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理解されない福島の怒り誰も伝えない被災地の「マスコミ不信」
http://www.asyura2.com/11/genpatu12/msg/262.html
投稿者 palクン 日時 2011 年 6 月 03 日 12:11:32: mWJq7xP6mpLMg
 

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/9812

福島県南相馬市からの報告を続けよう。福島第一原発から20キロ、30キロの線で市域が3つに分断されてしまった街である。

 「地震・津波」と「原発災害」の2つの被災地(死者・行方不明者は福島県で最多)であるこの街を訪れるにあたって、聞いておきたいことがあった。東京その他の全国で流れているマスコミの報道について、地元の人たちがどう思っているかである。そして、「東京」を筆頭とする他の地域の人々が「被災地」「被災者」に向ける視線についてどう思うか、である。

 私がびっくりしたのは、南相馬市の市役所を取材に訪れた時だ。取材が終わり、担当の男性職員と軽い雑談になったときだ。

 「NHKも朝日新聞も(南相馬市から)撤退してしまった。こないだ朝日はファクスで取材の問い合わせ来てたよね? あれどこだった?(福島市の電話番号だと同僚が言う)ほら、福島市ですよ。福島市から電話とファクスで取材してくるんだよなあ」

 福島市は南相馬市から山を越えて車で1時間半ほどかかる。福島第一原発からは50キロ以上離れている。

 「記者は会社の規則で原発から50キロ以内に入っちゃいけないっていうじゃないですか」

 男性職員は苦笑した。

 「私ら、ここに暮らしているんですよ」

 南相馬市の3分の2は市民が暮らしている。30キロラインから外はまったく平常通りだ。私自身がその南相馬市に立ってみると、「50キロより外」に退避してしまったマスコミ企業は、残念ながら間抜けなほどの「腰抜け」に見える。

 「あんたら、それでもジャーナリストなの?って言いたい。こんな大事件、逆にチャンスじゃないの?」

 私の経験では、市役所職員のように記者と日常的に接している仕事の人たちは、大手報道企業のことを悪く言うことはめったにない。慎重な人たちだ。だから、この男性職員の怒気のこもった言葉には余計にぎょっとするのだ。

 職員は横の女性職員を見た。

 「もうね、彼女なんかすっかり『マスコミ不信』だよ」

 彼らの言葉を「過剰反応」と言うことはできない。同市から記者は撤退した。トラック輸送も止まった。新聞すら届かないのだ。「見捨てられた」と市民たちが怒るのも無理はない(「福島民友」「福島民報」の地元紙はコンビニまでは届く)。

「東京の背広の連中は分かってない」
 「この街の光景は異常でしょ? 店もやってないんですよ。放射能が降り注いでいる危険な場所に、みんな仕方なく暮らしている。異常ですよ」

 そう怒りを表明していたのは、木幡竜一さん(47)である。経営している土木工事会社が、政府が決めた20キロラインの内側(立ち入り禁止区域)に入ってしまったため、会社に近寄れなくなってしまった(自宅は外側)。ダンプ、パワーショベルといった「商売道具」が使えないのはもちろん、工事の注文のファクスが入っても受け取れない。そんな話を以前書いた(「政府の避難計画は机上の空論だ、放射線量は高くないのに南相馬はゴーストタウン」)。

 「こんな異常な話はない。全国に知らせてくれ、と地元のテレビ局に電話したんだ。なのに、まったく報道されない。どうなっているんですか」

 木幡さんに問われた私は答えに窮した。被災地が多すぎて手が回らないんじゃないでしょうかと言うと、木幡さんはやんわりと否定した。

 「原発から40キロだかのラインからは、マスコミは会社の規制で入って来ないんだっていうじゃないですか。ふざけた話ですよ」

 「警視庁の(行方不明者の)捜索とか、テレビ局が来たからやっているのを、全国に見せているだけだ。あんなものを流してもしょうがないでしょう」

 南相馬市に先立って訪れた岩手県野田村でも、よく似た怒りの声を聞いた。人口4650人の小さな漁村で、死者37人、全半壊450棟と、壊滅的な被害を受けたのに、村人の苦境について報道は一向に関心を向けない。地元紙すら取材に来ない。「官僚といいマスコミといい、東京の背広の連中は分かってない」と村人たちは怒っていた。

