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(http://www.ne.jp/asahi/kibono/sumika/kibo/note/naibuhibaku/naibuhibaku1.htm#12setsu)
19世紀末から20世紀初頭にかけて、放射性物質がつぎつぎに発見され、「放射能」という不思議な物質の性質に科学的追求の焦点が絞られてくる。
それまで、人類が扱ってきたすべての物質現象は原子と分子の世界であった。元素の周期律には19世紀前半から気づいた研究者がいるが(デーベライナの「3つ組」元素説、1827年)、メンデレーフの周期表は1869年に発表された(これはダーウィン進化論の発表のちょうど10年後)。
元素の周期表が重要なのは、千変万化・無限の種類がありそうに思える物質全体を鳥瞰的に見渡して、物質を構成している元素がせいぜい百に満たない案外少数種類しかないこと、しかもそれに顕著な周期性があることを見出した点にある。哲学的な思弁によってではなく、実証的な近代科学の手法によってそれをなしたことは画期的なことであった。人類史的なレベルで、画期的な物質世界の認識の深まりであった、と言ってよい。
元素の周期表のナゾを完全に解いたのが、20世紀にはいり、1930年ごろまでに成立した量子論であった。「原子と分子の世界」を解く手法が量子論だった。
「原子と分子の世界」は人類が親しく扱ってきた「物質」の世界を包括するのであり、その世界は、電気的な力によって結合している世界である。電気力を媒介している粒子が「電子」であり、電子のふるまいを律するのが量子論であった。
1920年代に量子論が理論として完成し、物質の成り立ちを解くことができるようになった。物質が持つ様々な性質、色や比重や固さ、沸点や氷点の説明、化合物がなぜできるのか、化合の条件はどういうものなのか。金属はなぜ電気を通すのか、セトモノはなぜ絶縁体なのか。半導体とは何か。もちろん、このような無機物質だけでなく、有機物質や生物体を構成する蛋白質や脂質や等々のすべての物質について、その物質の成り立ちを解く方程式を手に入れた。
量子力学の完成者のひとり、ポール・ディラックは次のように述べているという。
物理の大部分と化学の全体を数学的に取り扱うために必要な基本的法則は完全にわかっている。これらの法則を適用すると複雑すぎて解くことのできない方程式に行き着いてしまうことだけが困難なのである。(1929)
これらはすべて、原子が電気的な力で結びついている世界(物質世界)の話である。自然界のなりたち、すなわち無機物質と有機物質との関係はどのようになっているのか。生物体にとって、なぜ栄養が栄養であり、毒が毒であるのか。地上で人類が生活する上で出会う物質世界の森羅万象について、そういうすべての現象が“物質の理論としての量子論”によって、原理的には解かれるということになったのである。これが20世紀の前半のことであった。そして、この「物質世界は解ける」という展望は変わることなく現在も引き継がれているし、その成果を全人類は日常的に享受しているわけである。
この「原子が電気的な力で結びついている世界」は、われわれ生命体が存在している世界であり、生命体がその法則の支配下に構成され“生きている”世界である。下で述べるように、核エネルギーの世界はこれとはまるで違う異世界である。
(ただし、「物質世界は解ける」という理念を持つことと、実際に解くこととはまるで違う。ディラックの言う「複雑すぎて解くことのできない方程式に行き着く」のが普通である。そのため20世紀後半は、物質の理論(物性論)や生物の理論(分子生物学)など、個別の質的に異なる世界の探求が、新しい理念の下に改めて盛んになったのである。)
「原子と分子の世界」の特徴を表す数字を挙げておきたい。それは、この後に論じる“原子核の世界”(異世界)と対比するためである。
