http://www.asyura2.com/11/genpatu12/msg/662.html
Tweet |
平成23年5月30日(月)発売
小学館 通知
亡国の官邸・御前会議全内幕
この許し難いエセ原子力通≠フおかげで放射能がバラ撒かれた
「再臨界だ」と煽ったのはやっばりこの男
───
無能であることは罪ではない。だが、無能な者が自らの能力を根拠もなく過信し、その判断を周囲に押しつけることは罪深い。しかもその失態を認めようとせず、卑怯にも他人に責任転嫁して被害を拡大させれば、もはや大罪である。そんな人物が総理大臣の椅子に座る不幸を一日たりとも長引かせてはいけないのだ。
───
科学的知見ゼロの「エセ専門家」
20万人以上の避難・退避者を出し、日本中に経済的被害をもたらした原発事故は「人災」にはかならない。
福島第一原発1号炉への海水注入が停止したとされた「空自の55分間(※@)」の真相を追うとそのことが明確になる。
本誌は当時の経緯を知る複数の官邸事務方スタッフや原子力安全委の事務局関係者の証言を得た。 3月12日18時頃、菅首相を囲む「御前会議」は官邸の総理執務室で行なわれた。
1号炉の冷却水が尽きて2時間半が過ぎ、炉心をいかに冷却するかという問題で緊迫していた頃だ。執務室には、菅首相と班目春樹・原子力安全委員長の他に、海江田万里・経産省、福山哲郎・官房副長官、細野豪志・首相補佐官、原子力安全・保安院と東京電力の幹部が顔を揃えた。枝野幸男・官房長官は、避難区域の拡大の対応に追われて、「執務室を出たり入ったりしていた」という。
官邸スタッフが振り返る。
「総理は班目委員長や保安院に露骨に不信感を見せていた。原子炉の圧力が下がれば大丈夫だといっていたのに、15時半過ぎに1号機の建屋で水素爆発が起きたからです。総理は野党党首たちとの会談の席で『間違いなく安全だ』と説明したばかりだったから、『話が違うじゃないか!』と血相を変えていた。ひとたび信用できなくなれば、総理は何でも自分で確かめないと気が済まない」
菅氏は東京工業大学理学部応用物理学科卒で、「僕はものすごく原子力に詳しい」と周囲に自慢していた。
その専門家≠ェ会議でこだわったのが「再臨界」だった。
再臨界とは、地震直後に停止した原子炉内の核分裂の連鎖反応(臨界)が再び起きることだ。臨界には減速材(※A)となる水が必要であり、炉内に海水を入れることで再び臨界が起きやすくなるのではないかと心配したのだろう。
菅首相は柾目氏に、
「再臨界の心配はないか」「可能性はゼロなのか」──そう執拗に問い詰めたという。
原子力安全委の事務局関係者が明かす。
「班目さんは科学者だから100%ない≠ニ断定する人ではない。繰り返し聞かれれば、ゼロではないと答えるしかなかった。
それでも海水注入は必要だといくら説明しても、総理は再臨界ばかりを心配していたそうです。会議の後、班目さんが本当に樵拝しきった表情だったのをよく覚えています」
もっとも、本物の専門家からすれば、首相の懸念は一笑に付される代物だ。本誌は過去に何度も、再臨界の可能性は極めて低く、たとえ一時的な臨界が起きても核爆発のような事態にはなり得ないことを専門家の詳細な分析とともに報じてきた。東芝で電力・産業システム技術開発センター主幹を務めた奈良林直・北海道大学教授(原子炉安全工学)が語る。
「あの状態で再臨界を心配するようなら専門家ではない。海水ならば、むしろ量水より再臨界は起こりにくい。海水注入を継続すべきなのはいうまでもない」
原子力安全委の久木田豊・委員長代理(原子力執工学)は、班目氏とともに記者会見し、「再臨界が起こったとしでも、海水注入を止めるよろな危険を冒すべきでないとは当然だと考えている。再臨界という言葉を問いみだけで爆発が起きると受けとられている方がいないではないので、あえていう」
と、痛烈に「エセ専門家」の科学的知見の低レベルも批判した。
「視察でベント延期」決定的証拠
そもそも菅氏が激怒した水素爆発そのものが、自身の初動ミスで起きたものだ。
東電は事故から2か月以上経ってから、1〜3号炉が炉心溶融を起こしていたという分析結果を発表した。
菅首相は「聞いてなかった。知っていて嘘をついていたことはない」というが、それこそ真っ赤な嘘である。