 自分たちが苦しんでいるのに、忘れられている、無視されているという思いほどつらいものはない。

 木幡さんが特に憤ったのは、福島から他県に避難した子どもが「放射能がうつる」といじめに遭ったという話だ。

 「ここ(福島県)で発電した電気を40年使って、関東はあそこまで発展したんじゃないですか。それなのに、私たちをバイキンのように扱っている」

 木幡さんはため息をついた。「もう、電気なんか送りたくない」

マスコミの取材はストーリーが決められている
 「『苦境でも泣き言をいわないがまん強い東北人』とか聞くたびにバカヤローと叫びたくなります」

 同市で衣類のクリーニング会社を経営する高橋美加子さん(63)は言う。

 「黙っているのは、言葉にできないくらい悲しくて悔しいからですよ。言葉にならないくらい現実が重いんです。だから黙っている」

 高橋さんは、身の回りの苦境を外に知らせようと電子メールを丁寧に綴っては発信した(高橋さんのメッセージ)。それが転送に転送を重ね、ツイッターでも流れて耳目を引いた。私もそれをきっかけに高橋さんに連絡を取った。

 が、高橋さんは最初ためらった。あちこちマスコミの取材があったが、どうも違和感が消えないのだそうだ。「マスコミは最初からストーリーを決めて取材に来て、それに合うように話を当てはめるから」と言った。

 どんなストーリーですか、と聞くと、「元気で復興に頑張っている」という図式だということが分かってきた。

 「『がんばっている』でなければ『国の政策の矛盾にあえいでいる』『悩んでいる』『苦しんでいる』ですね。あるいは『かわいそうな人たち』『気の毒な人たち』でしょうか。そういうふうに扱われるのがいやなんです」

 「丁寧に語っても、話に合わせるために全部削られたこともある。これが言いたかったのに、という話が落ちているんです」

 高橋さんの部屋には、すり減った洗濯板が掲げられている。高橋さんの父が使った洗濯板だ。1948年にサハリンから引き揚げてきて、その洗濯板1枚で商売を始めた。高橋さんが商売を継いで、南相馬市周辺に6店舗を構えるようになった。その会社も、追い詰められている。従業員の安全が確保できない。住民が逃げ出してしまってお客が減っている。外に出ることができない。生活がすべて破壊された。

 原発事故はすべてを狂わせている。

通り一遍の言葉に腹が立つ
 夕暮れ時、店の2階のソファで高橋さんと話し込んだ。小さな旗を印刷したんです。そう言って見せてくれた。

 「原発に負けるな!」

 「ありがとうからはじめよう! 人間復興! ふるさと再生!」

 「こころはひとつ! ふるさと再生! 子どもたちに未来を!」

 お金を出して200枚ずつ作った。パウチにして事務所や家の入り口に貼ってもらおうと思っている。

 「がんばろう日本!」「がんばろう東北!」とか、テレビで流れている言葉に似ていますね。私がそう言うと、高橋さんは一瞬沈黙した。そして強い声で、静かに言った。

 「テレビとか見ていると、すごく腹が立つんです」

 私は「まずいことを言ったかもしれない」と後悔した。

 「私たちの言葉の奥に何があるのか分かってない。だから結局(マスコミは)通り一遍の言葉になってしまうのです。私たちの『がんばろう』は自分に言っているのです」

 「『バカにしているよね』『くやしいよね』。地元の人同士では言います。でも外の人には言いません。行儀が悪いですから。自分の土地を悪く言うのは恥ずかしいでしょう?」

 高橋さんは沈黙した。本当に、悔しさや悲しさ、疲れで二の句が継げないように見えた。

 私は自分の身の上を話すことにした。バブル景気がはじけたとき、自分の生まれ育った家が、知らないうちに親戚の借金の担保にされて潰され、思い出が消えてしまったという話をした。

 高橋さんはじっと聞いていた。

 「・・・なんだかんだ言って、根底には怒りがあるよね・・・」

 そう口を開いた。

 「1階は津波で流されたけど、2階はそのまま無事だったという人がいます。夜、カーテンを閉めて寝ると、何もかもそのままなのに、朝カーテンを開けると瓦礫の山で、悔し涙が流れて、気が狂いそうになるといいます」