この「原子と分子の世界」でもっとも単純な元素が水素である。水素は陽子1個(正の電荷を持つ素粒子で、原子核である)と電子1個(負の電荷を持つ素粒子で、陽子に比べるととても軽く、約1700分の1)が電気的に結びついてできている。この電子を陽子から引きはがすことを電離する(イオン化)というが、電離するのに必要なエネルギーは水素の場合、14eVぐらいである。これは水素原子の原子核と電子の結合の強さを表していると考えられる。頑丈さといってもいい。他の元素の電離エネルギーはこちらを参照して欲しい。いずれも30eV以下である。(eVは電子ボルトであるが、その定義はここでは必要ないので、ある種のエネルギーの単位と承知していればよい。)
同じように、水素と酸素が結合して水ができる反応で出てくるエネルギー
H2 + 1/2 O2 = H2 + 3.0eV
これは、もっともありふれた“燃焼反応”であるが、水の分子の結合の強さが 3.0eV であることを表している。他の燃焼反応に関与するエネルギーも1分子あたりほぼ3〜4eVと考えてよい。
このように通常の、われわれの「原子と分子の世界」の関与するエネルギーは、1原子・1分子あたりで数十eV以下と考えておいてよい。
(なお、原子のなかに入っている電子のうち、もっとも強固に結合しているのはウランの一番内側のK殻電子と考えられる。これは0.11MeVという大きなエネルギーで結合している。約105eVである。ただし、これは“原子を壊す”のに必要なエネルギー=イオン化エネルギーの上限値と考えられる。)
これに対して、原子核の中から飛び出してくる放射線のエネルギーは、MeVの大きさである。
238Uが放出するアルファ粒子1個のエネルギーは4.3MeV。235U1個の核分裂で発生するエネルギーは平均200MeV。M(メガ)が表しているのは106、百万である。
このように、われわれ生物が生活している通常の「原子と分子の世界」(数十eVの世界)と、「原子核内部の世界」(数MeV以上)は、まったく“桁違い”の世界である。先に、これを異世界と言っておいた。
6桁違うというのが、どういう違いであるのかを、実感することさえ難しい。たとえば、段差20pの階段はわれわれの日常生活での“高さの差”であるが、これの百万倍は200qである。人工衛星の飛ぶ高さだ。イギリスで行われる「カタツムリ選手権」の最高記録は、60pを3分間だそうだが、これの百万倍というと時速12000qになるが、2004年に達成された航空機世界最高速度に匹敵する(長距離弾道ミサイルの速さの半分ぐらい)。
20世紀の前半までに人類が知った原子核エネルギーというものは、それまでの、地球上にある生物圏のすべての物質世界とはまったく質がちがう、桁違いに大きなエネルギーなのであった。この桁違いに大きな原子核エネルギーを上手に使えるように手なづけることができれば、素晴らしいのであるが、すくなくとも、この「原子核の現象」=放射能とわれわれ生物は、そのままで共存することは不可能であることをよく覚悟することが必要である。
放射能の怖さは、この桁違いに大きなエネルギーの怖さなのである。あまりにも桁違いで、異質であるために、われわれ生物は放射能を感覚することがまったくできない。そこに放射能があるかどうかを、生物は知ることができないのである。これは、長い生物進化史のなかでわれわれ生物は放射能と直接かかわることがなかったことを意味している。おそらく、宇宙環界の放射能がある程度下がってきた段階で、はじめて生物の発生が可能となり、放射能によって壊されない範囲で生物としての生存が許されてきたのである。それゆえ、放射能と生物とのあり得べき関係はただひとつ隔離である。生物の世界のなかに放射能が自由に無制限に入りこむということはけしてあってはならない。もし、それを許せば、生物は(すくなくとも現生種の生物は)絶滅する他ないであろう。生物と放射能は隔離なしの文字通りの共存ということはありえない。
