http://www.asyura2.com/11/genpatu11/msg/604.html
Tweet |
※ 以下の文章での線量表記は毎時(/h)を省略させていただく。
菅首相の「翌朝福島第一訪問問題」(これ自体は誤った失格といえる動き)に絡むかたちで1号機のベント遅れが問題にされ、東電の「原発温存願望」を非難する象徴として海水注入の遅れが問題にされてきたし、されている。
ここ数日でもベント遅れ問題や「海水注入停止」問題の報道が散見される。
昨夕方の日テレ「バンキシャ」でもこの問題を取り上げており、
● 12日午前9時台に作業者がベント処置を行うため、3名の作業者が2カ所に出向き、高線量の作業環境に直面したこと。
(「9:04〜9:15」と「9:24〜9:32」に動きがあった。作業者名らしき部分は黒塗りで、「S/C(圧力抑制室)北西〜キャットウォーク(作業員の専用通路)〜南東」とか「R/B2FF(原子炉建屋2階フロア?)SHC H×室上部」といった判読できたりできなかったりの文字情報も見えた。20mSvから95mSvという線量値も書かれていた)
● 10:16・10:24・10:25と、3回弁の開放操作を行ったが失敗したこと
(「10:16 PCV(格納容器)ベント A0-1621-90 開操作×」・「10:24 PCVベント A0-1621-90 開操作×」・「10:25 PCVベント A0-1621-90 開操作×」と書かれていた)
● 番組では説明されなかったが、その下に「PCVベント A0-1601-90開操作」というのが見えた。
と説明し、午後2時半ころにようやく「ウェット」ベント(SC経由)が成功したように図解入りで説明した。
この3月12日午前の時点では2号機と3号機は破滅的な危機状況をまだ迎えてはいないから、放射線線量の増減は1号機の変化に起因すると考えることができる。
1号機の格納容器は遅くとも12日午前4時半ころには蓋に隙間ができ、ガスと蒸気の流出がはじまった。(その時刻に制御室の線量は150マイクロSv)
以前(最初の原発事故分析投稿)も書いたが、3月12日の線量は、明け方からずっと1桁台(3マイクロSvなど)だった正門付近(1号機から1.2kmほど離れている)で、午前10時20分の計測で一気に180.2マイクロSvに上昇、その後も、10:30に385.5マイクロSv、10:40に162.9マイクロSvと3桁台が続いた。そして、正門付近の線量は午後2時20分まで2桁台の値で推移する。
東電のモニタリング値では、15:36の水素爆発後も線量に変化は見られず、19:25にMP8(南端敷地限界)で80マイクロSvが計測され、22:00まで70マイクロSv超えの値が続く。
14時半頃にベントを実施したなら、その直後からしばらくは高い線量を計測するはずなのに、東電のモニタリングではいっさい計測されていない。
ところが、測定している主体である東電のデータにはないのに官邸(対策本部)が公表しているデータのなかに、15:29にMP4(6号機の真西で1号機の北西)で1015マイクロSv=1mSv超えの大きな値が測定されている。
(3/12の東電公表データにMP4の値は1つもない)
これは、15:36の水素爆発につながるほどのガスの流出が1号機格納容器から15:29直前にあったからだと推測できる。
その流出が、格納容器の蓋に高い圧力の持続で隙間がさらに大きくなったせいなのか、意図的なドライベントが実施されたせいなのかは判断できかねる。
(従来は「蓋に隙間」説を採用してきたが、この間の報道の動きから、事前説明も事後発表もないままドライベント(プールを通さず原子炉からダイレクトに放出。放射性物質が大量に漏洩)が行われた可能性もあると思っている。いまは実施されたかどうか判断できないが、それが事実なら“犯罪行為”である)
当日のプラントデータを見ると、1号機格納容器の圧力は0.75MPaと設計圧の2倍ほどの高圧力状態が朝から水素爆発まで続いているから、ベントが効果的にはできなかったことがわかる。
(14:41に圧力が0.610MPaと少し低下しているのは、なんらかのベントを示唆する)
また、前回の投稿で書いたように、圧力容器と格納容器が“穴”で繋がっていることは、当日の圧力容器圧力と格納容器圧力が同等であることでも証されている。
線量の変化を考慮すると、 “初回”のベントはこれまでの公表通り10:17に行われたが、格納容器さらには圧力容器の圧力を低減させるという本来の目的を達成できないまま推移し、15:20分過ぎに格納容器から蒸気やガスが大量に流出する事態が起き、15:36に建屋上部に水素爆発が起きたという経緯だと思われる。
1号機の格納容器圧力は、水素爆発後も、データが不明の時間も長いが、14日10:30まで最高使用圧力(0.528MPa絶対値)あたりで推移している。
1号機の格納容器圧力が落ち着くのは、14日10:30から長いデータ不明期間を経て18日16:00の0.18MPaが公表された時点ということになる。
東電が説明しているのだろうが、ベントが有効に実施されたのが11日午後2時半頃と、この時点でなぜ声高に言うのか、理由が見えてこない。
(サミットやIAEAに対するレポート内容の地ならしなのだろうとは推測するが...)
