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福島第一原発の3回の爆発見た作業員
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4728337.html
http://www.youtube.com/watch?v=2LT9L2y1AMU
18日17:01 TBS
地震と津波が福島第一原発を襲ったのは3月11日。すべての電源が失われ、冷却ができなくなった1号機は翌日、爆発しました。さらに、2日後に3号機、翌朝には2号機と立て続けに爆発は起きました。この3回の爆発を間近で見た作業員の男性がJNNの取材に応じ、緊迫した現場の状況を詳しく証言しました。
「あんなに揺れたのは初めてだったので。床が抜けると思いましたね。これから復旧やらなきゃならないから、きょう帰れないかなという感じですね、そのときは」(作業員)
3月11日午後2時46分、福島第一原発。この場所で10年以上働いている男性にとっても経験したことのない強い揺れでした。そして、本当の戦いはここからでした。当時の中央制御室のホワイトボードには、津波の下に「SBO(ステーション・ブラック・アウト)」の文字。すべての電源が失われたのです。
「建屋は真っ暗で、自前の懐中電灯だけでケーブル持っていかなければならないので、真っ暗で足元はびちゃびちゃだし」(作業員)
男性が担当したのは電源の復旧。何よりも優先すべき課題でした。
「12日未明、ケーブル敷設。劣悪な環境のため作業難航」(資料より)
「やらなきゃいけないことが次から次に出てくるというか、東京電力さんからいろんな要請が」(作業員)
懸命の作業が続く中、最初の爆発は起きました。
「何らかの爆発的事象があったということが報告をされております」(枝野官房長官〔3月12日〕)
「バーンという破裂音みたいのがして、とたんに空が粉じんで真っ茶になって、その後に綿みたいなものが飛んできた」(作業員)
しかし、投げ出すわけにはいきませんでした。満足な食料もない中で続く闘い。
地震から3日目。電源ケーブルを繋いでいたそのすぐ横で、次は3号機が爆発しました。
「音は大きかったですよ。1号機より全然。うまい具合に風が吹いていたので、視界が良くなり、『逃げるしかない』と」(作業員)
「3号機にて爆発発生。電源車が被害を受ける」(資料より)
「電源車がガタガタになっちゃた。ガレキが吹っ飛んでぶつかっているので、ケーブルがまだ裸だったので、それも傷ついて結局、使い物にならなくて・・・」(作業員)
何とか免震重要棟に逃げ込んだ男性は、疲れた体を横たえました。翌朝、3度目の爆発がつかの間の眠りを奪います。
「ドン!という音だけだったので、『また爆発したんじゃない?』という話で(みんな起きてきた)」(作業員)
この3回目の爆発で敷地内の放射線量は急上昇します。
「一時的に当発電所から安全な場所へ移動を開始している」(東京電力・福島事務所の会見〔3月15日〕)
「一気にまた(構内の)線量が上がったので、残ったのは東京電力の上の方の人たちだけ」(作業員)
男性はしばらく避難した後、再び現場に戻りました。
「建屋に入るときは怖いですし。“退路はどっちだ”と、それを頭に入れていますよ」(作業員)
事故発生の翌日。男性はある光景を目にします。
「菅直人さん、とにかく怒ってましたよ、免震棟で。なんかうわさでそういう怒る人というのは聞いていたが、本当にすごいなと」(作業員)
立ち入りが禁じられた20キロ圏内。その中心で放射能との闘いは続いています。
「自分の自宅も20キロ圏内なので、早く戻りたいし、それだけですよね。一生懸命やってなるべく早く復帰できれば、それだけ自分も早く帰れるってことなんで、そこは一生懸命やりますよ」(作業員)
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