http://www.asyura2.com/11/genpatu11/msg/772.html
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佐藤栄佐久・前福島県知事著書「知事抹殺」
佐藤栄佐久(前福島県知事)会見「原発政策について」
http://youtu.be/fW8t8Fz_Ihs
http://www.the-journal.jp/contents/kanehira2010/2011/04/post_4.html
内部告発者を東電に通報していた保安院
↑ 佐藤栄佐久・前福島県知事(4月8日 筆者撮影)
福島第一原子力発電所のトラブル隠しを内部告発した1通の手紙を、こともあろうに原子力安全・保安院は、東京電力に通報し、しかも事故隠しを2年間公表しないままに放置していた。一体、原子力安全・保安院という組織は、何のために、誰のためにあるのだろうか(あったのだろうか)。原子力安全・保安院は今回の原発事故の評価を国際レベルで当初から「レベル4」としていたが、しばらくたって「レベル5」に引き上げた。欧米の専門家はなぜ「レベル6」ではないのかと今に至るまでいぶかっている。佐藤栄佐久・前福島県知事にお会いしてインタビューしたのは、大震災から11日たった3月22日のことだったが、あれから2週間以上が過ぎて、再び佐藤さんを訪ねた。前回のインタビューでは尋ね切れないことがらが沢山あったからだ。そのひとつは、WikiLeaksではないが、原発内部で働く人々の中から少なくない数の内部告発が寄せられていたのが、それらがどのように処理されていったのか、という点についてだ。冒頭で触れた1通の手紙は、2000年7月に旧通産省に送られてきて、保安院に回付されたものだ。その手紙による告発は、保安院から何と東電に通報されていたのだという。内部告発はいわば命がけの行為だ。告発した人間の身元を保護するは内部告発制度を活かす最低限のルールなのだ。それが当時、それとはまったく逆のことが行われていた。当時を振り返りながら、佐藤さんは怒りをあらわにしていた。現時点で、電力会社や保安院、原子力安全委員会、経済産業省といった巨大組織内において、おそらく日本国民が知っておくべき情報がもし隠されているのだとしたら、潜在的な内部告発者が多く存在していることになる。今日(4月8日)になって初めて福島第一原発1号機の事故発生直後の冷却水の水位のデータが公表された。これもNHKがいち早く報じたことから何となく出てきたものだった。一体どうなっているのだろう。
佐藤さんに尋ねたかったもう一つの点は、佐藤さんが2006年に東京地検特捜部に収賄容疑で逮捕されるきっかけとなった際の一部メディア記者たちの動きについてである。不可解かつ奇妙な動きが当時たくさん佐藤さんの周囲であった。そのひとつが事件化される1年以上も前に『AERA』(2005年1月31日号)に掲載された佐藤さんの「土地取引疑惑」なるものについての記事だ。このことについては、僕自身、今後、時間をかけて徹底的に調べて見ようと思っている。いくつかの内部告発も寄せられている。ちなみに同「事件」の贈賄側の取り調べにあたったのは、例の郵便不正事 件の証拠隠滅で逮捕・免職された前田恒彦検事である。
腐敗は津波よりも早い速度で僕らを蝕む。
http://www.toyokeizai.net/business/interview/detail/AC/03b437b3a3aad83ebed78e64d6340a13/
福島県民は、東電と国に裏切られ続けてきた――佐藤栄佐久・前福島県知事(1) - 11/05/13 | 16:18
原子力発電所の問題などをめぐり、霞が関の方針と真っ向対立。「闘う知事」と言われ5期18年を務めた、佐藤栄佐久・前福島県知事。被災した自宅で、東京電力そして国との闘い、その変わらぬ体質を語った。
今回の原発事故は住民の生命身体に直結する大惨事にもかかわらず、いち早く正確な情報が必要となる地元自治体への東電の対応は、後手に回っている。実際、被災地の市長や町長に尋ねても、皆テレビの情報が頼りだと言う。なぜこうした本末転倒な対応がまかり通るのか。
実は私も知事就任早々の1989年、福島第二原発で起きた部品脱落事故のときに同様の体験をしている。前年の年末にはすでに事故が判明していたのに、東電から連絡があったのは正月休み明けの1月6日。しかも、「まだ炉心に金属片が残っているが、運転には差し支えない」などと言い放った。
住民の不安感などまるで意に介さない姿に、原発政策において、地元はまったく蚊帳の外なのだと思い知らされた。
その後も東電や国には裏切られ続けた。93年、東電は第一原発の敷地内に使用済み燃料の一時的な保管プールの設置を求めてきた。対応を間違えると最終処分場にされかねないと懸念して、当時の通商産業省の担当課長から「2010年から撤去する」との言質を取ったうえで承認した。
ところがその1年後にはあっさりと反故にされてしまった。もはや原子力政策は国や電力会社だけに任せてはおけないと痛感させられた。
水素爆発を起こした第一原発の3号機では、使用済み燃料を再利用するプルサーマル発電が行われていた。一度は条件付きでこれを了解したが、燃料データ改ざんや核燃料サイクル計画の破綻が明らかとなったため、知事辞職までプルサーマルの拒否を貫いた。現知事は昨年夏に受け入れを表明したが、その直後に使用済み燃料の再処理工場(六ヶ所村)の完成延期が発表された。またもはしごを外された。
東電の荒木浩社長(当時)からは、さまざまな地域振興策の申し入れを受けたが、実現したのは、「Jヴィレッジ」だけ。会津の美術館建設や、郡山のサッカースタジアム建設などはいつの間にか消えてしまった。
JCOの臨界事故などで原発不信が高まり、01年に東電は一度、すべての新規電源の開発を凍結すると発表した。県も同意したが東電は翌日には「原子力は別」と撤回。
それどころか、数カ月後には、資源エネルギー庁の長官が「原発を力ずくでも進めていく」と発言したり、福島県が示した核燃料税の引き上げに対しては、東電常務が「いかなる手段を使っても潰す」と恫喝したりするなど、一触即発の状態となった。
国と一体となって一度決めたことは、ブルドーザーのように一気に推し進める、東電という企業の体質を目の当たりにした。
福島県民は東電や国を信じては裏切られの繰り返しだった。その揚げ句に、残念ながらチェルノブイリと並び歴史に名前の残るような事故が、この福島で起きてしまった。県民を裏切り続けて最悪な事態へと至った。この事故は天災ではなく、東電と国が起こした人災にほかならない。
さとう・えいさく●1939年生まれ。88〜2006年福島県知事。収賄罪で1、2審で有罪判決を受けたが、えん罪を訴え最高裁に上告中。
(週刊東洋経済2011年4月23日号)
※記事は週刊東洋経済執筆時の情報に基づいており、現在では異なる場合があります。
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