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(回答先: 福島原発事故調トップに畑村氏 10人程度で構成(共同通信)「失敗学」の畑村洋太郎東大名誉教授 投稿者 赤かぶ 日時 2011 年 5 月 24 日 09:25:28)
原発事故考(上)失敗学会理事長・畑村洋太郎 [産経新聞]
2011.4.20 03:47
津波の立場で考えなさい
東日本大震災では「想定外」という言葉が何度も使われている。予想を超えた大津波は、三陸海岸の町や村、漁港を次々とのみ込み、福島県では原子力発電所を破壊し、放射能汚染をもたらした。この原発事故について「失敗学」という独自の学問を提唱する工学博士が考察する。(文 木村良一)
◇
−−失敗学とは何ですか
畑村 人間が何かの活動をすれば、失敗は起こる。嫌でも起きてしまう。失敗は人間の活動について回る。失敗をしてはならないとか、悪いことのように決め打ちするのではなく、一番大事な結果だと考える。それが失敗学だ。
−−失敗には2つあると指摘されていますね
畑村 はい。許される失敗と許されない失敗。手抜きやインチキ、欲得で自分が得しそうだと思う方向へ流された結果として生じる失敗は許されない。しかし世の中には許される失敗、許すべき失敗もある。
−−分かりやすく言うと
畑村 新しいことにチャレンジして起こるのが、許される失敗。人間の成長を見ると、赤子、子供、青年とその成長過程でたくさんのことと新たに遭遇し、それに対応する形で物事が起きていく。結果はあらかた失敗なんだ。だって分からないんだもの。人間は失敗を通じていろんなことを獲得していく。
−−でも失敗はしたくないです
畑村 失敗するのが嫌ならば何も行動しなければいいんだ。じっとしていればいい。そうすれば何も起こらない。しかし、それではしようがない。失敗を積極的に見ることが必要だ。それに気付いて失敗学を言い出した。とくに学生に設計を教える過程において失敗学は絶対に必要だ。
−−確か、機械工学の専門書にこの失敗について書いたのですね
畑村 『続々・実際の設計−失敗に学ぶ』(平成8年、日刊工業新聞社)という本。この本を東大の私の授業でマスコミ論を講義してくれていた評論家の立花隆さんに送ると、彼が週刊文春に書評を書いてくれ、その中で「失敗学」と命名してくれた。そのおかげで専門書なのによく売れた。
−−本では失敗についてどのように触れているのですか
畑村 失敗が後世にどんなふうに伝えられ、消えていくのかを書き留めた。その中で三陸海岸の津波を取り上げた。
−−そうすると、東北の三陸海岸の津波は失敗学の原点ですね
畑村 そう。その本に東日本大震災で起きた大津波の被害と同じ被害が書いてあるからみな驚く。明治三陸地震(1896年)、昭和三陸地震(1933年)、東日本大震災(2011年)…と、大勢の人が亡くなる三陸の大津波は繰り返し起きてきた。被害に遭った人は石碑でそれを伝えようとした。
−−石碑?
畑村 石碑は津波が押し寄せてきた高さの場所に建てられ、「ここより下に家を建てるな」と警告が記されている。しかし漁村では海に近くないと生活しにくいので石碑のすぐ下に家を建ててしまう。後世の人は石碑の教訓に従わない。どうしてなのか。何十年に一度とか、百年に一度起きるようなことは自分の周りでは起きないと考えてしまうからだ。
−−どうすれば教訓は生かされるのですか
畑村 大事なのは起こってから考えるのではなく、起こる前に考えることだ。想像力を働かせることが重要だ。失敗学では起こらないと証明できるならば起きないだろうが、証明できないならばそれは起こる。
−−失敗学で東日本大震災を考えると
畑村 海岸沿いにある福島第1原子力発電所は、津波で損傷すると考えない方がおかしいことになる。次にどのへんまで考えるかだが、ここで大事なことがある。見たくないものは見えない。聞きたくないことは聞こえない。自分たちが困ることは考えないための理由をたくさん並べて結局、考えない。「原発の津波被害を考えるべきだ」とだれかが言ってもだれも注目しない。東京電力は起こりもしないことを取り上げるのはおかしいと考えたのだろう。
《1号機から6号機まである福島第1原発は昭和46年から順次運転を開始した。建設当時、35年のチリ地震の津波を考慮して3・1メートルの津波を想定、国から設置許可を得た。その後、平成14年の土木学会の指針に基づき、想定する津波を最大5・7メートルに切り替えた》
−−3・1メートルの津波の想定で国が許可したにもかかわらず、東電は3倍以上の標高10メートルに原発を建設した。東電に問題はないと思いますが
畑村 国が許可した以上のことをやったのだから俺たちは悪くないという考え方で、それはおかしい。だって事業主体は東電でしょう。
《福島第1原発を襲った津波の高さは14〜15メートル。標高約10メートルの原発の敷地から考えて4〜5メートルの波が押し寄せたことになる。この津波で非常用発電機も故障し、冷却装置の電源がすべて失われた。その結果、炉心溶融や水素爆発が起き、放射能漏れにつながった。原子炉を停止してもウラン燃料は崩壊熱を出し続けるため、冷却装置は原発の生命線といわれる》
−−仮に原発を標高15メートルの敷地に建てて20メートルの津波が来たとしたらやはりアウトになる。そうなると想定とは一体何だろうと考えてしまいます
畑村 東電が言う「想定外」は、自分たちには落ち度がないという言い訳でしかない。最低基準を満たしているからいいんだというのは言い訳だ。だから納得し難い。自分自身でこういうことが起こり得ると想定したらもっと違うことを考えたはずだ。原発を6基も同じ場所に並べなかったと思う。
−−しかし、人間は考えたくないことは考えようとしないのですね
畑村 だから災害の対策を立てるときは守る側で考えるのではなく、攻める側に立って考えなくてはならない。どこをどう攻撃したら福島第1原発の機能を奪えるのか。自分が地震や津波、山火事になって考えなくてはならない。そうするとすきだらけなのがよく分かってくる。
−−福島第1原発の1号機運転開始から40年。その間、よく災害に遭わなかったと思います
畑村 40年間は執行猶予の時間だった。その間、東電内に「危ないから造り直すべきだ」という意見もあったと思うが、起こって困ることは考えないということが結論となってそのまま来てしまったのだろう。しかし、千年以上たっても貞観地震のような大津波は起きる。分からないことは分からないということを前提にした設計思想が必要なのだが、いまの日本にはそれがない。
《869(貞観11)年、三陸沖の巨大地震によって発生した大津波が陸奥国(東北地方)の多賀城まで押し寄せ、千人が亡くなった。これが貞観地震で東日本大震災との類似が指摘されている》
◇
【プロフィル】畑村洋太郎
はたむら・ようたろう 失敗学の提唱者で、失敗学会理事長。昭和16年1月18日、東京生まれ。70歳。東大大学院修了後、日立製作所に勤務。その後、東大工学部教授を経て平成13年から工学院大教授。同年に畑村創造工学研究所を設立して代表となる。JR福知山線の脱線事故や六本木ヒルズの自動回転ドア事故など多くの事故を調査してきた。専門は機械設計。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110420/dst11042003420004-n1.htm
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