原発に対する複雑な感情
 高橋さんは環境問題に関心が深い。会社でも、天然石鹸を自社でブレンドして洗浄に使っている。チェルノブイリ原発事故にまつわる映画「アレクセイの泉」の上映会や、写真家の広河隆一氏の展覧会を開いたこともある。

 「『騒いでいると、土地の評価を下げる』と言われます」

 だから講演会じゃなくて展覧会にしていました。個人でやることは、声高に語るより「きれいね。これ何?」と目をとめてもらうのがいい。そう話す。

 前回書いたように、南相馬市では東京電力は「会社」ではなく具体的な名前を持った「個人」として信頼と理解を勝ち得ている。小さな会社にも仕事をくれる。親戚や友人が「お世話」になっている。福島第一原発ができて40年が経つ。深く地域に根を下ろしている。原発事故があったからといって反発し、拒絶するような単純な関係では、もうない。

 「祝の島」「六ヶ所村ラプソディー」(原発や核燃料再処理工場のドキュメンタリー映画)の上映会もやりたかったのですが、と高橋さんはさびしそうに笑った。

 「原発のことを取り上げたくても、私だって自然に自主規制しちゃってたんです。説明するのにも疲れるし。近ごろは(原発で)生活が潤っていたから、する必要もなくなってしまっていたんですけどね・・・」

 そこで言葉が途切れた。その後には「地震や原発事故で、こんなひどい事態になってしまった」という言葉が続くはずなのだ。

 私も言葉がうまく見つからず、黙る。2人、黙る。そうするしかないような、重い現実が窓の外にはある。

故郷を守るためには、いがみ合っている時間はない
 「よくみんなで話すんです。『津波(被害)には復興がある。でも、放射能は後世に残る』『どうしたらいいんだろう?』って。そこで頭が止まってしまう」

 そんな時だからこそ、旗を揚げたい。へこんでいても仕方がない。東電のことをうじうじ言っているより、一人ひとり意思表示しよう。「ありがとう」と、前向きなこと、プラスなことから始めよう。まず一人ひとりがつながろう。

 長時間話し込んで、高橋さんが取材に慎重だった理由が分かったような気がした。

 「原発に以前から疑問を持っていた人なら、東電や国に批判的なことを言うだろう」

 「前向きな言葉をスローガンにしているそうだ」

 マスコミはそんなステレオタイプに高橋さんを当てはめようとしているのではないか。

 私が南相馬市に入って理解したことがある。放射能汚染という現実はあまりに重く、その現実に対処するには、指を差し合って「お前のせいでこうなった」と罵っている時間やエネルギーなどバカバカしく思えるのだ。それに何より、推進派だろうと反対派だろうと、放射能汚染は平等に襲ってくる。

 自分たちの故郷を守るためには、いがみ合っている時間はない。ますます自分たちが落ち込むだけだ。

 それは、福島を故郷として生きていく人たちの、最後の「抵抗」なのだ。  

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コメント
 
01. 2011年6月03日 12:32:37: pEgCpfCxXY
だけど、その故郷を守っても、どんだけ立派に抵抗してみても、
もうそれを賞賛し迎えてくれる故郷は、戻ってこない。
未曾有の原発事故の後では、故郷も抵抗も意地も、意味がない。
より長生きできるように工夫して逃げのびてもらえたらと思います。
実際、放射能汚染の前にして、逃げる以外の最善の選択肢はないのだから。
次善にしてより悪い選択肢は、気にせず、放射能など気にせず、
そこで生きそして死ぬこと。政府もマスコミも捨てたその地で生きること。
自分たちだけは捨てなかったという自負をもって墓場へ。
ぼくはより長く生きてもらいたいので、放射能から逃げて欲しいが。
空間線量こそ低いだろうけれど、土壌汚染はあるし今後も雨と雪が降って
蓄積していく。下手すれば線量の高い塊、粒が飛んでくる。

