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[写真] 「被ばくの許容量を決めるのは国ではなく私たち自身だ。情報をしっかり見極めるのが大切」と話す小出裕章さん(中央)=大阪市内
原子力の選択は「生き方の選択」 大阪でシンポ
http://www.kobe-np.co.jp/news/kurashi/0004112124.shtml
収束の兆しが見えない福島第1原発事故。放射線の専門家は「低量被ばくとがん発症の因果関係は明確でない」と冷静な行動を呼び掛けるが、「低量でも、数年から数十年後に発症するリスクは見過ごせない」と訴える研究者もいる。その1人、京大原子炉実験所(大阪府熊取町)の助教小出裕章さんは、約40年反原発の姿勢を貫き、事故後言動が注目されている。小出さんが出席し、インターネット中継で約4万人が視聴したシンポジウムの模様を再現する。
大阪・十三の映画館「第七藝術劇場」が主催した「原発『安全神話』溶融」。立ち見を含む約250人に加え、動画サイト「ニコニコ動画」でも生中継された。
東日本大震災発生直後に1号機がメルトダウンしていたことを2カ月後に明らかにするなど、東京電力の情報開示は後手に回る。
「悪意を持ってデータを隠しているわけではないと思う。東電すら何が起きているのか把握できない、それくらいとんでもない事故ということだ」と小出さんはみる。
政府は年間の放射線積算量が20ミリシーベルトに達する恐れのある地域を「計画的避難区域」と指定。住民の移動が始まっている。
「安全性を重視して基準を年1ミリシーベルトに設定すると福島に人が住めなくなり、住民の暮らしは足元から崩壊する。とはいえ年20ミリシーベルトは研究者の立場から子どもにとって安全とは到底思えない。正直なところ、どうすればいいのか分からない」とジレンマを吐き出した。
小出さんはもともと原発推進の立場から東北大工学部原子核工学科に進んだが、70年に宮城県女川町で行われた原発反対集会に参加して考えを撤回した。
事故後、立場を翻した原発推進派を尋ねた質問に、政府を批判して内閣官房参与を辞任した小佐古敏荘・東大大学院教授の名を挙げた。「(原爆訴訟で国側の証人になったことがある)小佐古さんは、長年けんか相手だった。辞任の真意は分からないが『子どもに年20ミリシーベルトは許せない』と明言した姿勢は支持したい」と話した。
「原発は安全」とだれもが信じていた末に、今回の地震が起きた。
「大げさな言い方かもしれないが、原子力を選ぶかどうかは、私たち一人一人がどんな生き方を選ぶかということだ。安全と信じた皆さんにも責任がある」と会場に呼び掛けた。その上で、今後のエネルギー政策について「ある時期までは日本人の平均寿命の伸びと消費エネルギー量の増加との間には相関関係があったが、今は寿命は頭打ちになっているのにエネルギー量だけが増え続けている。原発を使ってまでさらにエネルギーを生む必要はあるのか、という視点を持とう」と問題提起した。
(黒川裕生)
(2011/05/28 10:53)
【特集】東日本大震災
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<投稿者コメント>
十三にはおいしいお好み焼き屋さんがあると大阪出身の友人から聞いて
出向いたことがありました。行ったら生憎閉店(定休日か何か)だったけど。
そういう庶民的な地域でも原発問題がこうして話し合われるようになっていることは
素晴らしいですね。
ひたすら「反原発」の声がもっと大きくなることを引き続き祈ります。
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