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「人間ガイガーカウンター」が福岡まで避難したのは,新妻を守るためだった. 福岡ではアパートを借りた. 1週間後,東京の両親が気をきかして,二人の衣類や雑品を送ってくれた. 東京から届いた衣類は,アパートの部屋のハンガーに吊るしてあったモノだった. 「危ない! 放射能だ! ◎子,逃げろ! この部屋から出ろ!」 こうして,避難別居というか,疎開先別居という奇妙な生活が始まったのである….
放射能時代.「人間ガイガーカウンター」までが登場してきた.
2本足で歩く生きた人間があちこち歩きまわり,「アッ! ここは放射能濃いです!」
なーんてピタリと放射能を計測するのだ.
実際,その「人間ガイガーカウンター」なる御仁が私に会いに来ている.
昨夜,鹿児島・志布志の街で一緒に焼酎を飲み,メシを食った御方がソノ人だ.
アッ! 電話だ.深刻な話でなければEのだが….
たてつづけに3本の電話.うち1本は下痢が止まらないという深刻な話.
メール4本に返事を書く.1本は在パリのフランス人.
私はフランス人で原発の状況で自分の国に帰りました。
それまで東京でグラフィックデザイナーとして働いていました。
3月15日にフランス大使館から避難するようにという指示をもらい
慌てて東京からパリへ帰りました。空港はパニック状態でした。
地震よりも見に見えない放射能の方がよっぽど怖いです。
1986年の時チェルノブイリ原発事故の時、フランスにいました。
その時の国の対応は今の日本の政府とまったく同じでした、
つまり安全でもないのに国民に、
「放射能の雲はフランスの国境を通りません。安心して下さい。」
と言いました。
フランス人宛にメールを書いていると,例の「人間ガイガーカウンター」氏がみえた.
この「人間ガイガーカウンター」氏は,なんと小出裕章先生とも交流があるらしい.
小出裕章先生から届いたメールを見せてもらったので間違いない.
「人間ガイガーカウンター」は放射能には敏感というか,ごく僅かの放射能でも感知
し,パニクってしまうので放射能地獄の東京にはいられない.
そこで,やむなく九州は福岡まで避難して来たのだが,事件はソコで起こった.
そして,もし新妻が妊娠したら,胎児も被爆させないために避難したのだった.
部屋にはベッドもなく,タンスもなかったが,放射能もなかった.
だから,ふたりは幸せだった.
届いた梱包を解いて衣類を出した瞬間,「人間ガイガーカウンター」が瞬発した.
「ガガガガガ,ガーガーガー,ピコピコピコ,ガーガー」
これに大量の放射性物質が付着していたのだ.
「人間ガイガーカウンター」の痺(しび)れた舌には,気味の悪い金属臭があった.
と,「人間ガイガーカウンター」は新妻を追い出してしまったのだ.
その晩,新妻は一人でホテルに泊り,次の日,ウイークリィマンションに一人移った.
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