(※@)空自の55分間/3月12日14時53分、福島第一原発1号炉への真水の注入が停止し、19時4分から海水の注水を開始したが、「官邸で海水注入の是非が議論されている」という情報が東電本店に伝わると、本店と福島原発の話し合いで注入停止が決まり、19時25分に注水が中断された。その後、海江田・桜庭柏が20時20分に注水の命令を出すまでの55分間のこと。
後に、東電は「福島原発所長の判断で注水は続けていた」と説明を変えたが、その証拠は示されておらず疑惑視されている。
(写真)菅曹首相は防護服を潜ないと家にも帰れない避難民にどう弁明するのか(左は福島第一原発1号機
震災が発生した3月11日の22時、原子力災害対策本部の事務局は、ERSS(緊急時対策支援システム)を稼働させて福島原発の事故進展予測を行ない、メルトダウンを明確に予測し、その情報は官邸にも報告されていた。
ERSSとは全国の原発の原子炉の圧力、温度などのプラント情報をリアルタイムで把握し、事故が起きればその後の進展を予測して、炉心溶融などに至る時間や放射性物質の放出量をはじき出すシステムだ。保安院の資料によると、予測は原子炉の冷却水の水位などプラント情報が比較的失われなかった2号機を中心として行なわれた。
2号機は地震発生の11日14時47分に緊急停止し、20時30分に原子炉への注水機能が喪失。そして22時のERSS予測にはこう記されていた。
〈22‥50 炉心露出
23=50 燃料被覆管破損
24‥50 燃料溶融
27‥20 原子炉格納容器
設計最高庄到達。原子炉格納容器「ベントにより放射性物質の放出」〉(アンダーラインは編集部)
燃料溶融も、ベントしなければ格納容器が設計最高圧を超えて危険な状態になることも官邸に伝えられていたのである。
原子力災害対策本部事務局は、この2号機の予測をもとに、1号機と3号機の事故進展予測も行なっていた。
これだけ重要で正確な情報があったのだから、その日のうちに避難地域を拡大させなければならなかったことはいうまでもない。
それ以上に罪が重いのは、このERSS予測が、その後も公表されなかった理由だ。それがあれば住民の被曝は最小限にとどめられたはずなのだ。
この予測が爆されたのは、ベントが遅れた理由が、菅氏の思いつき視察≠セったことを明白に示すからではなかったか。
緊急停止した原子炉のうち、真っ先に非常用電源が止まって危機に陥ったのは1号機だった。そこで原子力災害対策本部は、ERSS予測通りに12日の「3時半」に1号機のベントを実施する計画を立てた。
それを物語る資料がある。
同日未明の1時12分、同対策本部は気象情報をもとに放射性物質の拡散予測を行なう文科省のSPEEDl(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)に、「3時半放出開始」という条件で、1号機のベントによる放射能拡散を予測させた。
この時の試算図では、風は海に向かい、内陸部に放射性物質は拡散しないという結果を弾き出した(図A)。
すなわち、被害を最小限に抑えるタイミングであることを示していた。
それを妨害したのが「視察に行く」と言い出した菅首相だった。
当時、首相官邸のオペレーションルームには警察、防衛、国交など各省庁から集められた課長補佐クラスが詰め、首相の原発視察の調整を行なっていた。そこに原子力災害対策本部の事務局からSPEEDI試算図がファックス送信された。
「オペレーションルームでコピーは回覧された。ベントを予定通りに行なえば、総理を被曝させることになる。行かなければ、絶好のタイミングでベントできる。
視察を中止すべきだという慎重論も出たが、結局、総理の意向が優先された」(内閣官房の事務スタッフ)
ここから官邸はベント延期に動き出した。
菅首相の原発視察(12日7〜8時)は、3時過ぎから開かれた枝野氏の記者会見で発表された。それと同時に、ベントの予定時間が変更された。
証拠がある。枝野会見後の3時53分、原子力災害対策本部事務局はSPEEDIを運用する文科省に、1号機のベント実施時間を「12時(正午)放出開始」へと遅らせて試算し直させていた(図B)。正午とは、首相が視察を終えて官邸に戻った直後だ。この延期は首相を被曝させないためだとしか合理的に説明できない。
だからこそ、枝野官房長官はSPEEDIの図Aが官邸に送られていたことが発覚すると、「私も総理も見ていない」(5月20日の記者会見)と言い張って責任逃れしようと躍起になったのだろう。
(写真)図A 3月12日1時12分作成 3時30分からベントした場合の試算図
