http://www.asyura2.com/11/genpatu11/msg/799.html
Tweet |
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/8935?page=4
日中韓首脳の恐ろしすぎるパーフォーマンス 福島野菜をほおばる3人が示した「原発の推進同盟」
2011.05.27(Fri) 伊東 乾
日中韓首脳、東日本大震災の被災地を訪問 22日に首脳会談
福島県産のトマトを食べて妙な笑顔を見せる菅直人首相と韓国の李明博大統領(中央)、中国の温家宝首相(右)〔AFPBB News〕
日韓中首脳が顔を揃えて被災地を訪問し、現地の野菜や果物をほおばって見せるパフォーマンスは、率直に言って大変に見苦しいものでした。
何も福島の野菜や果物に問題があるなどと言いたいわけではありません。いわゆる「風評被害」は可能な限り回避して、現地の1日も早い復興を祈る気持ちに変わりはありません。
震災と事故後、この機に、とばかりに日本製品の輸入に制限をかけた中国は、一部農産物を除いて輸入制限を撤廃。
原子力発電所がいけないわけではない、福島原発は想定外の天災に加えて、炉の取り扱いにたまたま問題があって、あのようなことになってしまった。
従来型の原子炉は、今後も現役で大いに頑張ってもらわなければならない、引き続き地球環境にやさしい原子力発電の堅持と推進に手を携えていきましょう、というパフォーマンス、その有りようを醜悪に思ったのです。
醜悪なシナリオの追認
率直に思うところを述べますが、日本では当分、原子力発電所のフル稼働は難しいでしょうし、新たな原発の増設は当面は不可能に近い世論と思います。
現状から不拡大、追って漸次減少〜撤廃の方向での「ソフトランディング」が、福島以降の日本のエネルギー政策を考える際の原子力発電の行く末として考えられる、1つのシナリオと思います。
しかし、当然ながらそんなふうに思ってこなかった人たちがたくさんいたわけです。国内原子力関係者は言うまでもないですが、もっと露骨なのはフランスであり米国であり、つまり国策として日本以上に原子力に役割を与えている諸外国を考える必要があります。
例えば米国にとって原子炉は主要な輸出製品の1つ、今回福島で壊れた1号機は米国製の最初期の輸出原子炉で、40年の年季をちょうど終えるところではありました。これが壊れて日本が原子力から撤退ということになるのは、歓迎されるところではないでしょう。
中国も韓国も、脱炭素化の追い風とともに原子力発電推進の方向に舵を切ってきた。安全保障の観点から核軍備を考える国にとって、原子力産業と原発の導入は1つのカードを手にすることを意味します。
みんなそういうシナリオでやってきた。台本から外れた番狂わせは、何よりまず大地震であり、それによって引き起こされてしまった「原発は危険」という現実の暴露、安全神話の崩壊でした・・・。
いや、崩壊させてはいけない、この「神話」が、まるで生きているかのごとく振る舞おう、というシナリオが見え見えであるのが、「雁首を揃えて野菜をほおばってみせる」パフォーマンスを何とも醜悪なものに見せました。
それが極まって聞こえたのが菅直人首相の総括の場での楽屋落ちそのもののコメント、「安全性を最も効果的にアピールすることができた」という自画自賛的な発言です。
これとて結局のところ、自賛という以前に「まさか日本はエネルギー政策転向なんかしねえんだろうな?」とにらみを利かせる外からの視線に、露骨に通じるよう報告しているようなもので、自賛ほどの主体的なスタビリティーがあるとは率直に思われません。
真の観客はどこにいる?
日韓中首脳がアピールしたのが、福島の野菜や果物の安全性であれば、誠に結構なことです。しかし、4000年来洗練された商人の知恵を持つ中国が、日本ローカルな安全性をアピールしたって一銭の得にもなりません。
得にならないことを中国政府は決してしません。彼らがアピールしたかったのは、福島第一原発という「失敗事例」で本当は否定されてしまった沸騰水炉など、原始的で初期型の原発施設というものの「安全神話」にほかなりません。
まるでゾンビのように生き返らせようとしていることだと、正確に知るべきでしょう。
私たち日本人の観点で、中国の温家宝首相たちが生ものを食べてみせるパフォーマンスを見るべきではありません。本当の「観客」はここ、つまり日本にはいないのです。
と言うより、日本国内の、例えば被災地のどこかで、あるいは関西で、誰かが中国や韓国の要人が福島の野菜を食べているシーンを見たとして、それにどれほどのインパクトがあるでしょうか?