(ついでに述べておくが、生物進化史は地球史と同様にきわめて古いことを強調しておきたい。逆にいうと、現在のわれわれ人類の中には、30億年をうわまわる地球生物史の記憶が集積していると言ってよいのである。かつて「大地のように揺るぎない」という表現があったが、プレート理論が実証されて以来、大地の不変性といってもせいぜい数千万〜数億年であって、われわれ生物の方がうわまわるかも知れない深さを持つのである。それだけ、生物の持つ“生命の謎”が深いと考えられる。生命体としての時間の深さを個々のわれわれが持っていることを認識することは意味があると思う。)
「原子と分子の世界」と「放射能の世界」が6桁も違っているということを最初に意識的に利用したのは、ラザフォードの散乱実験(1911年)であろう。それまでにいくつも原子モデルが提案されていたが、ラザフォードは金箔にラジウムから出るアルファ線を当てて曲がって出てくる(散乱される)アルファ線を注意深くしらべ、(金の)原子の直径の1万〜十万分の1という小さな原子核の存在を実証したのである。この実験は、正電荷をもつアルファ粒子がきわめて大きなエネルギーをもって金の原子に衝突することを、巧みに利用したものである。
この実験の結果をもとに、よく知られている、小さな原子核のまわりを電子がまわっている、という(古典的)原子モデルがつくられた。これを「ラザフォードの原子モデル」という。この原子モデルを矛盾なく説明するために、1930年頃までに量子力学がうち立てられたと言ってよい(ボーア、シュレディンガー、ディラックら)。
つまり、「原子と分子の世界」の解明のそもそもの端緒となるラザフォードの実験は、ラジウムのアルファ線を利用しているのである。桁違いに大きなエネルギーをもった粒子線をゾンデとすることによって、「原子」の構造が究明されたのである。
したがって、20世紀の初頭から1930年頃までにうち立てられた量子力学と原子構造の解明が、ひきつづいて、放射能と原子核の研究につながっていくことは必然的であった。原子構造の解明に成功すれば、原子の中心にある原子核について探求が進むことは当然であり、さらに原子構造の解明の重要な道具となった放射能(放射線)の研究に向かうのは当然である。それは、とどめようがなかった。
しかし、その段階までの「放射能の世界」は、原子核崩壊によってアルファ線やベータ線、ガンマ線が放出され、その際、原子が変換すること(たとえばベータ崩壊によって、炭素が窒素になる 14C→14N +e-)、つまり、元素がかならずしも絶対不変のものではないことなどが判明していた。その状況が一変したのが核分裂の発見(ハーン、シュトラスマン、マイトナー、フリッシュら、1939年)であった。なぜなら、核分裂現象を用いると、6桁以上も異なる「放射能の世界」のエネルギーを利用することが可能となるからである。
はやくも1945年に最初の原子爆弾がアメリカによってつくられ、日本にたいして2度も実戦使用された。それがたんに熱と爆風の巨大爆弾というだけでなく、同時に、通常兵器の延長線上には考えられない残酷で永続する放射線障害をもたらすものであることは明白となった。原子爆弾は無差別な大量殺戮兵器であり、その使用は議論の余地なく非人道的であり、正当な戦争行為から大きく逸脱した残虐兵器であるといわざるをえない。
ところが、アメリカの政治-軍事-産業の中枢部(その背景にウランビジネスの世界支配企業が存在する)が原爆製造と使用のための「マンハッタン計画」でたくらんだことは、原爆の実戦使用より更に更に罪深いものであった。
それは、第2次大戦後の世界戦略の中核として核兵器を位置づけるために、原子爆弾が「熱と爆風の巨大爆弾」であることと爆発瞬間の強い放射能は認めるが、事後の永続する放射能は存在しないとする虚偽を全世界にばらまいたことである。
「原爆はおそるべき爆発力だ、しかし、放射能はたいしたことじゃない」という虚偽を、体制順応の科学者と報道機関を動員し、権力のありったけの陰謀と策略を用いて、宣伝した。“自由世界を守る”と称して科学的事実・医学的事実の発表そのものが抑圧され、自由な研究が妨げられた。
