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昨夜(6/5)、NHKスペシャル「原発事故」の第1回が放送された。新事実が紹介された部分もあり、興味深く見入ったが、全体として事実経過の掘り下げが弱く、事件の全体像が中途半端な印象を否めない。特に、関係者のインタビューが最悪で、嘘や言い訳やゴマカシを言わせたまま、それを「証言」のように見せていて、報道として必要な分析や検証を加えていない。これでは真相の究明にはならず、逆に隠蔽と曖昧化に終わってしまう。とても「徹底検証」の看板とは遠い。被害に遭った福島の人々も、この番組内容に満足していないだろう。3/12の1号機のベントの遅れと水素爆発について、番組では、「致命的なベントの遅れが水素爆発を招いた」という従来の説をそのまま踏襲しているが、この認識は現在は少し揺らいでる。一昨日(6/4)の朝日の1面に1号機の水素爆発に関する記事が載っていて、それによれば、ベントで建屋外に出したはずの水素ガスが、別の配管を通って建屋内に逆流し、そのために爆発が起きたことを東電が認めている。これは重大事実で、これまでの「定説」を覆すものだ。だからこそ、不信任案後の政局で騒然としていた6/4の1面トップに、この情報が載ったのである。この情報は、朝日が6/4の朝刊で抜き、6/4の午後に東電が見解を発表して各社の記事になり、その後、6/4夜に東電が再びこれを否定して、逆流の可能性は薄いという見解を発表している。
情報が二転三転しているので、ベントと水素爆発について断定的なことは言えないが、もしも6/4朝に出た情報が事実だとすれば、ベントが遅れたから水素爆発が起きたのではなく、ベントをしたから水素爆発が起きたということになる。無論、ベントがさらに遅れれば、圧力容器もろとも大爆発しただろうけれど、1号機で起きた事実は、ベントの遅延による爆発ではなく、ベントの失敗による爆発なのである。現場でのベント作業が失敗していた可能性が高い。この件について、実は、田中三彦が4/27のBS11の小西克哉の番組に出演して指摘をしていている。6/4朝に出た記事は、ほぼ、そこで田中三彦が述べた内容に近い線を東電が認めた結果となっている。田中三彦によれば、この情報は、3/20にスタンフォード大学で行われた研究会でアレバが内密に報告した資料の中にあり、それがネットに上がって世間に知られたものである。アレバが東電から直接に入手しのたか、独自に解析したのかは不明だが、ベントの弁の開放の操作に不具合があり、格納容器から圧力抑制室を通じて排気塔にガスを放出しなければならないところを、建屋のオペレーションルームへと逆流させ、そこで水素爆発が起きたという説明になっている。ベントと水素爆発の時間が接近しているのはこのためだ。この重大事実がこれまで国内では隠され、「ベントが遅れたから水素爆発した」という「事実」に固められ、そして政局の道具にされていた。
東電の説明によれば、建屋から排気筒に向かう配管と圧力容器から排気筒に向かう配管の二つが合流する手前に弁があり、その弁が原子炉の緊急停止によって自動的に開放された状態になり、圧力容器からガスを抜くベントを行った際に、水素を含んだガスが建屋に逆流したとされる。東電の手順書では、その弁が閉じていることを確認した上でベントしなければならないところを、建屋の放射線量が高かったために弁の状態の確認ができなかったと言い訳されている。そして、配管の設計に不備があったと逃げている。この東電の説明が、果たして真実なのかどうかは疑わしい。NHKが番組で示した東電の内部資料では、ベントは全て電動での操作が前提されたもので、手作業時の操作手順は一切記されてなかった。確認を忘れていたか、弁が開放された状態であることを知らなかったか、あるいは、本当は閉じていた弁を誤って開いた可能性もある。記事によれば、2号機と3号機には、逆流防止用の弁が備えられているのだと言う。とすると、現場が、1号機の設計を2、3号機と同じだと勘違いした疑いも考えられる。いずれにしても、1号機のベントは失敗で、作業ミスで水素爆発が起きた疑いが濃厚だ。NHKの番組では、現場は午前5時頃には作業に着手する状態になっていたが、東電本社が近隣住民への対応で躊躇していたため、本社から現場に指示が遅れ、業を煮やした菅直人が直接ヘリで現場に指示に飛んだという説明になっていた。
この件は、実際にベントをした作業者を聴取して、どういう手順で行ったのか、何を指示されていたのか、どの弁を開いたのかを確認する必要がある。ただ、6/4の朝に出た新情報に対して、それへの配慮をせず、従来の「定説」をそのまま流したNHKの姿勢には若干の不審を感じる。複雑な初動過程の時々刻々には、様々な問題があり、責任者が絡んでいて、情報は現在でも錯綜しているし、関係者が保身の思惑で事実を隠し、責任逃れの作り話をマスコミに撒いている。NHKが、水素爆発の原因をベントの遅れだと決めつけたことは、国民一般の事故認識に大きな重大な影響を与えるに違いない。昨夜(6/5)の番組では、菅直人は怒鳴り散らすだけの暴君に演出されていて、NHKにしては異例とも思える現職首相に対する「不敬」報道が際立っていた。また、本来、あの場面で重要な役割を演じていた枝野幸男の姿が隠され、インタビューはおろか、構成した映像にも登場することがなかった。ここにNHKの番組制作の意図がある。つまり、官僚の意向を受けた官僚を庇う「検証」なのであり、菅直人の暴慢を殊更に強調し、原子力官僚の言語道断の無責任と不作為については曖昧に見逃す仕立てになっている。私が首相でも、おそらく怒鳴り散らしていただろうし、安全委や保安院の官僚を片っ端から鉄拳制裁していただろう。あのとき、宮城以北の海岸には救助を待つ無数の人々がいたのだ。原発事故だけが国家の問題ではなかったのである。何のための技官なのか。