02. 2011年6月03日 12:49:16: cHLuO708IQ

一番に逃げ出したアメリカ、フランス。

それについで、東電、政府、官僚で、
それから大手マスコミは、いろいろ情報を知っているのだろう。

その危険をしっているからこそ、入れないのでしょう。

ちゃんとデータを取って、公開し、リスクを説明し、
その上で、個人の判断に委ねるしか、現実的解決にはならないでしょう。


03. 2011年6月03日 13:05:20: S0MSyxA1l0
これまでさんざんマスゴミに相手してもらい、原発の恩恵を受けて来たのが福島の住人だろう。いまさらマスゴミ不信といっても仕方ない。権力の犬の県民意識。そのツケが来た。権力を妄信した罰だ。東北も同様。小沢一郎を買いかぶりすぎた。これからは自分の頭で考えて行動する他無いだろう。

04. 2011年6月03日 13:08:49: fMmuE7vSas
素晴らしい取材ですね

05. 2011年6月03日 14:01:06: 6PjF3RL2Xs
>>03

そして「原子力は必要です。クリーンで安全です」とか、テレビでニコニコするタレントたちに言われて、どっちにしろ、それが目の前にあるわけじゃなし、「原子力?別にいいんじゃない、造っても」と、それ以上、深く考えてこなかった関東の人間もりっぱなもんだ。


06. 2011年6月03日 14:07:57: hmfRtxQAIe
>03

福島の住民=原発の恩恵 という理解はあまりにもステレオタイプすぎやしないでしょうか。たしかに、この取材先は恩恵に与っていた事実はあったようですが。

そもそも、減反政策を主とする農業撲滅による地方経済の衰退と、こうった核プラントの建設は無関係じゃないと思います。


07. 2011年6月03日 14:43:26: pEgCpfCxXY
いやいや、「福島」も「東京」「関東」「首都圏」もそれぞれ原発に関して
功罪ありそうであれば
それぞれ個別に吟味し後で反省しやり直すべき道をさぐる、で結構なはずで、
その道中、それぞれを孤立化させ対立を煽るほかなくなって
すべてがいやになるという典型パターンから、いかに逸れていけるか、
これが今後の議論の課題じゃないかと思います。
むろん、容易ではないわけですよ、この課題は。責任のなすりつけあいですから。
民衆は、どの地域がどう国策としてある原子力推進政策と共犯関係を結び
結ばされ歩んでしまったかで争うことはひとまず回避し、
そういう政策しか推進できなかったし、甘い指針と設計、監査によって福島事故を
可能にした国側とその実働部隊たる東電に対する吟味、批判、方向転換を向ける、
そういう大同小異でひとまずつながり、国を批判しぬけること、これがひとつ、
望ましいのでしょう。国の方向転換、これは容易ではありません。
背景には国際関係、アメリカとフランスが控えていますから。
私たち民衆はお互いにつぶし合いをしてる暇がないはずです。

08. 2011年6月03日 15:30:10: oLyDjzDLAc
07様の意見の通りと思います。
国の原子力政策を転換させることは、本当に容易ではないですよね。
国民が原子力に対しての無知をあらためて、廃炉にしていかなければなりませんね。


09. 2011年6月03日 15:52:10: GiU1JHu2Xk
丁寧に被災地の懐に入り込んで、かなり本音に近いところを聞き出した取材者にまず敬意。
前半はまあ外から見て想像がつくところだけど、後半はかなり勉強になった。

>地元のテレビ局に電話したんだ。なのに、まったく報道されない。
>壊滅的な被害を受けたのに、村人の苦境について報道は一向に関心を向けない。地元紙すら取材に来ない。

東京東京と言うが東京だけじゃなく地元マスコミも、東京並みというか東京以上に輪をかけてダメってことがわかる。
離れた土地に対して程度はともかく興味が薄れるのは東京に限ったことではない。
しかし地元のマスコミがこういうことではダメだ。結局、

>自分の土地を悪く言うのは恥ずかしいでしょう?
>「『騒いでいると、土地の評価を下げる』と言われます」

こうやって目先の内々の論理を守ることを優先し、「他人の土地」への依存心を高め、
問題点を問題点として話し合うことを避けてきたからこうなったということにそろそろ気づかないと。