(写真)図B 3月12日3時53分作成 12時からベントした場合の試算図
改めて2枚の試算図を見比べてほしい。当初の予定通り、3時半にベントが行なわれていれば、放射性物質の大半は海上に飛んでいた(図A)。 そこからの菅首相は、自分の失態を隠すために、さらに暴走していった。 菅首相の原発視察問題でも、信じ難いことが起きた。 今回の原発事故でも、菅氏は「再臨界だ」と煽り立てて事故処理を誤らせ、国民を被曝させ、国際的信用を失わせた挙げ句、その責任からは姑息な手段で逃れ、そのせいでさらに被曝被害を広げるという卑怯者ぶりを見せている。まさに「第4列の男」だ。 このままでは国民にさらなる犠牲が出る。卑怯な嘘つき政権には一刻も早く退場してもらわねばならない。
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ
★阿修羅♪ > 原発・フッ素12掲示板
実際のベントは12日の14時30分から実施された。その時間に近い図Bでは放射性物質は海風に乗って双葉町や浪江町などに拡散すると予測された。
ベントを遅らせたために、放射性物質が陸地方向に飛び散り、多くの住民、子供を被曝させたことを示しているのである。
しかもその日、首相を乗せた自衛隊ヘリは、試算図が放射性物質が拡散すると予測した海側を避けて飛行した。陸自幹部が明かす。
「ヘリは南から福島第一原発に接近し、原子炉上空を陸側にぐるっと回避して到着した。そのままでは次の離陸の際には海に向かって飛ぶことになるから、着陸時には、半回転して機体を内陸に向け直しています」
これこそ官邸がSPEEDI予測を知っていた動かぬ証拠だ。
「第4列の男」の本性
ベントの遅れと、海水注入の中止で事故を深刻化させると、菅氏は東京電力本店に乗り込み、「撤退するな。逃げれば東電は潰れる」と社員を脅した。自分の失態を民間人の命で穴埋めさせようという、まるで左翼独裁政権のような発想だ。
菅首相は国会で海水注入の中断を追及されると、「注水の時もやめる時も、直接報告は上がっていなかった。
『やめろ』とか、『やめるな』とかいうはずもない」と否定し、班目氏と東電に責任を転嫁した。官邸の側近たちは、前述の「御前会議」で、班目氏が「再臨界が起きる危険性がある」と海水注入のリスクを指摘し、中断は「東電の自主的判断」によるものとする文書まで一度はでっちあげた。
さすがに班目氏も東電も官邸のやり方に反撃に出た。
班自民は「侮辱された」と撤回を求め、東電も海水注入を事前に政府(原子力安全・保安院)に文書で連絡して判断を仰いでいたことを公表した。
言い逃れができなくなった枝野官房長官は、5月25日の会見で「海水注入準備の情報は聞いていたが、実行したとは聞いていない」と屁理屈をこねて逃げる一方、その前日には東電の財務調査を行なう第三者委員会の設置を閣議決定し、東電の背中にヒ首(ふいくち)を突きつけていた。東電はその26日になって「実は注水は続けていた」と説明を一変させたが、そこには何の根拠も示されておらず、その不自然さは拭いようがない。
前述のように、枝野長官は保安院から官邸にファックスされたSPEEDI予測を「見ていない」と説明。
ところが5月25日、国会で自民党議員が、「このファックスは枝野氏など官邸の政治家宛てではなかったか」と質問してファックスの送信表の公表を要求すると、3秒前まで「ファックスで送った」と説明していた寺坂信昭・原子力安全・保安院長は、いきなり「やっぱり電子媒体でした」と答弁内容を一変させた。菅政権は「保安院解体」の検討を打ち出しているから、こちらの背中にもヒ首が光っている。
SPEEDIという災害警報を国民に隠し、その大罪がバレそうになると、学者も企業も官僚も自分たちの盾に使う。
学生運動の闘士だったことで知られる菅首相が、実は他の学生や機動隊の間では、「第4列の男(1列目から3列目は機動隊との衝突で負傷したり検挙されたりするため、その後ろに隠れている卑怯者を指す蔑称)」と馬鹿にされていたことは、本誌報道などで広く知られるようになった。
注)語句色付け強調 投稿者
フォローアップ:
重複コメントは全部削除と投稿禁止設定
ずるいアクセスアップ手法は全削除と投稿禁止設定
削除対象コメントを見つけたら「管理人に報告」をお願いします。 最新投稿・コメント全文リスト
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。