http://www.asyura2.com/11/genpatu12/msg/608.html
Tweet |
*
(転送、転載を歓迎します)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1735547402&owner_id=6445842
菅谷昭(すげのやあきら)先生(1943−)は、日本を代表する甲状腺外科の権威です。
菅谷先生は、1991年からチェルノブイリ原発事故の被災地であるベラルーシにおいて、甲状腺外科医として、現地の医療支援活動に参加し、1996年1月からは、ベラルーシに居住して、ミンスクの国立甲状腺ガンセンターで、甲状腺癌の診療に従事されました。
御存知の通り、チェルノブイリ原発事故の後、ベラルーシを中心とする被災地では、若年者の甲状腺癌発生率が、事故以前の数十倍に増加し、子供や、若者が、甲状腺癌に苦しめられると言ふ状況が生じました。
菅谷先生は、そのベラルーシで、甲状腺癌の手術を多数行なひ、現地の医師達の教育、指導にも当たって来られました。
その菅谷先生の2001年の著作の一節を以下に御紹介します。
--------------------------------------------------------------------
(以下引用)
ぼくが、ミンスクの国立甲状腺ガンセンターに来て、最初に立ちあったこどもの甲状腺ガンの手術は、14歳のアリョーナでした。
透き通るように色が白い、可憐な瞳をもつ美しい少女でした。彼女はチェルノブイリ事故以後おこなわれるようになった、学校の定期健康診断で首にしこりを発見され、その後の検査の結果、甲状腺ガンと診断されました。ガンを切除する手術のため、高度に汚染された遠くの町から、首都ミンスク市にある国立甲状腺ガンセンターに紹介されてやってきたのです。
彼女と会ったときぼくは、このガンセンター初の外国人医師として勤務するようになったばかりでした。
入院直後の病棟回診で、ぼくが首のしこりを診察すると、言葉を充分に理解できない外国人の医者であるにもかかわらず、アリョーナは笑顔を見せながら少しも嫌がることなく応じてくれました。しかしこのときの彼女は、数日後に迫った手術のことで、不安と苦痛が入り混じり、心が破裂しそうだったのではないかと想像します。
「私の首に手術のきずがつくなんて、いったいどうして!?」
きっとそんな切実な疑問が渦巻いていたことでしょう。
手術の日、アリョーナは変わらぬ愛らしいほほえみを浮かべながら、意外にも落ち着いた様子で待ちあい廊下のイスにひとりで腰かけ、自分の順番を待っていました。
アリョーナの名前が呼ばれました。すると彼女はしっかりとした足どりで手術室に入ってきたのです。
看護婦の指示にしたがい彼女はベッドに上がり、あおむけになりました。すぐに点滴の針が腕に刺され、血圧や脈拍のチェックをし、麻酔器の点検がおこなわれました。手術のためのすべての準備が整いました。
「それではいいかな、アリョーナ、さあ始めるよ」
経験豊かな麻酔科の医師が、やさしく語りかけると、彼女は小さくうなずきました。
ところがその瞬間、突然アリョーナの目頭がすーっと赤く染まったのです。そして二、三度またたいたあと、両方の目から水晶のように透明な澄んだ涙のしずくが、ひとつぶずつ白い頬(ほお)をつたって流れ落ちました。
彼女は涙を見せたことを少し恥ずかしがっているようでしたが、次の瞬間、深い悲しみをこめたそれは美しい笑顔を見せたのです。声をあげて泣きだしたい気持ちをじっとこらえているのが、誰の目にも痛いほどつたわってきました。
全身麻酔を開始すると、アリョーナはなにごともなかったかのように、静かに目を閉じ、深い眠りの中にいざなわれていきました。ほどなくして、彼女の透き通るような白い首にメスの刃が切りこまれ、手術は始まったのです。
(菅谷昭(すげのやあきら)『ぼくとチェルノブイリのこどもたちの5年間』(ポプラ社・2001年5月)21〜24ページより)
--------------------------------------------------------------------
私は、原子力発電に賛成する人間とは、口もききたくありません。
平成23年(2011年)6月11日(土)
西岡昌紀(内科医)
--------------------------------------------------------------------
■震災3か月、各地で原発反対デモやイベント
(読売新聞 - 06月11日 21:15)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1634081&media_id=20
震災3か月、各地で原発反対デモやイベント
(読売新聞 - 06月11日 21:15)
東京・千代田区の東京電力本店前で「脱原発」を訴えデモ行進する人たち=伊藤紘二撮影
東日本大震災による東京電力福島第一原子力発電所の事故から3か月となった11日、原発に反対するデモやイベントが全国各地で行われた。
東電柏崎刈羽原発がある新潟県では、市民団体などで構成する実行委員会がデモを企画。約200人の参加者は「柏崎刈羽原発を止めろ」などと声をあげながら行進した。
東京・代々木公園では、地震発生の時間に合わせて黙とうした参加者が、渋谷、原宿駅周辺で、脱原発や自然エネルギーへの転換などを訴えてパレード。夜には新宿駅前で原発に反対する集会も開かれた。
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 原発・フッ素12掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。