広島・長崎の原爆被曝者、アメリカ国内の“アトミックソルジャー”や“風下住民”やプルトニウム人体実験被害者、大洋州の原水爆被曝者等々の被害を密封し見殺しにした。1991年湾岸戦争以降の劣化ウラン弾による被曝者(中東-バルカンの住民、米軍兵士)を見殺しにしている。情報が開示されていないが、旧ソ連での放射能被害が世界最悪ではないか、とも言われる(既出の「中国新聞社」の「核時代 負の遺産」旧ソ連編が貴重なルポとなっている)。中国の核実験の放射能被害の実態も(すこしは洩れてきているが)不明である。
核兵器以外では、原子力発電所−核燃料処理工場−核廃棄物貯蔵所での被曝が深刻である。これは、放射能の量が核兵器とくらべて比較にならないほど膨大であること、万一事故がおこればきわめて深刻な事態となること、日常的な運転による放射能物質の漏洩が無視できないことなど、どれ一つを取っても簡単な問題はない。
膨大な量の放射性物質を20世紀後半に人類は地上に造りだしてしまったのであり、現在もますます膨大な量を新たに造りだしつつある。われわれ生物は放射能と共存することができない。放射能は、6桁以上違う、いわばわれわれとは“ちがう世界の存在”であり、放射性物質は隔離するしか防衛の方法がないのである。このことは、よくよく考える必要がある。
長い目で見た場合、膨大な量の放射性物質の、安全な・長期(数万年以上)にわたる隔離がもっとも深刻な課題である。人類の文明といっても数千年しか経っておらず、“先のことはよく分からない”という無責任な状態で、結局先送りするしか手がないのである。
長い目で見た場合、もう一つ心配なことは、このまま原子力利用を続けた場合、重大事故の確率が確実に上がることである。チェルノブイリ級の原発事故が必ず起こると考えておいて間違いない。日本では大地震および原子炉の老朽化が殊に心配である。原子力関係の科学者・技術者の質の低下、意識の低下も心配である。
(原子炉での重大事故は、人的ミスがらみで生じることが多い。純然たる施設の老朽化や手抜き工事などの技術的欠陥だけではなく、人的な判断ミスや対応ミスと複合して事故が重大事故に発展していく。
原子力は、それが発見されてから実用段階に応用されるまでに、ほとんど時間的な余裕がなかった。不幸なことに「マンハッタン計画」という軍事的なスタートをし、東西冷戦のヘゲモニー争いの重要な道具として期待され、技術として熟成する時間的な余裕を持たなかった。「蒸気機関」にしても「電気モーター」にしても、それらが産業現場に使用されるまでには、それぞれの技術の要求する「熟成時間」があった。その技術の危険性や限界をよく弁えた熟練工が育成されることと、技術が生産現場に応用されることと別のことではなかった。
原子力に関しては、熟成時間なしに、軍事的・政治的な意図と命令が優先されて、実用化と試験的開発とが同時に行われるという、危ういものであった。しかも、その巨大技術は熟成に要する時間を長く要求するはずのものであった。この人類が初めて接する危険な巨大技術を、日常的に運転する技術者集団の、熟成と技術的水準の維持と高い意識の持続は必須のものである。
原子力技術に対する一般社会の敬意が消滅していっている現在、原子力関係の科学者・技術者の質の低下、意識の低下がことに心配されるのである。)
「JANJAN」の田口汎の連載論文に、ローレン・モレの話が紹介されている(レバノン:劣化ウランの実験場 2006-9/13)。
わたしは(ローレン)、この後も「劣化ウラン弾」の不正使用や「放射性毒ガス」について取材を受けることになる。新たな戦争は、「新しい兵器の実験場」であると同時に、「旧式兵器の廃棄場」にもなっている。現段階で、前地球規模の大気は、ユーゴスラビア、アフガニスタン、イラクで使用された「劣化ウランのガス」によって覆われている。現在分かっているのは、使用された「劣化ウランの雲」はほぼ7〜9日前後で地球全体を覆うという事実である。それはイギリスの大気調査で、確実になっている。
「劣化ウランのガス」は急速に世界の空を覆い、殊に熱帯地方の偏西風、貿易風、大循環によって運ばれるのである。乾燥地帯特有の「砂嵐」や「チリ嵐」は語るまでもない。