番組でデフォルメされた菅直人の姿は、この政局で失脚した政治状況が投影されていたように感じられた。マスコミは、万事は官僚に任せて政治家は責任を取るのが仕事だと、簡単に言う。官僚の邪魔をするなと言い、菅直人を罵倒する。しかし、それは違う。その命題と主張が妥当するのは、官僚が優秀で、事態収束の能力を持っていて、彼らが責任感と使命感を保って迅速に行動するプロの技術集団だという前提があってのことだ。現在の日本の官僚は、全くそうなっていない。福島の20ミリシーベルト問題を見ても分かるように、あの文科官僚の姿が現実なのであり、徹底的に無能で、自分と組織の保身しかできず、問題解決の意思や思考を持っていないのだ。事故以来、保安院や安全委の官僚が何人もテレビに登場した。あれを見て、彼らが優秀だと思った国民はいただろうか。彼らに任せれば安心だと確信した国民はいただろうか。彼らを優秀だと言うのなら、それは優秀の定義と基準が間違っている。マスコミは官僚と結託しているのであり、支配者として一部なのであり、だから政治家を叩き、官僚神話を国民に刷り込むのである。「優秀な官僚を政治家が使いこなせない」などと言い、官僚が有能であるかのように情報工作するのだ。マスコミが言う「官僚を使いこなせ」とは、官僚のやること(法律・予算)に口を差し挟まむなという意味であり、国政を官僚のフリーハンドに委ねよという意味である。官僚には顔がない、と誰もが思うが、官僚の顔はマスコミの面々なのだ。だから、官僚はマスコミに出ない。
菅直人が結果的に無能だったのは明白だが、斑目春樹や官僚たちに較べれば、水素爆発の危険に敏感で、それを未然に防ぐべく焦燥していたことは間違いない。番組の中で、「政治家が責任をとればいい」と海江田万里が言う件がある。政治家が責任をとるとは、一体どういう意味なのだろう。半年前に経産相になった海江田万里が、その職を辞すれば、それで責任をとったことになるのだろうか。突然に避難を強制され、平和な生活を奪われ、家も土地も放射能で汚染され、被曝の不安に怯えながら避難所で不自由な暮らしをする人々に対して、海江田万里が大臣を辞めるだけで、それで責任をとったことになるのだろうか。あまりに「政治家の責任」を都合よく考えすぎではないか。当事者の責任が軽すぎないか。事故に責任のある者は、人災の加害者は、自己の家財を売り払って、福島の被災者に償うことが、それが責任をとることなのではないのか。江戸時代なら、東電と保安院と安全委と経産省の幹部、そして原子力村の面々は切腹でお家断絶だろう。それで当然だ。徳川幕府の方が、はるかに倫理的に健全な責任体制を持っている。行政者の責任の中身が重い。水素爆発は防げた。安全神話の想定が先行した上に、事故後にミスが重なり、右往左往して時間を潰したために、3基も原子炉が爆発する最悪の事態に陥ったのである。しかも、政府はその状況を国民に正しく伝えず、ひたすら隠して過小評価に努め、それを御用学者にマスコミで宣伝させていた。
この番組で、正面から告発された二つの問題がある。一つはSPEEDIの予測図の問題で、爆発直後、放射性物質が風に乗って北西に流れている事実を知りながら、政府はそれを住民に公表せず隠していた件。近辺の住民たちには、防災無線で北西に避難するよう指示がされていて、避難によって逆に被曝のリスクを大きくしていた。あらためて、なぜ公表されなかったのか責任を追及する必要があるだろう。もう一つは、3/14に3号機の注水に出動させられた自衛隊員が、現場で爆発によって負傷させられた問題で、爆発が起きる可能性を何も知らされずに派遣させられていた件。この問題は、放送から一夜明けた今日(6/6)、読売の記事になっている。その後、陸自のヘリでの例の注水作戦に及んだとき、妙に自衛隊の腰が引けていて、任務に積極的でない印象が強く、菅直人と自衛隊が対立していたが、3/14にこのような事情があったことを思い合わせると、何となく辻褄が合わないでもない。だが、普通に自衛隊の文民統制の環境を考えた場合、政権批判になる「証言」を一隊員がテレビの前でするのは異常で、ここには自衛隊とNHKとの間の申し合わせがある背景が窺われる。つまり、菅直人のレームダックが確定したため、政権の意向を無視して、この事実の暴露に踏み切っているのだ。番組では、自衛隊員による直接の批判先は東電だったが、当然ながら、東電が自衛隊に出動要請などできるはずがなく、命令は官邸(自衛隊の最高司令官である首相)が下したものだ。3号機が爆発する可能性は一言も伝えず、部隊に注水活動を指示し、そのため4名の負傷者を出していた。
番組は、事故の検証よりも、菅直人を指弾する政治臭の方が強い。
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