、クリアするのが不可能と思われたこの規制こそが、日本を世界有数の自動車生産大国に押し上げた。日本の排ガス関連の技術開発力が圧倒的だったためである。
たしかに、自然エネルギー開発は今のところ、不十分な段階にとどまっている。しかし、「脱原発」によって自然エネルギーへのシフトは加速するはずだ。国の支援も不可欠だが、それより、マスキー法への対応能力や、戦後日本の奇跡的経済成長にみられるように、「いったんやると決めた後の日本人の底力」に、日本人はもっと自信を持つべきだと思う。そう考えれば、「脱原発」が日本を「自然エネルギー大国」として再生させる可能性は、決して小さくはない。
いや、すでに自然エネルギー大国への萌芽(ほうが)は、あちこちに出始めている。たとえば、「印刷が可能で、折り曲げ可能な次世代太陽電池」が、間もなく商品化されようとしている。超軽量で、コストも従来の太陽光発電の10分の1になるという。もちろん、これは数ある新商品の氷山の一角に過ぎない。「脱原発」の流れが定まれば、この種のイノベーションが雨後のタケノコのように無数に出てくるはずだ。
≪「文明の転換」という視点≫
経団連など経済界の大勢は原発推進の立場だが、「脱原発が日本を自然エネルギー大国にする」という可能性について、ぜひ前向きの検証をお願いしたいと思う。
もっとも、経済合理性だけで「脱原発」を説くのは、筆者の本意ではない。「脱原発」論には「文明の転換」という歴史的視点も必要だと思うからである。
ギリシャ神話には、火を盗んだプロメテウスを懲らしめるため、ゼウスがパンドラに不幸の詰まった「パンドラの箱」を開けさせる話が出てくる。古事記には、「火の神」を産み落とした際に大やけどをしたイザナミが、「黄泉(よみ)の国」に行く羽目になる話がある。このように、古代から火は文明の象徴であるとともに、災いをもたらすものという認識があった。
現代人は、「科学がすべてを解決する」という「科学万能思想」を信奉することで、経済成長を実現した。しかし、この思想が近年、地球環境問題やクローン人間など、科学だけでは解決不能な問題を次々に生み出してきたことも事実である。原発にしても、テロや直下型地震など、「想定外」の出来事に完全に耐えられるものを建設することは、おそらく不可能であり、われわれはそのことに、もう少し謙虚になる必要があるのではないだろうか。
文明論的にいえば、「脱原発」は、自然は征服すべきものだというベーコンやデカルトに始まる西洋近代思想を乗り越え、「自然を慈しみ、畏れ、生きとし生けるものと謙虚に向き合う」という、日本人が古来持っていた素晴らしい自然観を世界に発信する絶好の機会になるのではないだろうか。(なかたに いわお)
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