10. 2011年6月03日 16:38:55: KG9OYJmaKs
南相馬市出身者として書けば、この記事も何処かピントがズレている。
南相馬市の歴史的背景や、東電と地元企業との係わり合い&影響度合いが
まだ分かっていない。というか調査不足だな。
南相馬市は、小高町+原町市+鹿島町が平成の大合併でできた。
そこでの地区割りとか、労働人口のなかで原発に関係している割合とか
全然分かっていない。
この記事で東電は小さな会社にも仕事をくれるとか言うが
それは東京からきた仕事を分配する権限のある方のペーパー会社等を
噛ました何次も下請けになっている話である。
抜くためにある取引がメインだよ。
福島県として原発関連の大きなお金での恩恵は南相馬市には殆ど無いが
旧小高町と浪江町に原発誘致の話があったので
そこで交付金にあたるものが小高区の農地関連の用水路や道の補強に
1億とか使われている。
南相馬市と一括りになってしまった影響か?
今取材している方々は、まだまともなほうだが地元の歴史背景を調査していない。
現在取材できているのは原町区→旧原町市地区が殆どであるのとの
旧自治体の仕組みも分かっていない。
南相馬市より放射線量が3〜4倍高い地区が避難地域でないのは何故?
という疑問がある。
東北全体の復興には郡山市と福島市が欠かせない為
(東北新幹線・東北自動車道)
ようは福島の浜通り地区は相馬市と新地町、いわき市を残して封殺するのか?
これが本音に含まれている。
これらの疑問点を明確にしなければ相変わらず信用できないって意見は
変わらないと思いますよ。

11. 2011年6月03日 19:03:11: pEgCpfCxXY
国の財政難なところへ震災と歴史的に未曽有の収束不可能原発事故が
衝突した。>>10さんのいわれるように、
>東北全体の復興には郡山市と福島市が欠かせない、新幹線運行と東北道開通が必要
だとすると、福島県東部は避難地域に指定できず安全だといわざるをえない現状
となるわけで、これ、まずいと思います。
東北の、岩手、宮城の沿岸部は復興無理ですよ、漁港から養殖技術、倉庫、
みんな呑まれただけでなく、放射能汚染がひどいんですから。
復興にはカネがかかります。復興予算として消費税を充当すると民衆は生活苦に
拍車がかかります。復興は諦めた方がいいわけですよ。東北は諦める。
すると福島だって諦めることができ、避難や疎開がすすむことが期待出来る。
問題はしかし、東日本からみんなが逃げ出すことによる、国内からの高額所得者層
の国外流出でしょう。そうなるとますます消費税依存の体質になるでしょう。
国の財政難を考えると、福島県民に犠牲になってもらい東北の復興を進める
しかないようにもみえかねないわけです。
政府は一刻も早い、道筋を、福島県民を避難させつつ東北の復興もすすめ、
消費税にもそれほど依存せずにすみ、高額所得者層流出に歯止めを掛ける、
そういう道筋を示すべきです。

12. 2011年6月03日 19:41:08: pEgCpfCxXY
理解されてないのは、福島県民の大人と高校生たちだけじゃないんですよ。
今回の福島第一原発メルトダウン事故について、大いなる誤解があるわけですよ。
チェルノブイリですら原発一基の大爆発大放出事故の十日で押さえ込んだ事故
なわけです。そこへいくと、福島のはおそるべきことに、
四基の核燃料プール事故をともなっての、少なくとも三基の炉心事故、
ただし格納容器ごと溶融事故、陸海空地下すべてを汚染する進行中の事故であり、
核燃料の総量もチェルノブイリが合計180トン、ウランの濃縮度は2%のところ、
福島は少なくともおよそその十倍はあるとされ、汚染の広がる速度がちがう
だけで、ゆるやかに、汚染拡大が続いていて、押さえ込めないわけでしょう。
事故後の放射能飛散も海水地下水への漏出をも押さえ込めない中、
現場となった福島県の人々も避難することができずに二月が経過した。
もう全然、チェルノブイリがかわいく見えてきても不思議じゃない、事態です。
福島の大人も高校生も怒ってるのは当然です。
みんなが怒り心頭して、東京に避難しにきてホームレスとなる、
まかり間違って国会議事堂取り囲む、くらいあってやっと
政府にはお灸となるのかもしれない。それだって、すぐさま警察に鎮圧されて
下手すりゃそれを口実に虐殺されてしまうわけです。いまものすごく歴史が
動いているんです。これまでのような常識はもう通用しない。
政府による、年20ミリシーベルトという暫定基準値が、
もうすでに非常識なわけですからね。東北だけじゃなし、3.11以降、ずっと
さまざまな常識や指針、基準が震えっぱなしなわけで、どっちにぶれるか
誰にも分からない。目に見えない余震が続いているんです。