ベントに関してはこの他、
NHKサイトニュースが「東京電力の福島第一原子力発電所1号機では、「ベント」と呼ばれる格納容器内の圧力を下げる操作の遅れが水素爆発を招いた原因の一つと指摘されています。東京電力は、爆発の6時間半前にベントに取りかかりましたが、NHKが入手した1号機の運転手順書では、爆発の13時間前の段階でベントを行う条件を満たしていた可能性が高いことが分かり、専門家は「もっと早い段階でベントを行うべきだった」と指摘しています」に続き「最終的にベントが行われたのは午後2時半」と報じている。
(http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110522/t10013039211000.html)
時事通信も、「ベント操作が始まったのは3月12日午前10時17分で、実際に弁が開いて圧力が低下したのは同日午後2時半ごろ」と書いている。
(http://www.jiji.com/jc/eqa?g=fdg&k=2011052200291)
日テレの「バンキシャ」でも、阪大名誉教授の宮崎さんの「早めにベントをかけて圧力容器を守る。そのことを最優先にすれば、3つも原子炉が壊れるという事態は防げたのではないか」というコメントを紹介している。
しかし、少し冷静に考えれば、1号機の結末は、ベントが早く実施されていてもそれほど変わるものではなかったことがわかるはずだ。
NHKの「「ベント」と呼ばれる格納容器内の圧力を下げる操作の遅れが水素爆発を招いた原因の一つ」という説明は受け容れることができる。
ベント弁を開放すれば、ガスと蒸気は持続的に少しずつ大気中に放出されることになるから、水素爆発は回避できた可能性が高いと思う。
しかし、それはそれで、使用済み燃料プールの問題が浮上してくる。1号機の燃料婦プールには3月31日(90トン)まで放水がされていないから、崩壊熱の計算から炉心露出回避の緊急性は低かったのだろうが、現在の2号機建屋のように湿気むんむんで高線量という状況になっていた可能性は高い。(プールからの放射性物質を含む蒸気は2号機からも出ている)
とにかく、水素爆発の回避は、爆発という衝撃的場面を見せないで済んだという心理的効果の面で大きいとは思う。
1号機は、公表されている圧力データから、14日10:30までは、原子炉に“穴”は開いていても、格納容器はとりあえず健全(封じ込め機能)であったと推測できる。
原子炉容器に生じた“穴”は、ベントを実施したか実施しなかったかに関わるものではなく、地震で受けた損傷だ。
事故直後のデータ公表時点から、1号機の圧力容器と格納容器の圧力は同等だから、ベントをしないで壊れるとしたらより弱い格納容器のほうである。
そして、決定的なのは、ベントを実施したからといって、冷却用の水が増えるわけではないから、メルトダウンを防げたわけではないことだ。
なぜか大問題のように報じられている12日夕方から夜にかけての「海水注入停止」は、すでに全炉心が溶融したあとであり(政府・東電の事故対策上級スタッフは当時から認識)、冷却・圧力・再臨界の絡みを考慮しながら決めるべき問題である。
なににしろ、この問題は専門家の領域であり、菅首相がどうのという“政治的”問題ではない。
中性子の減速材になり再臨界に達しやすい条件をつくる冠水状態に溶融燃料をした方がいいのか(JCO臨界事故で既知)、冷却優先でたとえ臨界に達してもスパイク的局所的だろうから水を入れたほうがいいとか、水を入れ過ぎると蒸発量が増えて圧力が増大するから注水量を加減したほうがいいとかは、現場サイトの技術者と政府対策本部の専門家が議論して決めればいいことだろう。
もしも、東電が対策本部に了解を採らないまま海水の注入を行ったのなら問題だ。12日夕刻であれば、一刻一秒を争う緊急事態ではないのだから、最高の権限を持つ対策本部ときちんと協議しながらことを進めるべきであろう。
このような、「ベント」と「海水注入」を問題視してあれこれ報じさせるのは、津波の前に地震そのもので自動停止以外は機能不全に陥った事実を隠蔽するのが目的ではないかと邪推する。
※ 参照投稿
「1号機は津波ではなく地震による損傷でメルトダウン:再循環パイプの破損で津波前から毎時25トンの冷却水漏れ」
(http://www.asyura2.com/11/genpatu11/msg/584.html)
1号機の格納容器もしくは原子炉圧力容器が圧力で破壊したためにより悲惨な状況が生まれたというのなら、ベントの遅れは最重要問題に浮かび上がる。しかし、そうではない。
先日の投稿でも書いたが、今回の福島第一の事故で最大の初動問題は外部電源の復旧遅れだ。
東電・東北電力・日本政府が総力をあげて取り組めば、翌3月12日中には外部電源の取り込みができたはずだ。
タービン建屋にあった非常用ディーゼル発電機は冠水と燃料喪失で短期の復旧は望めないし、新しい発電機を持ち込んでも電気系統への接続問題がすぐに解決できなかった。それは、電源車が数多く届けられても電圧云々の話もされている津波被害で接続がうまくいかなかったことでもわかる。
外部電源は3月18日頃から復旧作業が本格化したが、そのときには、1号機から3号機までの原子炉建屋まですべてが浸水し、高線量で汚染されてしまう事態に見舞われていた。そのため、思うように作業ができない状況にもなってしまった。
12日であれば、1号機はすでにメルトダウンを終え放射性物質も拡散させ水素爆発まで起こしていたとしても、15日以降とは格段と違う作業環境だったのだ。
外部電源の復旧に総力(現場の事故対応部隊を除く)をあげていれば、1号機はともかく、冷却システムが回復することになる3号機・2号機・4号機はあのような状況に陥らなかった可能性が高いと考えている。
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 原発・フッ素11掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。