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チェルノブイリ原発は福島第一原発とは違う構造を持っていた。いわゆるRBMK(黒鉛減速沸騰軽水圧力管型原子炉)という、日本語訳すると大変長い名前になってしまうが、大きな違いは「燃料棒から飛び出した中性子」を減速するのに、ソ連のRBMKは「黒鉛」を使い、福島原発では「水」を使う、というところだ。
チェルノブイリでは核分裂反応が暴走した結果、原子炉内の水が「水蒸気爆発」(高温の物体が水にふれるなどして、一気に沸騰して水蒸気になることでおこる『火のない爆発』)をおこし、原子炉が内部から吹き飛ばされ、さらに残された燃料は溶融して、放射性物質を放出し、黒鉛の火災が放射性物質を大気中に巻き上げつづけ最悪の事態になった。
(Newton6月号より)
事故は1986年4月26日の01:24に起きたが、その日の夜21:00に炉心の黒鉛火災を消す最終の方法が早々と決定された。放射能を撒き散らすのは各国に迷惑をかけることになるため、一刻もはやく封じ込めることが必要だったため「原子炉の塔屋を熱吸収性のろ過材料ですっかりおおい事故をその場に閉じ込める」ことにしたのだ。すなわち「石棺」化である。
そして4月28日から5月2日にかけて「ボロン(ホウ素)」、「ドロマイト」、「砂」、「粘土」、「鉛」を軍のヘリコプターから落として、破損した原子炉をおおう作業を始めた。全部でおよそ5000トンの材料が落とされ、全体を覆うまでヘリコプターは数百回の飛行を繰り返したそうだ。
各国からも支援があり、たとえば7~8トンの珪土(火に大変強く、植物性プランクトンの化石のため旺盛な呼吸性をもつ)が、ロンドンのヒースロー空港から飛び立ち、西独からは多数の遠隔操作ロボットが提供され、小型のものは放射線測定、カメラなどをそなえ、大型のものは原子炉の破片や器具を取り壊し片付けるのに働いた。
これらの努力にかかわらず5月1日には、原子炉に残っていた核分裂生成物の崩壊熱と、黒鉛燃焼とによって核燃料の温度が上昇しはじめ、最高温度は2000℃にもなった。ここで、原子炉容器の下の空間に発電所のコンプレッサー室から圧力ポンプで窒素を送り込むと、5月6日には原子炉容器の温度が低下しはじめた。1987年12月2日には、石棺内の温度は82℃と下がった。(以上『チェルノブイリの真実』リチャード・F・モールド著)
それにくらべて、福島原発では原子炉を水で冷やし、「冷温停止」をめざしているが、「水棺」方式は失敗した。いっそチェルノブイリのように特殊素材で覆ってしまったほうが、放射能拡散を止められるのではないか?
それにしても、相変わらず避難生活を送っている人は11万人を超えるし、放射能汚染地区の“除染”も進んでいないようだ。チェルノブイリでは、近隣30km圏内は森林、建物、畑、道路などことごとく、特殊な溶液を使ってなんども除染した。放射能がしみ込んだ土壌も徹底的に掘り起こし、ちょうど建設中で穴ぼこの状態だった、チェルノブイリ5号機のところにその土や放射性廃棄物を深く埋め込み、コンクリートで固めた。
日本でも、一度は断ったIAEA(国際原子力機関)の調査団を、5月24日から6月2日まで受け入れることになった。この間、政府や東電からのヒアリング、福島第一原発視察などが行われ、6月20日から行われるウィーン会議で報告される。今度こそ情報を隠すようなことがあってはならない。
セラヴィ ( 2011/05/22 15:43 )
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