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http://diamond.jp/articles/-/12503【第15回】 2011年6月1日
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ジョセフ・E・スティグリッツ [Joseph E.Stiglitz]
原発事故と金融危機に共通するギャンブル性
日本の地震がもたらした事態、とりわけ福島原子力発電所でいまなお続いている危機は、グレートリセッションを引き起こしたアメリカの金融崩壊を見つめていた人びとに、不気味な類似点を感じさせる。どちらの出来事も、リスクについて、また市場や社会のリスク管理のまずさについて厳しい教訓を与えてくれるのだ。
ジョセフ・E・スティグリッツ
(Joseph E. Stiglitz)
2001年ノーベル経済学賞受賞。1943年米国インディアナ州生まれ。イェール大学教授、スタンフォード大学教授、クリントン元大統領の経済諮問委員会委員長、世界銀行上級副総裁兼チーフエコノミスト等を歴任。現在はコロンビア大学教授。
もちろん、死者や行方不明者が2万5000人を超える地震の悲劇と、そのような重大な人的被害をもたらしたわけではない金融危機は、ある意味では比較にならない。だが、福島原発のメルトダウン(炉心溶融)に話を絞ると、二つの出来事には共通の主題がある。
原子力産業でも金融産業でも、専門家たちは、新しいテクノロジーのおかげで大惨事のリスクはほぼゼロになっていると保証していた。事の成り行きは彼らが間違っていたことを実証した。リスクがあっただけでなく、それがもたらした影響があまりにも大きかったため、業界のリーダーたちが宣伝していたシステムの利点なるものは、なにもかもあっさり消し去られたのだ。
グレートリセッションの前、アメリカの経済の大家たちは、米連邦準備制度理事会(FRB)のトップから金融界の大物に至るまで、われわれはリスクを制御できるようになったとうそぶいていた。デリバティブやクレジット・デフォルト・スワップ(CDS)などの「革新的な」金融商品のおかげで、リスクを経済全体に分散させられるようになったと主張していた。だが、今では、彼らが社会の他の人びとだけではなく、自分自身をも欺いていたことが明らかになってきた。
これらの金融の魔術師たちはリスクの複雑さを理解していなかった。「ファットテール分布」──途方もなく大きな影響をもたらすまれな出来事を言い表す統計用語で、「ブラックスワン」と呼ばれることもある──がもたらす危険を理解していなかったのは言うまでもない。100年に1度しか起きない──時には宇宙の一生に1度しか起きない──とまでいわれていた出来事が、10年に1度起きてしまったようだった。おまけに、こうした出来事の頻度がひどく過小評価されていただけでなく、それらが引き起こす天文学的な被害──原子力産業を悩ませ続けているメルトダウンのような事態──も、ひどく過小評価されていたのである。
ブラックスワンはまれな出来事ゆえにリスク管理できない
われわれがこのようなリスクの管理になぜ失敗するのかを理解するためには、経済学や心理学の研究が役に立つ。われわれはまれにしか起きない出来事を評価する実証的基準をほとんど持っておらず、そのためよい判断に至るのは難しい。このような状況では、希望的観測以上のものが作用することがある。われわれにはそもそもじっくり考えるインセンティブはほとんどないのかもしれない。それどころか、失敗の代償を他人が払うとき、自己欺瞞に走るインセンティブが働く。損失は社会で負担させ、利得は私有させるシステムはお粗末なリスク管理しかできないに決まっている。
実際、金融部門全体にエージェンシー問題や外部性が溢れていた。格付け機関には、事実上の顧客である投資銀行が組成したハイリスクの証券化商品に高い格付けを与えるインセンティブがあった。住宅ローンのオリジネーターである金融機関は、自分たちの無責任な融資の結果をまったく引き受けなかったし、略奪的融資を行っていた者や損失が出るように設計された証券化商品を組成、販売していた者でさえ、民事でも刑事でも訴追されないようなやり方をしていた。
ここから次の問いが浮かび上がってくる。この先発生する他の「ブラックスワン」的な出来事があるのではないか、という問いだ。不幸なことに、われわれが今日直面している本当に大きなリスクのいくつかは、まれな出来事ですらない可能性が高い。こうしたリスクはコストをまったく、もしくはほとんどかけずに制御できるのだが、現状から利益を得ている人びとがいるため、制御しようとしたら強い政治的反対にぶつかることになる。
われわれは近年、二つの大きなリスクを経験したが、それを抑え込む努力はほとんどしてこなかった。一部には、前回の危機への対処の仕方が未来の金融メルトダウンのリスクを高めた危険性があるという指摘もある。
大き過ぎてつぶせない銀行や、これらの銀行が参加している市場は、今では窮地に陥ったら政府の救済を当てにできるということを知っている。この「モラルハザード」の結果、これらの銀行は有利な条件で資金を借りることができ、優れた業績ではなく政治力に基づく競争優位を獲得している。過度のリスクテーキングは部分的には抑制されたものの、略奪的融資や規制のない不透明な店頭デリバティブ取引は続いている。過度のリスクテーキングを助長するインセンティブ構造は、事実上なにも変わっていないのだ。
原子力産業についても同様で、ドイツは古い原子炉を停止したものの、アメリカや他の国々では、福島原発と同じ設計上の欠陥を持つ原子力発電所でさえ稼働し続けている。原子力産業の存在そのものが、原子力災害が起きた場合に社会が負担するコストや未解決の核廃棄物処理のコストなど、隠れた公的補助金に支えられているのである。歯止めのない資本主義はもうたくさんだ。
エネルギー企業だけが儲けを取り地球を危険にさらす
地球にとって、リスクはもう一つある。地球温暖化と気候変動で、これも他の二つと同じくほぼ確実に起きることだ。科学者たちが予測しているほぼ確実な結果が起きたとき、われわれが低コストで移住できる他の惑星があるのなら、これは取る価値のあるリスクだと主張することもできるだろう。だが、そのような惑星はないのだから、このリスクは取る価値はないのである。
二酸化炭素(CO2)排出量を削減するコストは、世界が直面している起こりうるリスクに比べれば微々たるものだ。われわれが原子力発電という選択肢を除外した場合でも(原子力発電のコストは一貫して過小評価されていた)、この主張は当てはまる。確かに石炭会社や石油会社は困るだろうし、アメリカのような汚染大国は、もっと慎ましい生活をしている国々より明らかに高い代償を払うことになるだろう。
ラスベガスのギャンブラーたちは、結局は勝った金額より負けた金額のほうが大きくなる。社会としてのわれわれは、大手銀行や原子力発電施設や自分たちの住むこの地球を対象にギャンブルをしている。ラスベガスの場合と同様、幸運な少数者、すなわちわれわれの経済を危険にさらす銀行家やわれわれの地球を危険にさらすエネルギー企業のオーナーは、大金を手にするかもしれない。だが、平均するとほぼ確実に、社会としてのわれわれは、すべてのギャンブラーと同じく負けることになる。
残念ながら、それが日本の災害から得られる教訓だ。われわれが無視し続けるのなら危険を覚悟しなければならない教訓である。
(翻訳・藤井清美)
I dissent: Gambling with the Planet by Joseph E.Stiglitz:Project Syndicate,2011
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