「アメリカ疾病センター(CDC)」の報告によっても、1990〜2002年間で糖尿病の増加は、アメリカのみでも1300万5000人増加している。この数値は、日本の人口動態調査でも、放射線起因疾病とガンの死亡率は、アメリカの数値と合致している。インドや英国でもそれに準じた結果となっている。
矮星といえる様な小さなこの惑星は、劣化ウランの毒性ガスが他の要因と一緒になって、恐竜が死滅した時期を思わせる危機にある。アメリカとイギリス、それにイスラエルが加わり、今や地球全体を「アウシュヴィッツのガス室」を思わせる危機に追い込んでいるのである。
糖尿病の原因に放射性物質が公認されているわけではないが、20世紀後半の全世界的な糖尿病の急増は、“全世界的な現象”が関係していると考えるのは理にかなっている。日本では60年代半ばに3万人であった糖尿病患者数が2004年には740万人(250倍!)になっていることは、食生活の変化と医療検査の普及だけで説明できるとは思えない。
糖尿病は膵臓の機能が落ちて、インスリンの分泌が無くなるか不順になることが根本原因である。ローレン・モレは「SENKI」のインタビュー(2006-12/5 前出)で次のように、放射能と糖尿病が関係することは、広島・長崎の後すでに医師は気づいていただろう、とのべている。
私は友人に言いました。「こんなことは誰も言っていないし、信じられないかもしれないが、糖尿病の世界的な流行は放射能と関係しているとしか思えない」。(中略) 私は、科学者が放射能と糖尿病の関連性を知っていたはずだと考えて研究を始めました。広島の原爆投下後、日本でも糖尿病が大変増えていますから、専門家は放射能と糖尿病の関係を知っていたはずです。
研究していくとマンハッタン・プロジェクトを実施したローレンス・バークレイ研究所の1963年の内部レポートが、糖尿病と放射能との関連について報告していることが分かりました。糖尿病にかかっている人の血液中の放射性物質を研究していたのです。
この内部レポートを書いた研究者にローレン・モレは尋ねているが、「忘れてしまった」という返事しかかえってこなかった。
次に出てくるイットリウム(元素記号Y、安定同位体の原子量89)は、カラーテレビの赤色発光体に使われている物質だという。
核分裂生成物のひとつにイットリウム90がありますが、これが体内に入るとすい臓に集中します。すい臓は糖尿をおさえるホルモン・インスリンを分泌しており、この機能が被曝することで異常をきたすのです。2ヶ月の被曝で糖尿病になることは、すでに動物実験で確認されています。
専門家は糖尿病と放射能との関連性については1980年代から知っていましたが、データを公開しませんでした。私は糖尿病の発症率を地域ごとにマッピングしました。結果、糖尿病の発症地域と放射性降下物の分布地域とがぴったり一致したのです。
ローレン・モレは、原発や劣化ウラン弾使用による放射性物質が地球全体をおおい、それを体内に取り込むことで糖尿病の世界的な急増が生じている、と考えている。ただし、目下これは少数意見である。
動物性脂質のとりすぎ、肥満、運動不足などが糖尿病の原因の多数意見である。「自家用車の台数の増加」と糖尿病の患者数増加を大まじめに比較しているサイトまである。
次は、「多数意見」の側の見解である。
世界で2億4,600万人と推定される糖尿病患者の3分の2以上は、比較的貧しい発展途上国の人々であり、いまやエイズと並ぶ死因としてより多くの対策が必要になっている。このような冷静な調査結果が、先ごろ米ニューヨークで開かれた「Global Changing Diabetes Leadership Forum」で報告された。同フォーラムは、糖尿病に関するヘルスケアの専門家や政治家、指導者層が集う最も大きな会議の1つ。
国際糖尿病学会(IDF)のマルチン・シリンク会長は「糖尿病の蔓延はまさに疫病のようだ。糖尿病患者の70%は途上国人口が占めている。中国やインド、南アメリカなど、経済が発展して急速にライフスタイルが変化している国で急増している」と警告する。(ヘルスデー・ジャパン2007-4/19)