若者に人気のある芸能人などが食べた方が、国内限定の影響力ならはるかに大きいものが期待できると思います。
本当の「観客」は、第一には彼らの国にいます。つまり中国の人民であり韓国国民であり、日本に隣接する東アジア圏で原発を推進する諸国の人々に対して、自分の国の為政者が体を張って「安全」をアピールしてみせるというのが、最初の目的と知るべきでしょう。
しかし、それだけなら3カ国首脳が並んでこのようなことをしてみせる意義は少ない。
大半の「観客」はその外側、つまり日韓中以外の国に住む多くの人々に「原発は安全だよ」「現在の計画通り建設しても何の問題もないよ」というメッセージを発するうえで、このパフォーマンスが有効だと各国首脳が判断して、今回のこのイベントになったと理解すべきでしょう。
変質する「唯一の被爆国」
広島・長崎両市長、米国の臨界前核実験に抗議
広島市の原爆ドーム。私たちはこの時の悪夢から醒めていいのか〔AFPBB News〕
日本はつい最近まで、国際社会において、広島・長崎の原爆投下を経験した「唯一の被爆国」として「核の危険性」「放射線障害の悲惨さ」などを訴えてきた国でした。しかし、3月11日を境に様々なものがねじれ始めました。
その中でも今回の「日韓中」アピールは、日本が世界に「核の安全性」をアピールするという、戦後66年の間、かつてなかった異質なメッセージ発信の最初の例になっている、と明確に気づく必要があります。
従来は「核兵器はいけない、全廃である」「核実験も禁止すべきである」という「平和への強い決意」に支えられて「原子力発電など、核の平和利用は堅持すべき」だというトーンが、国際社会から日本に求められる主要な論調だったと思います。
物理学科で学んだ一個人として、私もまた「核の平和利用」は推進されるべきもの、と比較的無批判に印象づけられてきました。
ここで「平和利用の安全性」という問いを宙吊りにし続けてきたのが「安全神話」だったこと、そして神話はしょせん「神話」に過ぎなかったことが、現地に住む人、また日本人には非常に明確に分かってしまいました。
ところが「安全神話は崩れていない」という「核の安全さ」をアピールする立場に、今や日本は基本的な立場をずらしつつある。菅内閣はそのような転向をした最初の政権として、歴史に名をとどめることになりました。
高度成長から全共闘、バブル経済からその崩壊まで、日本の戦後を席捲してきた団塊世代が中心となって、あれこれやり散らかしてきた「戦後」の行き着いたところが福島の事故だった、というのが、彼らより1世代下から冷静に世の中を見てきた一個人としての偽らざるところです。
そこで壊れ尽くしたはずの神話を、ゾンビ化して、まだ海外向けに発信する醜さ。いずれもそろって「戦中・戦後世代」である日韓中3首脳(李明博 1941-、温家宝 1942-、菅直人 1946-)の摂食アピールに、まだ懲りずに存在しない大本営発表を繰り返そうとするのか、と率直に呆れざるを得ませんでした。
彼らのアピールが守ろうとしているのは「安全神話」であって、決して安全そのもの、さらには国民を守っているのではないことを忘れるべきではないでしょう。政治家が何か一口食べて国民の安全が担保されるほど、イージーな対処でどうにかなる状況でないのは明らかです。
代わる時代とうつろうホンネ
ビンラディン容疑者殺害、オバマ大統領らリアルタイムで作戦を監視
ビン・ラディン掃討戦を見守るバラク・オバマ大統領〔AFPBB News〕
先ほどの「摂食演技」と前後して、米国政府が2010年から11年にかけて、強いX線を使って核兵器の安全性をチェックする検査実験を計画、実行し、それに成功していた、というニュースが報じられました。
昨年から今年にかけての米国、つまり福島第一原発事故に先立つバラク・オバマ政権での出来事になります。
唯一の核使用国としての責任をうたった「プラハ宣言」で「今後の先行投資としてのノーベル平和賞」をもらったオバマ大統領には、過日のビン・ラディン掃討戦など、ノーベル平和賞の名と大いに食い違う行動が目立つようになりました。
そんな中でもこの「核軍備の新たなチェックシステム開発」は、論議を呼ぶ性質のものと思います。
1990年前後、東西冷戦の構造が崩壊し、湾岸戦争とともに冷戦後が始まりました。その「冷戦後」がサダム・フセインの処刑やリーマン・ブラザーズ破綻など金融恐慌で決定的に終焉を迎えた後<「冷戦後」以降>の今日を適切に呼ぶ名を、私たちはまだ持っていないわけですが、確実に世の中は変化し、ホンネも動いています。
「冷戦後」のエポックとなった9.11は、3.11福島以降の5月1日のビン・ラディン暗殺で、政治の物語としては1つのコンマが打たれています(ピリオドになるかどうかは分かりません)。
私は常に、新しい時代が「次の戦前」にならぬことを念頭に物事を考えるようにしてきました。
が、いま虚妄に基づく日韓中の「安全性神話」演技を見る時、以前に恐れた全面的な暴力戦争とは別の形での、環境内に偏在するリスクと私たちとの戦いに巻き込まれることを、率直に恐れ始めています。
かつて枢軸国として第2次大戦をともに負けたドイツやイタリアと比較する時、日本の「核」を巡るねじれ、転向は、より根深いものであるように思われてなりません。
(つづく)
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 原発・フッ素11掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。