13. 2011年6月03日 23:46:26: XMDjwhDNdc
>>12さんの味方が、適切かと思います。

小出先生も、福島県全体が汚染されているようなことを言われている。
関東もあちこちホットスポットがある。

原発利権のことはきちっと追求しなければならないが、
原発の恩恵だとか云々している場合じゃない。
恩恵というなら飯舘村のみなさんは100%被害者ではないか。
それに、子どもたちに責任はないし、
子どもたちの未来を奪う国は、存在するに値しない。

菅と官僚、東電から、ちゃんと責任をもって対応できる体制にしなと
さらに犠牲者がでてくる。
枝野の「直ちに健康には影響ない」は、汚染の事実を知っていると思われ、
その責任回避のための言質をとられないためと思える。

政府、官僚は、守ってくれそうもないから、
自衛のための組織が必要かもしれない。
福島県知事は、、駄目だしね。。。。


14. 2011年6月04日 05:08:46: qxAP3dzVow
今後の地震対策を検証:原発と活断層の関係 という酷い学者の動画があった。

話を聞いていると腹立たしくなる。しかし浜岡や六ヶ所村がいかに危険なのか、ということを解説している。

活断層が近くにある原発は危険だけれども、そうでないところは安全だから原発を推進してもいいという強引な持論を展開している。

http://projectipti.blogspot.com/2011/06/blog-post_6559.html


15. 2011年6月04日 09:23:41: Qz5Gw3RDmM
福島原発の放射能地獄に喘ぐ人々の苦悩はよくわかります。ただ福島県の当時の人たちは老若男女が原発誘致になぜ命かけて反対しなかつたのでしょうか?反核。反原発派の学者。専門家。市民。らはあらゆる迫害、弾圧のなかで生涯かけて「原発」に反対を貫きました。「小出裕章さんはそのため何十年と冷遇迫害されました)。東電などからカネでホツペタたたかれて、金もらい原発に賛成した人たちは生涯甘い汁を吸いました。どうか福島のひとたちが命かけて反核。の反原発の陣営で今後戦い原発推進派の国賊たちを倒してください。

16. 2011年6月04日 10:29:36: 2BnzfSSn4U
悲しいことに、被災地以外の者は、メディアを通じた情報を
得るしかないです。毎日じっくり調べられないですから。
半信半疑の姿勢と経験を踏まえた想像力で受け止めたいです。

17. 2011年6月04日 20:40:05: KG9OYJmaKs
>15 さんの言うことはもっともだと思います。
私は学生時代に原発について勉強して
このシステムは危険であると認識していました。
このような事を理解して、論理的に反対を展開してもなかなか受け入れられなかった歴史というものが在ります。

前にもコメント欄に同じような文面を書きましたが再掲します。
言い訳ではありませんが、地元の利権だけじゃない歴史があったのだと
参考にしてください。
長文になりますが以下になります。

「福島原発の誘致と歴史背景」
福島県に原発導入を決めたのは、1966年〜1976年まで知事だった
木村守江氏だったが、木村氏が当初想定していたのは1炉か2炉だけであった。
その後はなし崩し的に原発銀座といわれるまでに増設されている。
地元自治体の誘致により推進されているが
歴史的な背景を忘れてはならない。
近年において、MOX政策にたいして安全性に疑問を呈した
前佐藤栄佐久知事の冤罪と思える逮捕などが象徴的である。

若かりしころの中曽根氏やその他売国奴の主導の基
米国の核戦略も絡まり(メインのメーカーはGE)
試験炉とはいえ国内初の原発は首都圏に近い茨城県の東海村に最初に導入された
東海村が最初だったが、小規模な実験炉や試験炉でさえ廃炉や解体できず
原発増設が難しかった。
そこで、候補に挙がったの軍施設設置実績がある富岡町や原ノ町である。
何故富岡町や原ノ町(現南相馬市)が候補に挙がったか
歴史的な背景に行き着くと判断する。

