10. 相馬仁 2011年6月15日 01:46:07: UY7d2Se5/XFTQ
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宮島鹿おやじ さまこんばんは。相馬仁です。 昨晩から、ライブカメラで三号機か四号機か、よくわからないですが…異常事態のようですね。本当に恐ろしいです。 さて、 >有名な「2重スリット実験」の結果についてです。その実験結果の意味を、すく>なくとも現在の主流的な理解をすることに(回りくどい!)成功したときの異様>な戦慄は未だに思い出す度に繰り返されています。世界の実相というものを一瞬>かいま見たというのが正直なところです。 >私が見るから世界が変わる。→なんじゃそりゃ。 >・・・普通はそうなりますよね。 >この辺について、さらにご教示いただけるとありがたいです。よろしくお願いし>ます。 とのことで、間が空いてしまって申し訳ありません。(遅すぎて、このレスがお目につくかも)疑問ですが…(苦笑) ですが、教示なんてトンでもありませんので、そこはご勘弁を。 現在も進行中のフクイチクライシスですが、もともと原子力=核の問題であるわけです。核、そしてコンピューターの双子の技術は、その発祥からして「量子力学」から発展してきた技術であります。 原子、素粒子、クオークと電子の振る舞い(二重スリットの件)について、それまでは私たち人間が抱いてきた「物」という概念が通用するのは、大雑把に言って「原子」世界までという、観察の事実(いわゆる客観的なるもの)の崩壊であったということですよね。 今回の原子炉事故に直面して、初めて原子力とはなんぞや?と知った人が多いものと伺われますが、この核技術とコンピューターという、人間の生活にすっかり食い込んでしまっていて、あまりに考えることもなく使用してきた双子の存在が、実のところ「物」を物として捉えることが出来ない「量子力学」に立脚したものである、という事実は、未だに世界に広まってはいません。 宮島鹿おやじさまは、すでにお気づきになられているように、世界は「私が見るから世界が変わる」というのが、現代科学の最先端の研究結果の要請であります。 この表現そのものが、現代人が忌み嫌う?「霊的なるもの」が語っているそのものであるので、それが理由で、人々が目を逸らしているのかも知れません。 科学(これ自体が私にはカルトと感じられますが・笑)的には、世界とは、「観察者の存在とその観察」を抜きには何も言えない、ということであり、「目の前の世界の在る理由とは、観察する私の意識そのもの」である、ということであります。 「見ていない時の月は、在るとは言えない」、という説明に、かのアインシュタインは納得がいかずに、生涯、反証を立てられないままに亡くなったわけですが、それ(見ていないときの月は…)を明確に「間違っている」と言明できた人間(科学者)は未だに誰一人として居ないまま、我々地球人類は、核とコンピューター技術を今日も使い続けているわけです。 ですから、当たり前ですが…暴走を止められない。理論的にあやふやなものであるから当然ですよね。(コンピューターが作る、バーチャル世界への人間の没入が後を絶たないことも含めて言っています。) 核が、このような破局を招くのは、当たり前であり、かつ意味深であり、「黙示」とも言えると私は考えます。それは、「世界を物としてしか認識しない我々」の世界認識が、「破壊されるべきもの」として表現されている、と考えるのですね。 ウランとは、自然界が用意した物質(原子)の最も大きなものであり、その破壊(核分裂)がすなわち「物世界の破壊」となっているロジックです。 核&コンピューター技術の基幹理論(量子力学)が、「世界は私が見るから世界なのであり、私と世界は一体である」という解釈を要請しているわけです。 その文脈で語りますと、現在我々が直面している、フクイチの「放射能廃物」とは、我々人類の「強欲」の顕現とも表現できる代物と思っているのです。この表現ですと、如何にも宗教家の言説と何が違うのか?と見えますが、それは相変わらず世界を「物」としてしか見ないゲシュタルトでは、繰り返される袋小路かと思われます。 この大多数が真実と疑わぬ世界観(物!)から、導き出される時間と空間においては、世界は一方通行の時間と、想像が出来ないので無限と呼ぶしかない空間の中で、連続的な世界の経過しかイメージを持てません。 ですから、大多数の人間は、今ある世界の延長が、未来永劫にわたって継続していく、そのように真っ暗なトンネルと同じイメージで、世界を捉えているわけです。 いや、それはましな方かと思います。あまりに真っ暗すぎて、「今しか考えることが出来ない」というのが、現状であろうと。 それが、現在の悪魔的な人類の所業(放射能廃物を100万年、子孫に押し付ける)を実行可能ならしめた理由かと思われます。 量子力学から導き出される、「世界認識(ゲシュタルト)」は、世界とは意識の影(スクリーンの像)であり、『見るものと見られるものは、実は一体』であるという帰結です。 物世界認識の破壊とは、世界と対峙した独立した我、という想定を反転させて、見ている世界側にも我を置く、と言う「唯意識論」(物という認識が虚構…と言うか誤解)、あのマトリックス(キアヌ主演)のような、現実と思っているのはバーチャルで、真の現実(実相)は、見えている世界をも含んだ処に居る我自身である、と。 長々と戯言を申しました。失礼いたします。
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