「糖尿病の蔓延はまさに疫病のようだ」という言葉を覚えておこう。わたしはローレン・モレ説にただちに同意できないが、ただ、モレ説は、1. 全世界的な蔓延であること、2. 生活スタイルや習慣が多様である人びとを等しく襲っていること、3. 20世紀後半に急増したこと、などを説明するのに理にかなっていると思われる。
科学的な、医学的なデータや論文の発表がたえず抑制されていること、核関連の歴史をしらべてくると、いたるところに抑制の話が転がっている。体制的学者の無責任な「安全宣言」にぶつかる一方で、公的な組織の集めたデータの発表が抑制される。
核兵器-原子力科学のスタートの「マンハッタン計画」のなかに、そもそも、重大な虚偽が仕込まれていて、「自由を守る」の名のもとに人命さえも容赦なく犠牲にしてきたのである。科学的事実・医学的事実の発表さえも抑圧されてきたのである。そのことは、現在も持続している。
20世紀の後半に入ってから、アメリカ政府の述べるすべてのメッセージはこの虚偽をバイアスとして、含んでいる。彼らの言う「民主主義・自由・博愛」は、虚偽のフィルタを通ってきた有毒のものである。ベトナム戦争でも、湾岸戦争でも、イラク戦争でも、抑圧された人びとは数え切れない犠牲を払ってそのことを体験したはずである。
最後に、明治以来の日本の「死因別死亡率」の変遷を眺めておこう。
第2次大戦後、一貫して増加し続けているのがガン(悪性新生物)である(厚生労働省「人口動態調査」 でも、お役所はどうして「悪性新生物」なんていうのだろう。悪性腫瘍じゃいけないのか?)。ガンの原因は多岐にわたるが、この一貫する増加の原因の何割かは、核兵器と原子力発電とによって全世界にまき散らされた放射性物質であると考えてまちがいないだろう。
原子核内部に存在する核エネルギーの秘密を人類が知ったことで、核兵器や放射能によって殺され・苦しむ無数の人びとをつくりだした。そうなった原因の最大のものは、原爆製造の最初の歴史的段階で、アメリカが虚偽によって全世界を説得したことである。アメリカは現在もまだそれを訂正していない。そして、国連常任理事国をはじめとする核兵器保有国家や、日本をはじめとする原子力発電を推進している国家や、軍事産業−ウラン企業−国際金融資本は、それを根拠にして全世界に放射性物質をまき散らしている。
だが、原子核エネルギーを人間が理解することで、はじめて、太陽のエネルギー源を理解することができた。また、恒星の光っている理由を知ることができた。わが宇宙のそもそもの成り立ちについて、踏みこんで探求する手がかりになった。それは、時間の始源と、空間の始源をつきつめることであった。高エネルギーの世界が、極微の素粒子の世界に結びつく。
宇宙の成り立ちは天体の進化を知ることであり、その進化過程で成立した生命について、その根源を問う土台が用意されたと考えることができる。
原子核についての知見は、人類の科学史の長い蓄積があって初めて可能だったのであり、しかも、それは必然的であった。放射能は原子核の内部を露出する現象だといってもいい。それは、われわれ生物の「原子や分子の世界」とは6桁以上も異なる世界、異世界であった。その異世界とわれわれ生物は、共存することはできない。原子核内部は、核力の深いポテンシャルの井戸の底に入っていることで、やっとわれわれと共存できるのである。この異世界の猛烈さは、浅はかな虚偽によってつじつまを合わせられるようなものではない。
われわれ人類(生物)は、一部の科学者に原子核内部を垣間見ることは許容しても、核兵器や原子力発電のような日常生活へ核エネルギーを導入し、それと共存しようとすることは諦めるべきである。
原子核の内部が露出し、そこから溢れでるエネルギーを知ったのは、たしかに人間の英知である。それによって、宇宙のなりたちの解明がいくらか進み、それはわれわれ生命体の謎の解明に結びつくものである。
しかし、その人間の英知はなんと愚かなのだろう。
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