関東大震災を最初に世界に伝えた無線塔というのがあって
原ノ町(現南相馬市)に約200mの鉄筋コンクリートで大正10年建設が完成して
大正12年に米国に関東大震災を伝えた。
原ノ町無線塔は主に米国サンフランシスコとの通信がメインであり
先に完成した磐城無線局富岡受信所に中核があり主に商業と外交の通信を取扱った。
その後長波通信ではなく、真空管の発明に伴い短波通信が主流となり
時代は昭和に入り通信の主役を他短波通信設備に明け渡した。
参照HP1:http://www.geocities.jp/haramachi_tower/kensethu.html
参照HP2:http://shi.na.coocan.jp/haramachimusentou.html
原ノ町無線塔の電源設備等の技術解説は
「電気機器概論」実教理工学全書のP168
7-3-2 高周波交流発電機に片鱗を伺わせる解説がある。
また、国策による施設を建てても大丈夫な
その当時の調査で”日本一強固な岩盤がある地層の条件”もあった。

更には第二次世界大戦時における軍施設
「鉾田陸軍飛行学校」の分教場もあった。
鉾田陸軍飛行学校
所在地;茨城県鹿島郡大洋村北端(現鉾田市)
1943(昭和18年)年1月福島県原ノ町に分教場が設置され
米軍がサイパン島に上陸した44年6月に戦闘機隊に改編されて鉾田教導飛行師団
(1945年7月まで)となり、その後、終戦まで第26飛行師団となった。

同じく富岡町は磐城飛行場
昭和15年4月陸軍で飛行場建設決定 
17年早春 宇都宮飛行学校磐城分校発足 
20年2月磐城飛行場特別攻撃教育隊として独立(特攻隊) 
同年8月9,10日 米軍空母艦載機の大空襲で施設破壊亦各地方の被害甚大となり
20年8月15日終戦となる。
東電展望台は飛行場の兵舎跡
参照HP:http://1901rjtt-to-roah.blog.so-net.ne.jp/iwaki_airfield

首都圏からの距離で言えば何故原子力発電所が福島県双相地区であったのか?
東海村→水戸→日立→平(現いわき市)→大熊村(現大熊町)と富岡町or原ノ町
無線塔や陸軍の施設の実績もあったが
富岡町や大熊町の自治体の出稼ぎ体質脱却の要望や補助金という飴玉もあった。
また首都圏から200kmも離れ送電ロスが明らかなのに建設された理由には
当然、最悪のケースを考え今回のような事故の場合首都圏に最小限の影響で
済ませるためと考えられる。

だが、それだけではないと個人的には考える
この後は個人的な完璧な妄想である。

歴史的な背景を更に突き詰めれば
水戸は徳川御三家の歴史ある都市である。
日立は古河財閥や日立に繋がる、首都圏の工業産業補助を
強力に分担する都市である
平は常磐炭鉱からの歴史や勿来の関にまで遡る
日本の権力者が認識している長い歴史のある土地である。
平泉の藤原三代へ続く蝦夷等への要であった関所である。
そして、平将門に行き着く。
茨城県の常盤から平将門の母は天皇家の血筋にかかわり
その一門は茨城の常盤であった
平将門の血筋は朝廷への反乱の後途絶えるが
平将門の意思は相馬野馬追いという無形文化財のお祭りとして残り
福島県の双相地域の豪族として、平将門の母方の血筋を養子に迎えた
相馬氏が残っていく
この権力の伝承は幕末まで中村藩として連綿と継承されていく。
これらの日本の権力者の歴史と戦前戦後の国策&軍施設の関係から
相馬市や南相馬市は原子力発電所設置地域からズレて
大熊町や富岡町が選定され、原子力発電所が設置されたと判断する。
決して、地域の利益誘導の目先の金だけで決定されたわけではない。
もっとも、私も含め原ノ町の男は変に頑固だから
役人の偉そうな態度が気に食わないので反対しただけかもしれない。


18. 2011年6月05日 10:53:12: rIV9vR6jYg
>>06
そして「日本農業の撲滅」「原発推進」さらにそれが高じての「原発事故の後始末」

どれも全てアメリカの国益となるという所が恐ろしい。


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